八幡町をゆく(4) 村につき電灯がつき、電話が開通しました
電灯のありがたさ
小学校持代(大正の初期)はになると、ほとんどの家が行燈(あんどん)を用いていました。
少しハイカラな家ではランプでした。
でも、毎晩ランプをつけると油代が高くつくので、お客さんでもある時は別
として、それ以外はできるだけ行鐙でした。
そんな暗い灯の下でも親は毎晩夜業に土間で縄ないや、草履作りをしていました。
大正三年電灯がつきました。それも、六燭光の電球が一戸一灯でした。
当時は、その明るさに驚喜したものです。
「マッチで電気をつけようとした老人もあった」という笑い話があります。る
以来僅か70年余あまり。今では電気なしには生活できない社会になりました。
文明の有難さを思うと今昔の感にたえません。
中西条 山本定次
電話
加古川郵便局で竜話交換業務を開始したのが明治45年4月。
当地方では八幡村国包郵便局で電話交換業務を開始したのが大正12年3月。
当時、八幡村での電議加入者は3~4で、集落で電話のないところもありました。
昭和47年、上西条、中西条境の宮山脇に無人の自動交換局が設置され、今八幡町の加入者教は1700を越え、殆んどの家庭に架設されるようになりました。
下村 本 岡 豊 二