平荘町・上荘町をゆく(47) 報恩寺(9) 報恩寺の奉加帳
報恩寺には、県指定文化財の三冊の奉加帳があります。
この奉加帳ついて、『加古のながれ』(加古川市)に詳しいので、お借りします。
写真は、少し見にくいが三冊のうち第一帖です。
奉加者の名前に驚きます。
◇第一帖の奉加者◇
左大臣 花押
右京大夫 花押
尾張守 花押
治部大輔 花押
性具 花押
これでは誰のことかわかりにくですが、左大臣は足利義教、右京大夫は細川持之、尾張守は畠山満家、治部大輔は斯波義淳、そして性具は赤松満祐でのことです。
日本史の教科書に出てくる、そうそうたる人物ばかりです。
この奉加帳には年号を記していないが、畠山満家と斯波義淳は永享五年(1433)に亡くなっているのでこの奉加帳は、それ以前に書かれたことになります。
そして、足利義教が左大臣になった永享四年以後に書かれたことにになります。
つまり、1432年から1933年の一年間に限られます。
この奉加帳には趣意文がないので何のための奉加帳なのか不明ですが、当時の報恩寺の再興の資を得るためのものであろうと思われます。
それにしても、どうして呼びかけ人にこれほどの人物が賛同したのでしょう。
以下は推測である。
第二帖に伊豆守、つまり赤松貞村の名があります。
貞村の娘が将軍義教の側室であり、その関係から、貞村はこの奉加帳面を義教のところへ持ち込んだのではないでしょうか。
しかし、この奉加帳の効果がどれほどのものであったかは分かりません。
*『加古の流れ』(加古川市)・『加古川市の文化財』(加古川市教育委員会)・『兵庫県史(第二巻)』(兵庫県史編集専門委員会)参照