平荘町・上荘町をゆく(48) 報恩寺(10) 神仏混淆(こんこう)
平之荘神社への階段下の左右に板碑があります。
向かって、右側(写真下)の板碑には、ほとんど読めないが梵字で阿弥陀三尊と弘安二の銘が刻まれています。
弘安二年(1279)は、二度の元寇の間であり、現在確認されている加古川市内の石造物記銘としては最も古いものです。
平之荘神社に阿弥陀三尊とは不思議な感じもします。
このことについて『知っておきたい日本の神様(武藤誠著)』を読んでおきましょう。
ました。
・・・・6世紀のなかば、仏教が伝わった。そこには有益な知識や技術が含まれていた。
平安時代のはじめになると、神社側では「このままでは、自分たちは時代おくれになるぞ」と言う声がひろまった。
そのため、神社を支配する豪族や武士が、僧侶をやとって神前で仏事を行った。
また、仏教側も、庶民に慕われている神道と結びつくことによって布教を有利に進めた。
中世以降、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)によって、「日本の主だった神様は、仏が仮の姿で現れたものだ」とされた・・・
このように、日本では仏教と神道が争うことなく融合しました。
しかし、明治政府は、仏教と神道の分離を命じました。
明治以前、神と仏は融合(神仏混淆)していたのです。報恩寺と平之神社は、その例です。