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堺・百舌鳥古墳群へ

2019-08-14 | 日記
福知山城へ行った時(6月9日)に立ち寄った「福知山市丹波生活衣館」で頂いた綿の木の種が芽を出し育って、花が咲くようになった。
黄色い花で、オクラの花と似ているようだ。咲いた初日は黄色で2日目はピンク色になる。花びらの下部の葉っぱの様なのはガクなのかな?ふわふわしたコットンボールの実をこれで包むのかな?何だかよく解らないけれど面白いなぁ~。ドライフラワーにしようと思う。
開花して1週間後、広げると中にこんな実ができていた。

        (画像はクリックすると拡大する) 
 
  8月13日(火)
2019年7月16日世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」(もず・ふるいち古墳群)へ行ってきた。仁徳天皇陵を帰省中の孫に見せたかったのである。
仁徳天皇陵の名称は、埋葬者の確証がないという事で、現在は地名に基づく「大仙古墳」(だいせん古墳)が使われているらしい。50余年前、何の疑問も持たず、宮内庁管轄の仁徳天皇のご陵と信じて足を運び、その大きさに感動していた私。
今、戸惑いを感じながらも、やっぱり仁徳天皇の名を残し、古墳を足して「仁徳天皇陵古墳」の呼称が継承されていって欲しい気がする。今日の日記ではいろいろ使ってみよう。

パパのVOLVOで駐車場に入ったのは正午過ぎ、孫Yちゃんがスマホで検索した「古墳カレー」を食べることになった。お店の名は「お食事処 花茶碗」(はなちゃわん)、仁徳天皇陵古墳のすぐ近くで、レストランというよりは普通の民家の寛げるお茶の間雰囲気の畳部屋で頂く。
女将さんの思い入れがかなり有る様で、ご自身手作りの器にコトコト煮込んだコクのある牛筋カレーがデザインも素敵な古墳の盛り付けで、スコップの形をしたスプーンが添えられる。ブロッコリーは古墳の森、ハート型の目玉焼きは堺の人達の心を表現しているそうだ。そうか・・・堺市民は古墳を愛し大切に思っていられるんだよな。

目の前に運ばれてきた瞬間、私達のテンションは上昇!「さぁ~ それでは発掘を始めよう。」とスコップを持ち上げ取り掛かる。(笑)
器とスプーンの接触音、陶器は磁器とは違って古墳発掘の趣きがある。私は大気に入りで堀り続けた。中から出て来る肉片は家型埴輪の土器と考えておこうと考えつつ。(笑)
甘口と辛口があって5人は辛口を、彼ひとりが甘口を選んだ。「俺、甘口が好きなんやけど家では炊いてもらえないから嬉しいわ。」と言っていた。「よかったね。」と私、皆んな大笑いした。(笑)

置かれていた2・3冊のノートには色んな人達の感想メモや絵や名刺が張り付けられ、この店を訪れた人が如何に気を良くして「古墳カレー」を食べたかが伺えた。勿論私達も同様で、「もう古墳見学終了でこのまま家に帰ろうか!?」と大笑いをして店を出た。

ママの提案で、大仙公園内にある博物館で古墳の知識を得てから古墳へ行くことになった。
博物館では古墳シアターで百舌鳥・古市古墳群の説明ビデオを見て基礎知識を得て、VR(バーチャルリアリティー)体験もした。300m上空からドローンで撮影した眺めを360度映像で見る事ができた。1600年前、5世紀古墳時代の風景や中に入れない内部の石室をCG映像で再現していて、まるで石室の目の前に居る様な錯覚を覚え感動的だった。いろいろ学べてとても良かった。

それから展示室の沢山の品々の中で私がいちばん印象的だったのは、慶長15年の銘が刻まれた「慶長大火縄銃」だった。
徳川家康が作らせた世界最大級の驚くべき3mの長い銃は、大阪の陣に際して豊臣家の大阪城を攻撃するための試作品だったそうで、銃弾は1.6kmぐらい飛ぶ計算だという。なんとまぁ~ 恐ろしきかな!

冊子の説明によると、そもそも古墳は3世紀半ばに奈良盆地に造られ、当時の支配者たちが自分の権威を誇示する為で、5世紀中頃が巨大古墳造営のピークだったらしい。
そういえば余談ながら、奈良県桜井市三輪山の麓、纏向遺跡(まきむく遺跡)内に在る全長282mの大きい前方後円墳・謎の箸墓古墳(邪馬台国の女王・卑弥呼の墓ではないかとの説あり)は、3世紀後半とされていて、時々メディアが取り上げるのを耳にする。

現在、百舌鳥古墳群には日本最大の前方後円墳[「大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)」(16代、仁徳天皇陵古墳) 全長486m〕や3番目に大きい[「ミサンザイ古墳(みさんざいこふん)」(17代、履中天皇陵古墳) 全長365m〕、そしてその近くに在って近親者や従者を葬っている小さな古墳・ 陪冢(ばいちょう)を含め44基が残っているそうだ。かつて100基以上在ったのが宅地開発の為に、だんだん減ってきたとか。
ちなみに日本で2番目に大きいのは古市古墳群に属する[「誉田御廟山古墳(ごんだごびょうやまこふん)」(15代、応神天皇陵古墳) 全長425m]だそうだ。

          ←履中天皇陵古墳

仁徳天皇陵古墳はエジプトのクフ王のピラミッドや中国の秦始皇帝陵と並び世界三大墳墓に数えられ、陵域は阪神甲子園球場の12倍らしい。
周囲は2・85kmというから、秦始皇帝陵はいざ知らず、クフ王のピラミッドを一周するよりは仁徳天皇陵古墳を一周する方が遥かに長い距離になる事はピラミッドに行った時の風景を思い出して納得できる。

そうそう、、4月1日から古市古墳群も併せて「MOZU-FURUカード( 古墳カード モズフルカード)」60枚が配布されているというので、5つ(仁徳天皇陵古墳・履中天皇陵古墳・孫太夫山古墳・長塚古墳・納塚古墳)だけだが、古墳の説明板を撮影して観光案内所で画像を見せ、カードをもらってきた。ちょっと嬉しい。(笑)

     いつか応神天皇陵古墳にも行きたいなぁ~。
  





  



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