昨日「まほろば健康パーク」主催のハイキングに参加してきた。
3月24日(火)
午前9時近鉄奈良駅に集合、天気晴れ、気温は昨日から急に2月中旬並の寒さに戻り大変寒かったが皆んなニコニコ顔で出発した。私も数十年ぶりの春日山散策なので体調を整えこの日を待っていた。
先ずは春日大社に参拝で一の鳥居をくぐって表参道を行くと、道の左手博物館への曲り道の側に面白い木があるのを教えてくださった。真ん中が空洞になっていて竹が伸び出ているムクロジだった。年を重ねて竹の本数は増えてきているそうである。ムクロジの根っこの隙間を縫って伸びてきた竹の子がここぞと芽を出しどんどん成長したのだろう。年老いたムクロジと素直で真っ直ぐな竹のまるで心が通うほほえましい光景だった。ムクロジは紅葉すると綺麗なので、秋になると笹の葉との共演でどの様な姿を見せてくれるのだろう・・・・・
本殿の参拝を済ませてから参道横手の小径に入ると、「中の禰宜道」(ねぎみち)の道標が在った。禰宜とは神官のことで、奈良時代に高畑に住む神官がこの道を通って春日大社に通ったそうで、高畑方面に抜ける近道らしい。
ついでながらネットで知ったのだが、禰宜道には上、中、下の3本が有り、一般にその名が良く知られている「ささやきの小径」は下の禰宜道になるらしい。ふぅ~ん。私にとって奈良大発見であった。
原始林の遊歩道は人通りが少なく静かだった。やはり春日大社の聖域故か、なんとなく心が引き締まるような気がした。
(画像はクリックすると拡大する)
案内版の地図で、周遊の“見どころ”を確認。
春日山遊歩道入口(南)~妙見宮 ~首切地蔵~大原橋~鶯の滝~若草山山頂~若草山登山道北ゲート。
ところで春日山は標高283mの御蓋山(みかさやま)とその東隣にある標高497mの花山(はなやま)の両山を併せた呼び名らしい。
春日山と聞けば思い出すのは百人一首に見る阿倍仲麻呂の歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出し月かも」であるが、奈良時代遣唐留学生として唐に渡り帰らぬ人となった仲麻呂がどれほど故郷を偲んでいたのだろう。それにしても3つの層がある若草山を昔は三笠山と呼んでいたそうで、幼い時からその様に聞いて育ってきた私は恥ずかしながら、歌の「三笠の山」を若草山の事だと思っていた時期があった。今は大丈夫だけれどね。(笑)
「妙見宮」に来た。
ここは「南無妙法蓮華経」と唱えながら太鼓をたたいて歩く団体さんに出会う時があるあの宗教:日蓮宗の修行所だそうだ。大きな石燈籠があり見上げるほど高い長い石段が続いていて、石段の横は山からの水が流れ小さな“せせらぎ”になっていた。「春日山滝坂妙見宮」(標高240m)として紅葉の名所だそうだ。
少し行くと「三本杉跡休憩舎」があって、三本杉には何の謂れがあるのかと案内板を探したが見当たらず、道路を挟む崖下に杉の大きな朽ちた切り株が見つかった。その太さは春日山が原始林である事を物語っていた。
「首切地蔵」に来た。
大和郡山藩の指南役:荒木又右衛門が試し斬りをしたお地蔵様だと伝えられている。錫杖を手にした背の高いお地蔵様は苔むして年代を感じさせる。背丈は2m近くもありそうで首に切れ目があり風化の進んだお顔をじっと見つめる気持ちにはなれなかったが、一面の緑の中で赤い前掛けがひときわ際立って印象的であった。
歩道のほとんどは砂利道だが、ほんの短い距離に自然石で敷き詰められた石畳もあって嬉しくなり、ちょっとワクワク心が弾んだ。まもなく「芳山(ほやま)交番所」に来ると、春日山原始林で見られる動植物の案内板があって、ムササビがいた。鳥類の仲間の様だが実際に見た事はなく一度観てみたいなぁ~・・・それに樹の上に卵を産むモリアオガエルも記載されていた。京都三千院の奥のお寺、勝林院の庭の樹に大きな泡の塊状の卵が沢山くっ付ているのを初めて見た時は感動して、池の中を覗き込んでカエルを探したのを覚えている。(笑)
「大原橋休憩所」の傍に「世界遺産 春日山原始林」の石標があった。春日山原始林は特別天然記念物の指定を受け、原始林とは言え自然遺産としてではなく文化遺産として世界遺産登録が成されているそうだ。
ココから「鶯の滝」まで0.7km、赤い橋を渡って小鳥の鳴き声を聞きながら緩やかな坂道を上って行くと、右手に「興福寺別院鶯滝歓喜天」の石標を見て、左手石段を降りると水音が聞こえてきた。10m程の小さい滝だが水は勢いがあって気持ち良く落ちていた。今日こうして歩いて登って来た精か、以前に友人を乗せて奥山ドライブウエイから入って訪れた時よりはるかに感激が大きかった。
次は「若草山」山頂(342m)を目指して500m。
「鶯の滝」を後にして歩き出した時ポツリポツリと雨つぶが肩にかかり、雨かと思えば雪だった。「雨より雪の方がマシね。」と言いながら雪との出会いに少し感動している私だった。(笑)
ハラハラと降る雪で目の前が白く感じる瞬間もあったけれど、しばらくして止んだ。「鎌研((かまとぎ)交番所」のある春日奥山道路入口を出て駐車場に来るとA先生手作りの“とん汁”のお接待があった。疲れているし寒いしお腹も空いていたので大喜びでご馳走になった。とても美味しくて元気回復、この日の忘れられないサプライズであった。
駐車場で各自持参のお弁当の昼食を済ませ、歩きもいよいよ終盤となり、午後1時40分に再出発。
若草山3重目・頂上からは奈良盆地一望の素晴らしい眺めに疲れはふっ飛び、もうここまで来れば・・・と私は早や達成感に近い気分になっていた。
「鶯陵」(うぐいすのみささぎ)の石碑が建つ「鶯塚古墳」、一月の「若草山焼き」はこの前方後円墳に眠る霊を慰める意味あいも有ると聞いている。入山料金所を過ぎて2重目に下ってくると大仏殿の屋根と県庁が見えて更にホッとする。そして足元の焼け焦げた草々があの夜の山の炎を思い出させてくれた。どんどん下ってふと横を見ると、馬酔木(あせび)の木が満開の白い花で包まれ大へん綺麗だった。
ついに若草山登山道北ゲートに到着。山麓から見上げる若草山はなだらかな曲線を描いて広がっていた。
再び雪が舞い散り私達は急ぎ足で「新公会堂」へ雨宿り否雪宿りで寄り道となり、知る人ぞ知る北の出入口からお庭へ入れてもらった。ピンクの枝垂れ梅や紅白の梅の花が咲き、敷地内にこんな綺麗なお庭があるとは知らなかった。広い芝生の裏庭では小彼岸桜が満開で正に見頃であった。
15年ほど前になるかなぁ~。こちらの能舞台で仕舞「高砂」を舞わせてもらったよなぁ~・・・懐かしい日が蘇ってきた。雪のお陰でお花見やら、若かりし時の思い出に浸らせてもらったり満足満足。。。。。
登大路に来るとお馴染みの“鹿せんべい”の景色が目に入る。そして氷室神社の桜も咲き始めた様で、境内は膨らんだ蕾の赤で染まっていた。
予定通り無事15時に奈良駅に到着。歩行距離は17kmだったそうで、しっかり体力が付いたかな(笑)
お疲れさまでした。ありがとうございました。
3月24日(火)
午前9時近鉄奈良駅に集合、天気晴れ、気温は昨日から急に2月中旬並の寒さに戻り大変寒かったが皆んなニコニコ顔で出発した。私も数十年ぶりの春日山散策なので体調を整えこの日を待っていた。
先ずは春日大社に参拝で一の鳥居をくぐって表参道を行くと、道の左手博物館への曲り道の側に面白い木があるのを教えてくださった。真ん中が空洞になっていて竹が伸び出ているムクロジだった。年を重ねて竹の本数は増えてきているそうである。ムクロジの根っこの隙間を縫って伸びてきた竹の子がここぞと芽を出しどんどん成長したのだろう。年老いたムクロジと素直で真っ直ぐな竹のまるで心が通うほほえましい光景だった。ムクロジは紅葉すると綺麗なので、秋になると笹の葉との共演でどの様な姿を見せてくれるのだろう・・・・・
本殿の参拝を済ませてから参道横手の小径に入ると、「中の禰宜道」(ねぎみち)の道標が在った。禰宜とは神官のことで、奈良時代に高畑に住む神官がこの道を通って春日大社に通ったそうで、高畑方面に抜ける近道らしい。
ついでながらネットで知ったのだが、禰宜道には上、中、下の3本が有り、一般にその名が良く知られている「ささやきの小径」は下の禰宜道になるらしい。ふぅ~ん。私にとって奈良大発見であった。
原始林の遊歩道は人通りが少なく静かだった。やはり春日大社の聖域故か、なんとなく心が引き締まるような気がした。
(画像はクリックすると拡大する)
案内版の地図で、周遊の“見どころ”を確認。
春日山遊歩道入口(南)~妙見宮 ~首切地蔵~大原橋~鶯の滝~若草山山頂~若草山登山道北ゲート。
ところで春日山は標高283mの御蓋山(みかさやま)とその東隣にある標高497mの花山(はなやま)の両山を併せた呼び名らしい。
春日山と聞けば思い出すのは百人一首に見る阿倍仲麻呂の歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出し月かも」であるが、奈良時代遣唐留学生として唐に渡り帰らぬ人となった仲麻呂がどれほど故郷を偲んでいたのだろう。それにしても3つの層がある若草山を昔は三笠山と呼んでいたそうで、幼い時からその様に聞いて育ってきた私は恥ずかしながら、歌の「三笠の山」を若草山の事だと思っていた時期があった。今は大丈夫だけれどね。(笑)
「妙見宮」に来た。
ここは「南無妙法蓮華経」と唱えながら太鼓をたたいて歩く団体さんに出会う時があるあの宗教:日蓮宗の修行所だそうだ。大きな石燈籠があり見上げるほど高い長い石段が続いていて、石段の横は山からの水が流れ小さな“せせらぎ”になっていた。「春日山滝坂妙見宮」(標高240m)として紅葉の名所だそうだ。
少し行くと「三本杉跡休憩舎」があって、三本杉には何の謂れがあるのかと案内板を探したが見当たらず、道路を挟む崖下に杉の大きな朽ちた切り株が見つかった。その太さは春日山が原始林である事を物語っていた。
「首切地蔵」に来た。
大和郡山藩の指南役:荒木又右衛門が試し斬りをしたお地蔵様だと伝えられている。錫杖を手にした背の高いお地蔵様は苔むして年代を感じさせる。背丈は2m近くもありそうで首に切れ目があり風化の進んだお顔をじっと見つめる気持ちにはなれなかったが、一面の緑の中で赤い前掛けがひときわ際立って印象的であった。
歩道のほとんどは砂利道だが、ほんの短い距離に自然石で敷き詰められた石畳もあって嬉しくなり、ちょっとワクワク心が弾んだ。まもなく「芳山(ほやま)交番所」に来ると、春日山原始林で見られる動植物の案内板があって、ムササビがいた。鳥類の仲間の様だが実際に見た事はなく一度観てみたいなぁ~・・・それに樹の上に卵を産むモリアオガエルも記載されていた。京都三千院の奥のお寺、勝林院の庭の樹に大きな泡の塊状の卵が沢山くっ付ているのを初めて見た時は感動して、池の中を覗き込んでカエルを探したのを覚えている。(笑)
「大原橋休憩所」の傍に「世界遺産 春日山原始林」の石標があった。春日山原始林は特別天然記念物の指定を受け、原始林とは言え自然遺産としてではなく文化遺産として世界遺産登録が成されているそうだ。
ココから「鶯の滝」まで0.7km、赤い橋を渡って小鳥の鳴き声を聞きながら緩やかな坂道を上って行くと、右手に「興福寺別院鶯滝歓喜天」の石標を見て、左手石段を降りると水音が聞こえてきた。10m程の小さい滝だが水は勢いがあって気持ち良く落ちていた。今日こうして歩いて登って来た精か、以前に友人を乗せて奥山ドライブウエイから入って訪れた時よりはるかに感激が大きかった。
次は「若草山」山頂(342m)を目指して500m。
「鶯の滝」を後にして歩き出した時ポツリポツリと雨つぶが肩にかかり、雨かと思えば雪だった。「雨より雪の方がマシね。」と言いながら雪との出会いに少し感動している私だった。(笑)
ハラハラと降る雪で目の前が白く感じる瞬間もあったけれど、しばらくして止んだ。「鎌研((かまとぎ)交番所」のある春日奥山道路入口を出て駐車場に来るとA先生手作りの“とん汁”のお接待があった。疲れているし寒いしお腹も空いていたので大喜びでご馳走になった。とても美味しくて元気回復、この日の忘れられないサプライズであった。
駐車場で各自持参のお弁当の昼食を済ませ、歩きもいよいよ終盤となり、午後1時40分に再出発。
若草山3重目・頂上からは奈良盆地一望の素晴らしい眺めに疲れはふっ飛び、もうここまで来れば・・・と私は早や達成感に近い気分になっていた。
「鶯陵」(うぐいすのみささぎ)の石碑が建つ「鶯塚古墳」、一月の「若草山焼き」はこの前方後円墳に眠る霊を慰める意味あいも有ると聞いている。入山料金所を過ぎて2重目に下ってくると大仏殿の屋根と県庁が見えて更にホッとする。そして足元の焼け焦げた草々があの夜の山の炎を思い出させてくれた。どんどん下ってふと横を見ると、馬酔木(あせび)の木が満開の白い花で包まれ大へん綺麗だった。
ついに若草山登山道北ゲートに到着。山麓から見上げる若草山はなだらかな曲線を描いて広がっていた。
再び雪が舞い散り私達は急ぎ足で「新公会堂」へ雨宿り否雪宿りで寄り道となり、知る人ぞ知る北の出入口からお庭へ入れてもらった。ピンクの枝垂れ梅や紅白の梅の花が咲き、敷地内にこんな綺麗なお庭があるとは知らなかった。広い芝生の裏庭では小彼岸桜が満開で正に見頃であった。
15年ほど前になるかなぁ~。こちらの能舞台で仕舞「高砂」を舞わせてもらったよなぁ~・・・懐かしい日が蘇ってきた。雪のお陰でお花見やら、若かりし時の思い出に浸らせてもらったり満足満足。。。。。
登大路に来るとお馴染みの“鹿せんべい”の景色が目に入る。そして氷室神社の桜も咲き始めた様で、境内は膨らんだ蕾の赤で染まっていた。
予定通り無事15時に奈良駅に到着。歩行距離は17kmだったそうで、しっかり体力が付いたかな(笑)
お疲れさまでした。ありがとうございました。