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石清水八幡宮

2011-03-28 | 日記
今日は暖かく京都で桜が開花したとラジオで聞いた。今年は寒暖の差が大きく一昨日は寒波到来で大変寒かった。3月11日に起きた東日本大震災で家を失い避難生活を余儀なくされている方々、暖房設備の充分でない避難所での零下の夜はどんなに辛いことか。そして福島の原発事故・放射性物質の流出でどんなにか不安な毎日を過ごしていられるか。安心して生活できる日が一日も早く戻ってきますようにと心から心から祈らずにはいられない日本の現況・・・・・

3月26日(土)
先日のお稽古で謡曲『女郎花』を習った。舞台は石清水八幡宮。そこにあるという男塚・女塚を見たい気持ちと石清水八幡宮と言えば兼好法師の『徒然草』に出てくるお寺ではなかったか?と思い立って出かけた。仁和寺の僧が石清水八幡宮に詣でた折、下院の高良神社などを拝み、それを石清水八幡宮だと思い込んで山頂にある本殿に行かずして帰ったという話。「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。」はあまりにも有名で、誰もが知るところである。

京阪電車、八幡市駅で降りた。ケーブルには乗らず、案内所で散策マップをもらい、そのまま一の鳥居から歩いて行くことにした。一の鳥居をくぐると右手に方丈池があり目の前の頓宮は工事中で北門は閉じられていた。(頓宮とは祭神や天皇の旅先での仮住居だそうだ。)
横の塀沿いに進んでいくと南門に来て参道に続く。左を見ると方丈川の安居橋(たいこ橋)が見えた。

二の鳥居をくぐり下馬碑を過ぎると階段は七曲り、曲がりくねってやや急な傾斜になっていた。頑張って歩いた。まもなく赤い祠・大扉稲荷社(オオトビライナリシャ)があり、道は2つに分かれていたが、表参道そのまま直進して本殿へ向かった。三の鳥居の手前右に茶店があって、そこのご主人に男塚のある場所を尋ねてみた。歴史に詳しい方のようで景清塚駒返しの橋滝本坊での松花堂昭乗の生活ぶり逸話などいろいろ語りながら、手書き地図を書いてくださった。ありがとうございました。
            

さて三の鳥居の手前に神馬舎があったが、馬は居なかった。7・8人のアマチュア画家さんがせっせと筆を動かしていられた。鳥居をくぐると参道の両側には大小様々な形の石灯籠が並んでいて、奈良の春日神社とはちょっと違った雰囲気を感じた。手水所手前右にある社務所の書院石庭にある六角の灯籠は700年以上も経つ重文だそうだ。
                

いよいよ本殿前、南総門に来た。本殿と共に、寛永時代三代将軍・徳川家光によって建てられ、重文だそうだ。回廊に囲まれた本殿も工事中で思う写真は撮れなかったが投稿しておこう。屋根が二段になっていて鮮やかな朱色!塗り替えられて間がないのだろう。
本殿裏側には校倉若宮若宮殿社などが建ち並んでいた。古き良きものを見る思いで心が落ち着いた。
若宮の屋根は傷んでいたが、この平成大修造(平成21年~30年)ですべてがきれいになるのだろう。
    
   南総門          本殿(楼門)                           若宮          若宮殿社

ふと見上げると雪がチラついてきた。が、帰るわけにはいかない。
折角の石清水八幡宮詣で!茶店のご主人のお陰で廻って見たい処がいっぱいなんだから。。。。。
白熱電球の発明者・エジソンの記念碑を見た。八幡宮にあった真竹が電球のフィラメントの材料に使われたことによるらしい。その近くで数人の愛鳥家さんがファインダーを覗いて歓声を上げられていた。聞いてみるとこの男山は野鳥の楽園で「イカル」というくちばしの黄色い鳥が群れを成して見れるんだと教えてくださった。確かに雀ぐらいの鳥の群れが一斉に跳びあがったのを私も見ることが出来たが?????
この寒さの中で絵を描く人、鳥を観察する人、厄除けの祈祷をお願いに来た人、お宮参りに来た人、単なる散策で歩きに来た人、私のような人、お寺はいつも沢山の人がやって来て賑わっているのだろう。

その後、あの稲荷社に戻り、景清塚を確認して駒返しの橋を渡り泉坊跡を通り石清水の井戸に来た。石清水八幡宮の社名の由来になった井戸。勺で水を汲んでみた。訳もなく嬉しくなった!滝本坊跡も確認。崖の上に茶室を造り外の景色を楽しんだ松花堂昭乗を想像して、背伸びして、高い木々の間からの景色を眺めてみた。(笑)この辺りは裏参道になるらしい。
            

山を下りたのは午後1時10分。小谷食堂でお腹を満たし、いよいよ男塚に向かう。
志ばん宗という和菓子屋さんの横の細い細い路地を入るとあったあった。小さい五輪塔!傍らに生える芦の葉は季節になると女塚の方に傾いて、見る人を納得させ楽しませることだろう。(笑)

女塚はココから2kmほど離れた松花堂庭園内にあるという。東高野街道を歩いた。
庭園の正門前には料亭吉兆の大きな立て看板もあった。知る人ぞ知るあの不祥事で名を汚してしまった吉兆。名を見たり聞いたりするとやっぱり思い出してしまうよな。
庭園には赤や白のアセビや椿がきれいに咲いていた。茶室(「梅陰」や「松陰」や竹陰)があって、案内版には小堀遠州や千宗旦の名が読めた。松花堂昭乗が一番お気に入りの草庵や書院は撮影禁止で撮ることはできなかったが、草庵は茅葺きのとても風情のある庵で、2畳の間にお床や水屋もあった。天井には真っ赤な太陽と2羽の鳳凰が描かれていた。書画を嗜み和歌を詠み茶道を極めた昭乗の高い学徳の証を垣間見たような気がした。
庭にはいろんな種類の椿があった。暗赤色の黒椿やピンクの金魚椿も。。。。。金魚椿といえば我が家にもあって今年初めて蕾を付けたのである。どのような花が咲いてくれるのかと毎日楽しみにしているところ。
                 (写真はクリックすると拡大する) 

女塚はこの広い広い庭の一体何処に?あった。あった。表門の出口の傍らにそれなりに立派な五輪塔。今の季節、女郎花の花は咲いていないが想像してみた。
頼風の足が遠のいたことを悲しんで方丈川に身を投げたなんて今の時代に誰が理解できようか・・・それにソレを哀れに思った頼風も彼女の後を追ったとは。物語は九州松浦潟より石清水八幡宮に詣でる為にやって来た僧に回向してもらって、めでたく結ばれたというが・・・・・

きょうの目的は達成。幸い雪はチラついただけで止んでよかった。再び一の鳥居の前に戻り、やわた走井餅を食べて休憩してから電車に乗った。適度に疲れウトウトとなりかけた彼と私のちょっと不謹慎な八幡宮詣でであった。


 
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