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伊勢神宮125社めぐり:その2

2011-11-27 | 日記
伊勢神宮125社めぐり」第2回目に参加してきた。
前回は倭姫宮以外はすべて外宮の正宮(豊受大神宮)にゆかりのある神社であったが、今回は内宮の正宮(皇大神宮)にゆかりのある神社のようで、鴨・外城田(ときだ)13社めぐりであった。いずれも田園の中にあって祭神はこの土地の水利灌漑、水の神様だそうだ。

午前10時10分、バスは宇治山田駅を出発して宮川を渡り、最初に奈良波良(ならはら)神社に向かった。入り口には享保年間のもの、「禁殺生」の石標があった。この森の中に生息する魚や鳥など動物の狩りはこの時代から禁じていた事が解る。

田乃家神社(たのえじんじゃ)に来た。このお社には田乃家御前神社の神様もお祭りされているそうである。
千木は水平に削がれ鰹木は偶数、女の農家神・大神御滄川(おおかみのみさむのかわ)神とその御前神ということ。
下段写真右端:勿論どの神社にも共通して有る、横の空地は式年遷宮の折に新しいお社が建てられるようになっているそうだ。社殿を20年に一度造り替えられる行事『式年遷宮』、次回は第62回目で平成25年だそうだ。第1回は持統天皇の御時690年だったそうで、遠い遠い昔からずっとずっと続いてきたわけだ。

お社の真下には柱が埋められているというので、そっと板垣の中を覘かせて頂くと納得できた。(神様御免なさい。)こうあることで遷宮がきちんと定位置に収まるわけだ。成程・・・・・
              (画像はクリックすると拡大する)


3つの神社の参拝を終えて昼食は「ふるさと味工房アグリ」でのバーベキュー。老寄りの二人暮らしでは久しぶりのバーベキューで美味しかったね。

次の鴨神社、玉城町的山の中腹、ここへは500m程の急な坂道を登るのであるが、休憩をしながら頑張った。清楚で厳粛な雰囲気が漂う神社!皇大神宮と同じ時期に造られていて、摂社では2番目に格式のある神社だそうだ。そして神社の奥には斎王(天皇の代わりに伊勢神宮に仕える内親王)が使う氷を貯めておく氷室があったそうで、その跡を見たい人だけ細い道を登って行くと、綺麗な水が湧き出ている場所があった。この辺りだったのかな?
なにかしらすっきりした気分になって山を下りた。
                

バスは津布(つぶら)良神社に向かって田んぼ道を走った。竹林を登っていくと黒い小さな実が地面にいっぱい落ちていて、“椎の実”だと教えてもらった。噛んでみると香ばしい味がしたよ。戦争中、食料不足の時代には炒って食べたそうである。珍しいものを味見できたよ。(笑)

神社入り口の石段の手前にある水鉢、水がきれいで管理の程が伺える。
下段写真右端:この空間はどこの神社にもある空間でやはり聖域。祭りの行事において神具の置場になるそうで、むやみに踏み込んではいけないオーラを感じる場所である。
                 

ところで、今日は前回よりも落ち着いてお社の違いを見分ける余裕が出来た私。
お社の板垣(玉垣)に違いがあるね。何が基準になっているのか次回に聞いてみようと思うが、千木の数が多いほど格式が上、ならば、6本の神社には扉があるのかな?

今日はラッキーな日!
どの神社にも「はばかり」がないので一般神社でバスが一時駐車した。
一般神社幸神社新嘗祭(にいなめさい)の行事に遭遇。稲の収穫が終わってこの神社のお祭り日だったのだ。撮影を許してもらって1枚、これは観衆の私達もお祓いを受けているところである。ありがとうございました。

13社を巡り、最後に田丸城跡の見学と朝日新聞創始者・村山隆平の記念館に入館できた。玉城町田丸はこの偉大なる翁の出身地だそうだ。へぇ~。。。。。

そうそう案内人の方に教えてもらった事をもう1つ!
神社でのお参りの礼拝作法で「二礼二拍一礼」は誰もが知るところであるが、手の合わせ方である。お寺でするように両手をきっちり合わせるのではなく少しずらせるのだそうだ。そう言われてみれば確かに柏手を打つ手の形はコレだ。そしてお賽銭は最後に投じるものだそうだが、こればかりは全く逆の習慣が身についていたなぁ~。。。。。

いろいろ学ぶ事の多い楽しい「観光ガイドと巡る伊勢神宮125社めぐり」であることよ!













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