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伊賀へ

2024-01-20 | 日記
今日1月20日は大寒、4・5日前の特に寒かった日には庭の水鉢に薄い氷が張っていた。これから更に寒い日が来るんだよな。
1月14日、貞様の17回忌法要に大阪へ出かけたついでに四天王寺に立ち寄ったところ、お寺の仁王門前で「とんど焼」行事が行われていた。旧暦1月15日の小正月を待って我が家もお正月飾りを片付け、日常が戻っている。
そして先一昨日、二人はは三重県、伊賀温泉に出かけてきた。
折角なので伊賀上野城の見学をも兼ねていた。ワンマン伊賀鉄道に乗るのも楽しみだった。(笑)

 2024年1月17日(水)
伊賀鉄道上野市駅(うえのしえき)で降りると、ホームには忍者のコスプレ人形が並び、駅名はなんと「忍者市駅」と書かれていた。忍者道具の「クナイ」のオブジェが置かれていたりで私は瞬時にして忍者ファンになった。(笑)
飛鳥時代から活動していたという「忍び」、私は忍者について深くは知らないのに甲賀忍者より伊賀忍者に思いを寄せているのは、テレビドラマの見過ぎかな?(笑)

駅前広場に松尾芭蕉の銅像が建っていた。そうか芭蕉は伊賀市で生まれ(1644)たのか・・・・・初めて知った。
幼少の頃、翁の句で先ず最初に覚えたのは「ふるいけや かわずとびこむ みずのおと」だったように思う。(笑)今までの人生、旅の行く先々で数えきれないほどの句碑に出会って親しんできたよな。

          (画像はクリックすると拡大する)  
 
上野公園まで歩いて午後1時47分、目の前に伊賀上野城(白鳳城)を見た。
このお城の創築は天正13年(1585年)、耳にお馴染みの筒井順慶の子・筒井定次(つついさだつぐ)によるらしい。
その後、慶長13年(1608年)に築城の名人・藤堂高虎によって五層の天守が築かれたが、慶長17年の大暴風雨で倒壊し、その後は天守なしの城になっていたそうだ。

        

現在の白い綺麗な 木造三層の復興天守閣は、当地の代議士(衆議院議員のこと)、川崎克氏が私財を投じ支援者の協力を得ながら藤堂氏の天守台に建てたものだとか。 昭和7年(1932)に着工、昭和10年(1935)に竣工とのこと。 …
1階と2階は展示館になっていて武具など様々な展示物が、そして3階は展望館でパノラマ景色が楽しめた。私は2階の格天井が大いに気に入った。3階の格天井には著名人の書画の大色紙がはめ込まれていた。
高さ29.7mという「打ち込みハギ」の壮大な高石垣(たかいしがき)に感動しながら一周した。日本一と言われる大阪城のよりは少し低いようだが、素晴らしい!

                 

  
お城見学に満足したところで午後4時ホテル送迎バスで宿に向かった。
お料理はとても美味しかったが、勢いのある泡立ちお風呂は私には少々ムリがあった。(笑)

  1月18日(木)
朝10時送迎バスでホテルを出発。忍者ファンになっていた私は、だんじり会館で忍者衣装を借りて変身し格好よく写真を撮りたいと思っていたのに、脚に不具合を感じ始めていたので予定変更。(笑)
「くみひも道場」で「くみ紐キーホルダー」作りを体験する事にした。丸台という組台を使って絹の色糸と金銀糸を交互に組んでいくのだが、少々集中力が要った。丁寧に誘導して見守って下さったので無事完成!(=^v^=)
組み紐の歴史は古く、奈良朝以前にさかのぼるらしい。時代が変わり着物を着ることも滅多に無くなった今、私も身近に使っていた帯締めはタンスの中に数本眠っている始末。
たとえ需要は少なくなってもこの伝統伎は永遠に残って欲しい気がする。。。。。
伊賀の思わぬ大切な思い出なので、キーホルダーは今日の日記トップに投稿したよ。(笑)

脚を労わりこれ以上ウロウロするのは諦めて家路につくことにしたが、満足の伊賀旅行であった。






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