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三宅古墳群

2020-06-22 | 日記
庭のブラックベリーの実が熟してきた。甘酸っぱくていい感じ。
昨日21日夏至の日の事。Jちゃんのママが行くかも知れない介護老人施設(ぬくもり 田原本)の場所確認に行った。
黒田駅のすぐ近く、Mちゃんのお茶処を久しぶりに訪ねると、にこやかな笑顔に出迎えられ、美味しいケーキとコーヒに大満足した。Oさんとも懐かしい話に花が咲いて楽しかった。

  6月21日(日)  
彼が言うに、三宅町には幾つもの古墳跡があるらしく、来たついでに巡ることになった。
町役場の近くに万葉歌碑があり、万葉集に詠われた(卷十三 三二九六)「あざさ」を咲かせている所に、未だ水道のない昔に使われていた井戸水を汲み上げるポンプが置かれていた。「こうやって動かすんだよ。」彼は早速触っていた。(笑)勿論私も知っているよ。
掲示板に“てくてくマップ”が有って5ケ所を選び、サイクリングをスタート。
                           (画像はクリックすると拡大する)

先ずアンノ山古墳に着く。と言っても用水路沿いの普通の畑にしか見えなかった。三宅町教育委員会の説明板に依れば、全長40.5m、高さ1~1.5m程度の前方後円墳であるらしい.。2019年に周濠の調査が行われ、出土した須恵器から6世紀中頃以降の築造と分かったらしい。

(Wikipedia 注:古墳時代の土器には、「土師器」と「須恵器」の2種類がある。 「土師器」…弥生土器の流れをくみ、野焼きで焼かれた。茶褐色でやや軟質。「須恵器」…古墳時代中期(5世紀)以降、朝鮮半島から製作技術が伝わり生産が始まった。窯を使って1,000度以上の高い温度で焼かれ、青灰色で硬質。)

次に「ひょうたん山古墳」へ行った。墳頂には石碑が建てられていた。土階段を上って四方を眺めると、三宅町の田園風景が綺麗だった。底辺の田んぼには土蛙が飛び跳ねタニシが我が天国と言わんばかりに沢山遊んでいたよ。(笑)


道路側まるで竹藪の様に見える「高山古墳」は前方後円墳だそうで6世紀前半のものらしい。道路工事の折、円筒埴輪や形象埴輪が出土し、特に犬形埴輪には額から鼻にかけて珍しい綾杉文状の線刻が描かれているとか。その特徴から5世紀末の築造と考えられている。三宅町文化ホールに展示しているというので次の機会にでも立ち寄って見ようと思う。

そこから北方向へ少し行った所に、茄子塚古墳が在った。
「ひょうたん山古墳」と同じく田んぼの中にある。方墳の様に見えたが角度を変えると分かりにくく、本来は円墳と考えられているそうだ。須恵器が出土していて、造られたのは5世紀終わりから6世紀にかけてらしい。


「寺の前古墳」には周濠の痕跡が残っていて、素敵だった。
全長34mの前方後円墳で過去に盗掘された記録が有り、石室の中には土器や武具類が埋葬されていたそうだ。6世紀前半と推定されている。
立て札を読みたくて、背の高い雑草が生い茂る道をかき分けたどり着いた。蛇が苦手でひるむ彼を差し置き、私は長い棒を片手に先に歩く、なんと勇敢な事かと!でも私だって、決して蛇は好きじゃないんだよ。(笑)

        三宅古墳群はいずれも5世紀後半頃のものであるらしい。

Mちゃんの手作りケーキを味わいながら田んぼを渡ってくる優しい風に誘われ、外に出ると“かんぴょう”が植えてあった。
和歌を嗜み博学多才な彼女に教えてもらった。万葉集に詠まれている夕顔の花は“かんぴょう”の花だとか。ふぅ~ん、1つ賢くなった。
話題に上った十薬茶、帰りがけに天日干ししたドクダミの束を頂いた。彼女の家の中庭で育った草らしい。来年に挑戦してみようと思っていた矢先なのでとても嬉しく早速煎じて作ってみた。苦味は無く美味しい。先日嗅いで困ったあの独特の臭いは何処へ・・・・・

          

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