2月22日(金)
近頃よく耳にする『和のあかり』に魅かれて、今日は斑鳩の里、法隆寺に出かけた。国宝の法隆寺中門(飛鳥時代)の修理が昨年12月末に終わったとも聞いていたのでその姿も見たかったのである。
『和のあかり』は午後4時半からなので、4時10分に到着。
「松の馬場」と呼ばれる松並木の前の住人の方がいろいろ教えて下さった。中門は雨漏りが有り屋根の葺き替えや基壇の傾斜もあって、石の組みなおし等も行われたそうだ。明治の修理から110年ぶりの工事は平成27年6月から始まり3年余りかかったらしい。
この間の修学旅行生はエンタシスの柱が見れなかったんだよな。
2021年には聖徳太子(574~622年)1400年の年忌法要・御遠忌(ごおんき)が行われるそうで今からいろいろ準備が始まり、コレも聖徳太子の「和」の精神を表現する催しらしい。そうだよな、十七条憲法の第1条に「和を以って貴しと為す」が定められているんだったっけ。私は父から何回も何回も聞かされたものだ。我が子の名前に「和を使ったのも頷ける(笑)
聖徳太子を身近に感じた時代が過ぎていく1つにお札の顔がある。万札にも5千円札にも千円札にも記憶がある我が世代。子供の頃のお年玉は確か聖徳太子のお札だった。
(画像はクリックすると拡大する)
ところで今日2月22日は太子のご命日にあたり、太子の輿衆やお坊様そして一般人が、お寺を出発して大阪府南河内の叡福寺まで太子道を通って太子の墓所・磯長墓(しながのはか)まで行かれる行事があったそうだ。
また毎年11月22日には法隆寺から明日香村の橘寺まで太子を忍んで歩く「太子道をたずねる集い」行事もあるらしい。聖徳太子は橘寺で誕生されたそうだ。ふう~ん、そうだったのか。。。。。
「太子道」といえば、安堵町の飽波神社(あわじんじゃ)や三宅町の白山神社にある「太子腰掛の石」を思い出す。白山神社には愛馬・黒駒を繋いだ柳の木もあったと聞いたことがある。
太子が職務で斑鳩の里から飛鳥の小墾田宮(おはりだ宮)を往き来されたという道を歩くハイキングコースがあるが、それと同じ道なのかな、違うのかな?いずれにしても11月22日の集いは法隆寺の大切で厳粛な行事のようだ。
境内を廻っていると、一人の婦人が東大門から入ってこられた。声をかけると、昨日長野県から京都に来て今日は東寺と吉野山へ行ってココに来たのだと言われてビックリした。一人旅である。そんなに若くもなく5つぐらいの差かなと思う。お四国108ケ所巡拝の最後で東寺にお礼参りだったそうだ。108ケ所の歩き遍路を済ませていた事を話すと、「まぁ~ 先輩に会えてとても嬉しいです!」と握手を求められ少々戸惑ったが、彼女の完歩の喜びが解るので心からおめでとう!お疲れ様が言えた。
「声をかけて下さってありがとう。」「いいえ 私こそ元気を貰ってありがとう。懐かしい思い出が蘇りましたわ。」
ロトロ歩いている自分が恥ずかしくなり、頑張らなくっちゃ、という気持ちになって、この不思議な出会いが嬉しかった。明日は斑鳩の吉田寺と融念寺に参拝してから帰るとの事で更に驚き、彼女の爽やかな笑顔がずっと私の心に残りそう。
そうこうしているうちに薄暗くなってきた。斑鳩町の小学生や幼稚園児達が木片やペットボトルで作った灯籠にLED電球(100円ショップで見かけるローソクの形をしている)が灯され準備は完了した。カラーマジックで描いた絵それにデザインにも夫々個性があって見ていて楽しい。私も作ってみたくなった1つをアップしておこう。
木片とはミニミニ木琴を円筒にしたのをイメージしているとか。成程!
松の馬場の入り口に並べられていた番傘のイルミネーションが素敵だった。真っ暗闇に灯る『和のあかり』全光景を想像しながら帰路についた。
近頃よく耳にする『和のあかり』に魅かれて、今日は斑鳩の里、法隆寺に出かけた。国宝の法隆寺中門(飛鳥時代)の修理が昨年12月末に終わったとも聞いていたのでその姿も見たかったのである。
『和のあかり』は午後4時半からなので、4時10分に到着。
「松の馬場」と呼ばれる松並木の前の住人の方がいろいろ教えて下さった。中門は雨漏りが有り屋根の葺き替えや基壇の傾斜もあって、石の組みなおし等も行われたそうだ。明治の修理から110年ぶりの工事は平成27年6月から始まり3年余りかかったらしい。
この間の修学旅行生はエンタシスの柱が見れなかったんだよな。
2021年には聖徳太子(574~622年)1400年の年忌法要・御遠忌(ごおんき)が行われるそうで今からいろいろ準備が始まり、コレも聖徳太子の「和」の精神を表現する催しらしい。そうだよな、十七条憲法の第1条に「和を以って貴しと為す」が定められているんだったっけ。私は父から何回も何回も聞かされたものだ。我が子の名前に「和を使ったのも頷ける(笑)
聖徳太子を身近に感じた時代が過ぎていく1つにお札の顔がある。万札にも5千円札にも千円札にも記憶がある我が世代。子供の頃のお年玉は確か聖徳太子のお札だった。
(画像はクリックすると拡大する)
ところで今日2月22日は太子のご命日にあたり、太子の輿衆やお坊様そして一般人が、お寺を出発して大阪府南河内の叡福寺まで太子道を通って太子の墓所・磯長墓(しながのはか)まで行かれる行事があったそうだ。
また毎年11月22日には法隆寺から明日香村の橘寺まで太子を忍んで歩く「太子道をたずねる集い」行事もあるらしい。聖徳太子は橘寺で誕生されたそうだ。ふう~ん、そうだったのか。。。。。
「太子道」といえば、安堵町の飽波神社(あわじんじゃ)や三宅町の白山神社にある「太子腰掛の石」を思い出す。白山神社には愛馬・黒駒を繋いだ柳の木もあったと聞いたことがある。
太子が職務で斑鳩の里から飛鳥の小墾田宮(おはりだ宮)を往き来されたという道を歩くハイキングコースがあるが、それと同じ道なのかな、違うのかな?いずれにしても11月22日の集いは法隆寺の大切で厳粛な行事のようだ。
境内を廻っていると、一人の婦人が東大門から入ってこられた。声をかけると、昨日長野県から京都に来て今日は東寺と吉野山へ行ってココに来たのだと言われてビックリした。一人旅である。そんなに若くもなく5つぐらいの差かなと思う。お四国108ケ所巡拝の最後で東寺にお礼参りだったそうだ。108ケ所の歩き遍路を済ませていた事を話すと、「まぁ~ 先輩に会えてとても嬉しいです!」と握手を求められ少々戸惑ったが、彼女の完歩の喜びが解るので心からおめでとう!お疲れ様が言えた。
「声をかけて下さってありがとう。」「いいえ 私こそ元気を貰ってありがとう。懐かしい思い出が蘇りましたわ。」
ロトロ歩いている自分が恥ずかしくなり、頑張らなくっちゃ、という気持ちになって、この不思議な出会いが嬉しかった。明日は斑鳩の吉田寺と融念寺に参拝してから帰るとの事で更に驚き、彼女の爽やかな笑顔がずっと私の心に残りそう。
そうこうしているうちに薄暗くなってきた。斑鳩町の小学生や幼稚園児達が木片やペットボトルで作った灯籠にLED電球(100円ショップで見かけるローソクの形をしている)が灯され準備は完了した。カラーマジックで描いた絵それにデザインにも夫々個性があって見ていて楽しい。私も作ってみたくなった1つをアップしておこう。
木片とはミニミニ木琴を円筒にしたのをイメージしているとか。成程!
松の馬場の入り口に並べられていた番傘のイルミネーションが素敵だった。真っ暗闇に灯る『和のあかり』全光景を想像しながら帰路についた。