ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

今年のこと1 山間窪田遺跡 (ヤンマ、クボタ、イセキ)

2023年12月19日 | 発信

我が舟山集落は山の上にポツンと広がる平らな村だ。


3Dで見ると田河川の両側には河岸段丘が広がる。
左側の沢は南魚沼、魚野川は南北の流れ。
右側は十日町からの信濃川、やはり南北だ。
旧堀之内町だけが東西の沢なのだ。


魚沼にありながらここだけ花産地ができたのは、、、、きっと違う人類がいたのではないだろうか?
先人が最初に芍薬の苗を買ったのが大正13年らしい。
来年で花が入って100年を迎える。

相変わらず道路工事より優先される遺跡調査。


8月に見学会がありましたが、、、、びっくり。



大量の発掘物、、、、


リッチなものあったようです。


子供のままごと用?


何せすごい数の柱を建てた跡。


これだけ柱が立っていたわけではなく、建て替えるときに隣を掘った後らしい。
つまり、この地は住みやすく、何世代にもわたって人が住み続け、家を建て替えたので穴が多いのだとか。


深くて穴の底が広がっているのはフラスコピットと呼ばれる食糧貯蔵庫だ。



多くある竈門跡です。





土器を埋めた脇から火を焚いて煮炊きしたらしい。
当時の土器は底を温めると割れたのだろう。


おおよそ4000年前以前の遺跡らしい。当時はあまり雪は降らなかったようだ。
縄文時代は山の草や木の実、動物を狩っては食料にしていたらしい。
なので人々は争うよりは強調しあいながら平和に暮らしていたようだ。
弥生時代以降は食料が貯蔵できるようになった。
すると、、、奪って調達する方が安易なことに気付いて争いがおこるようになったそうな。
守るために城を築くようになり、領土争いとなり、、、、戦争へとつながって、、、今日に至る。

ここにいた人たちは我々の祖先なのだろうか。
当時のお姉ちゃんはノースリーブだったのか?



なおも人の営みは続きます。

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