ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

面影橋から

2010年07月06日 | 発信


7月5日、月曜日のせり、荷はそれほど多くない。
東京のお盆需要期には入っているものの、実際には一歩手前で買い控えしたい日なのだ。
前取りされた物が少なかったようで、上場数は多い。
値ごろな価格帯を想定した産地の物は、引きが弱く、かわいそうな単価にしかならない。
せり前取引中心の時代とは言え、せり場での魅力は大事なのだ。

先に押し付けられた格好で購入意欲がなえてしまうと、その後に欲しい品質のものが流れてもお腹いっぱいみたいなことになる。
引きの弱さはそのまま尾を引いて、ほとんどの荷でマリ中が長い。
立たないセリを見学するのはつらい。

懇談の中でも良い話はあまり聞かれない。
「 花屋さんの閉店が多い、町に根付いたような古くからの花屋さんが特に多くなっている。 」
「 でも高いテナント料に苦しむ花屋さんも多い、店を自前で持っている店屋さんがやはり強い 」
相反する二つの現実。もっと根本的な花消費を維持するような取り組みが必要と、意見は一致するものの、、、、

晴れない気持ちのまま、久しぶりの東京を歩く。


駅周辺で花屋さんを見つけるとまずあいさつ。

4件の花屋さんを尋ねたが、堀之内のゆりを買ったことのない花屋さんは無かった。
品質の話し、値ごろ感と供給の話。どの点でもお叱りを受けることは無かった。

市場に紹介された、古くからの花屋さんを訪ねる。
ご主人と甥子さんで経営されているとかで、まだ仕入れから帰っていなかった。
「うちは無理な仕入れはしないんだよ」とご主人。
確かに店の中は売れ残ったものが少ない。
老婦人が玄関用にと菊を買い求めようとした所、「お宅の玄関はこっちのほうが似合うよ、季節感もあるし」とひまわりを勧めた。
常連客の玄関の雰囲気までわかっていて花を勧める。

日本人が花を飾るという行為。
4つの季節を追い、24の節季に分け、節季ごとの祭事に添える。
先祖を思い、暮らしの一時に立ち止まり花をめでる。
花を飾る文化、行為に対し一時立ち止まり、時々の思いに言い訳を付ける。それが花を飾る文化なのだ。
量販中心、花が手ごろな価格で普及すること、それはそれでとても良いことではあるが、何か大事なことをおき忘れながら来ている様に思えてならない。

昔々、大塚で乗り変えて荒川線にゴトゴト揺られながら親戚の花屋さんを訪ねたことを思い出す
おもかげ橋の駅を通過するとき、アーここかと驚いた。

親子二代、60年続いた花屋も今はもう店を閉じて数年たつ。
やるせない思いがこみ上げて、、、古い歌を口ずさむ。




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コメント (3)
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