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お寺さんぽ Ver.03

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大聖寺合戦、最後の出撃・宗滴さま (朝倉宗滴)6

2006年10月31日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は宗滴(そうてき)の名前が有名な、越前は朝倉家の英雄、「朝倉教景(あさくらのりかげ)」です。

救国の英雄宗滴さまに休息の暇はありませんでした。
…というか、あちこち出張りすぎですよ。その忙しさは「みのもんた」みたいでした。
さて、宗滴さまが長い戦陣にまみれていた中、お隣の加賀では再び「本願寺」勢力が確実にその勢力を増していたのです。


■天文十七年(1548) [当主「宗淳孝景」死去]
寺院参詣の帰途に「宗淳孝景」は急死。
享年五十五。
文道を左に、武道を右にした風流太守」と言われ、朝倉氏の全盛期を築いた「宗淳孝景」ですが、彼の最大の失策は子にありました。
後を継いだ嫡男、十一代「朝倉義景(※写真)」はこの時わずか十四歳。
なんと「宗淳孝景」四十一歳にしての初子で、しかも唯一の実子だったようなのです。(諸説アリ)
想像でしかありませんが、おそらく甘やかされて育ったのだと思います。

父親同様に「朝倉宗滴」が政務・軍事を補佐し、その存命中は問題ありませんでした。
がしかし、その死後になると、失政・失策が目立つようになり、結果として滅亡へと導いてしまう最後の当主となるのです。
…でも、それは後々のお話。


■弘治元年(1555) [最後の出陣、大聖寺表合戦]

一揆勢の拡大に危機感を募らせていた宗滴。
当主「朝倉義景」に進言し、「本願寺」一向一揆勢壊滅のため、出陣するのです。
当時の「朝倉義景」は二十二歳、補佐する「朝倉宗滴」は七十九歳でした。
推測ですが、宗滴はこれが最後の出撃と感じていたでしょう。
彼は朝倉家の未来のため、最大の邪魔者である「本願寺」を壊滅させる覚悟だったと思います。
(※本願寺と雪がなければ、朝倉氏は天下を取るだけの実力があったと言われています)

「朝倉宗滴」は共に「本願寺」一向一揆勢を敵とする「上杉謙信」の川中島出兵に呼応し、居城「金ヶ崎城」を出陣。
一乗谷にて軍容を整えると、加賀へ侵攻しました。
宗滴は橘山へ陣を張ると、すぐさま「本願寺」一向一揆勢の拠る「大聖寺」ほか周辺の諸城へ攻撃開始。
さぁ、ここからが腕の見せ所です!!

□主戦場となった「大聖寺(※加賀市大聖寺地方町)」はこの頃は「津葉城」と呼ばれており、一族の「朝倉景連」勢が攻略。

□「南郷城(※加賀市南郷町)」に篭る「黒瀬掃部允(くろせ・かもんのじょう)」ら一揆勢は宗滴率いる主力によって一日で落城。

□「千束城(※加賀市作見町)」には「潟山津大助(かたやまづ・だいすけ)」「振橋帯刀(ふるはしたてわき)」らは一揆勢が篭っていましたが、こちらも一日で落とされています。

順調に諸城を落とす朝倉勢。
さらに軍を進めた「朝倉宗滴」は本陣を敷地山へと移しました。
この敷地山は敷地城(※加賀市大聖寺岡町)とも呼ばれ、一般には金吾城(きんごがじょう)とも言われていました。

ここで計略を練った宗滴は、家臣「萩原宗俊(八郎右衛門尉)」にわずかな手勢を与え、鷹尾山を登らせます。
それを攻めようと「超勝寺」派二万五千の門徒が出陣すると、宗滴ら主力勢はこれに攻めかかるのです。

おびき出された格好になった「超勝寺」ら一揆勢はここで壊滅的な打撃を受けるのでした。
朝倉勢の大勝です。
しかし、七十九歳だった「朝倉宗滴」はさすがに長陣の無理がたたって病を発し、一乗谷へ帰陣して没しました。

この最後の合戦でも、大聖寺城、南郷、津葉、千足など諸城を陥落させ、攻撃してきた一揆勢を散々に討ち取るなど、各地で勝利・多大な功をあげたのでした。


朝倉氏の主力として長きに渡って各地で転戦した宗滴さま。
数々の武勲だけでなく、文人としても有名で、まさに文武両道の武将でした。

また、こんな興味深い話があります。
宗滴は死の間際「織田上総介(信長のこと)の行く末を見てみたい」と言ったそうです。
当時はまだ「桶狭間合戦」の前で、尾張統一戦の頃でした。
美濃の蝮こと「斎藤道三」と同じく、新時代に相応しい武将と見抜いていたのかもしれません。

武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候
(※武士は犬と言われようが、畜生と言われようが、勝つことこそが重要だよ、ってな意味)

朝倉家三代を見守った宗滴はこうしてこの世を去るのです。


【 戦国メーター★朝倉宗滴 】 …当主じゃないけどね。
 家柄: ■■■□□ 本来なら4ですが、当主でないのでマイナス。
 実力: ■■■■■ 実力は折り紙つき。特に軍事才能は飛びぬけていたようです。
 地理: ■■■□□ 京には近いですが、雪が降ること、寺社勢力が強いことがマイナス。


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 しかし「大うつけの章」ってのはそのまんまなネーミングですね(笑)


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