故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

存在感

2021-07-06 03:58:41 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「今晩のおかず何にしようか」です。
見ようによっては、違うことを想像できる。
隣りにいる馬鹿面のあなたは、私のなに?
なんで、恋人(亭主)面しているの。
いやいやそれは、今考えることですか。
でも時々は思うことでしょう。
そばにいる人が、オンリーワンですよ。


今日のタイトルは、「存在感」です。
さて、難しいタイトルです。
サルトルなど持ち出さないでも、Identity(存在証明)と言えばわかりやすいかもしれない。
簡単に言えば、オンリーワンです。

飲んで、5000円の代行賃を払っても我が家へ帰る。
既婚者なら、疑われる前に払拭する。
独身者なら、近くのビジネスホテル(カプセルホテル)に仮の宿を求めるのが普通でしょう。
年間100日以上、出張と言って世界を飛び回っている同僚がいた。
西回りを東回りに変更して、アメリカから日本へ来てもらった。
仕事が終わったら、ヨーロッパへ東回りで帰っていった。
ヨーロッパの我が家で週末を過ごし、またアメリカに渡った。

しかし、20年に渡る単身赴任を過ごしたものは、我が家がとても居心地悪い。
自分の席は、空白のままではない。
車寅次郎の部屋が、誰かに貸されているようなものである。
寅次郎だけでなく、また旅に出るでしょう。あるいは、赴任先へ戻りたいでしょう。

あなたが既婚者ならば、あなたに代わる人はいないはずです。
金の切れ目(定年)があったって、迎えてくれるはずです。
亭主元気で留守がいい。とはならないはずです。

妻が三日間家を空けた。
プレーイングマネージャー(飯を作り、自ら食しておしまい)は味気ない。
マネージャーは、人心掌握してチームをまとめる。
プレーヤーは、不満を持ちながらもついていく。
妻は、とんぼ返りになろうともいったん我が家に帰った。
我が家ではすることが山とあり、帰った故郷では手持無沙汰なのである。

暮らしのなかで、オンリーワンは活躍する。
我カフェの閉店を涙を流さんばかりに残念がってくれた。
想いもよらぬことでした。
いずれ、過去の藻屑となろうとも、思い出の詰まったカフェは存在した。
あなたの家族の誰かが不調になったとて、代わるものはいないから大事にする。
あなたは、オンリーワンです。
較べようのない、お父さんでありお母さんです。
そして、子どもです。
そのはずなんだけどな。
それを実感できますか。

出来るとよいですね。

2021年7月6日

存在感とは、
独特の持ち味によって、その人が紛れもなくそこにいると思わせる感じ。
自分がそこに確かに存在しているという実感。
(広辞苑より)
Identityとは、
誰であるか、身元、正体、出所;身分証明書。
(オーレックス英和辞典より)
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無精者

2021-07-05 05:45:09 | よもやま話

那覇の辻にある公衆トイレの上に鎮座していた「抱き合うシーサー」(絵のタイトル)です。
元気だなと、傍目に通り過ぎました。


横のモノ 無ければもっと よいのかな

今日のタイトルは、「無精者」です。
男やもめに蛆がわき、女やもめに花が咲く、と言われる。
今や死語に近い。
女も男も仕事に就いており、主婦という職業も少なくなった。

さて、無精者について語りましょう。
風呂に肌着のまま入る。
頭から始めて、シャツの上から石鹸を塗る。
湯船に浸かって、さっぱり。
身体もシャツもすすいで、はいおしまい。

妻が、緊急の用事で広島に帰った。
朝餉を作り、食卓に並べる。
一人の食事は腹を満たすだけである。

独身の頃の話。
ラーメンは鍋のまま食った。
洗濯物も吊るし干しの中から乾いたものをとって着た。
寒い時は、新聞紙を丸めて敷き詰め、暖を取った。
ネクタイも2本だけ。うち一本は黒でした。
引っ越しだって、最初は電車、次は友人の車、その次はリヤカーでした。
3畳から6畳間に移った時は、広い空間に戸惑いました。

妻から電話があった。
疲れて朝寝したとのこと。
私はゴルフの練習に行くのをやめて昼寝した。
二人でいたら、競うように用事をする。
シンプルライフを楽しむことにした。

2021年7月4日

無精とは、
精を出さないこと。面倒くさがってなまけがちなこと。
(広辞苑より)
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いい女

2021-07-01 06:47:51 | よもやま話

絵のタイトルは、「鳥栖の女」です。
サロンパス(久光製薬)の野外展示場で見た少女像です。
顔も見えない、気品もあり元気な様子のたたずまいが、私の心をとらえました。


今日のタイトルは、「いい女」です。
美人は三日で飽きる、ぶすは三日で慣れる。
見た目で判断するなということらしい。
結婚前は両目を開けて相手を観察し、結婚後は片目をつぶり現実を認める。
長年暮らしたら、両眼をつぶるくらいの覚悟がなければならない。
空気のような存在で、じっくり顔など見ることも無くなる。

とはいうものの、多くの「いい女」を見て来た。
若い頃は、「いい女」というものは、「髪を揺らして廊下をかけて行く少女」のようでした。
この娘と寝たら責任(結婚を前提)をとらなければと、思い込んでいた。
そうでもあり、そうでもなかった。
前者の場合は怖気づき、後者の場合はお世話になった。
いい加減と言えば、そうとも言える。

「いい女」は、自立していた。
何かを持っていた。
一言で言えば、目が輝いている「一生懸命さ」であろうか。
女も男も「パンドラの箱」のように、ふたを開ける迄わからない。
この娘は、この女性は何が私の心をとらえるんだろう。
悩み、こづかれ生きて来た。
その都度、女性に救われた。
やり直そう、頑張ろうと思うことができた。

黙っていれば、美人なのに。
映画やテレビで観る憧れとは、何時しか違う生の女性に恋するようになった。
この女性といると、間違いなく自分は幸せになる。
とも違う。
人間は思い通りにいかぬもので、日々違う顔を見せる。
揺るがぬ何かが捉えて離さぬ。
「いい女」には、それがある。
仏の手のひらで転がされている心地よさとも違う。
正直さであろうか。温かさであろうか。

一つ言えることは、女性と会って話して「感動する力」も与えてくれて、スパークする。
一瞬のできごとなのです。
言葉で説明するには力不足です。
もう一つ言えることは、「この女性となら、ドボンできる」という潔さでしょうか。
いつもドボンできるわけにはいかない。
私は、「いい女」に会い、眺め、心ひそかに応援し暖まっている。
数々の「いい女」に感謝する。
生きていてよかった。

2021年7月1日
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