絵のタイトルは、「鳥栖の女」です。
サロンパス(久光製薬)の野外展示場で見た少女像です。
顔も見えない、気品もあり元気な様子のたたずまいが、私の心をとらえました。
今日のタイトルは、「いい女」です。
美人は三日で飽きる、ぶすは三日で慣れる。
見た目で判断するなということらしい。
結婚前は両目を開けて相手を観察し、結婚後は片目をつぶり現実を認める。
長年暮らしたら、両眼をつぶるくらいの覚悟がなければならない。
空気のような存在で、じっくり顔など見ることも無くなる。
とはいうものの、多くの「いい女」を見て来た。
若い頃は、「いい女」というものは、「髪を揺らして廊下をかけて行く少女」のようでした。
この娘と寝たら責任(結婚を前提)をとらなければと、思い込んでいた。
そうでもあり、そうでもなかった。
前者の場合は怖気づき、後者の場合はお世話になった。
いい加減と言えば、そうとも言える。
「いい女」は、自立していた。
何かを持っていた。
一言で言えば、目が輝いている「一生懸命さ」であろうか。
女も男も「パンドラの箱」のように、ふたを開ける迄わからない。
この娘は、この女性は何が私の心をとらえるんだろう。
悩み、こづかれ生きて来た。
その都度、女性に救われた。
やり直そう、頑張ろうと思うことができた。
黙っていれば、美人なのに。
映画やテレビで観る憧れとは、何時しか違う生の女性に恋するようになった。
この女性といると、間違いなく自分は幸せになる。
とも違う。
人間は思い通りにいかぬもので、日々違う顔を見せる。
揺るがぬ何かが捉えて離さぬ。
「いい女」には、それがある。
仏の手のひらで転がされている心地よさとも違う。
正直さであろうか。温かさであろうか。
一つ言えることは、女性と会って話して「感動する力」も与えてくれて、スパークする。
一瞬のできごとなのです。
言葉で説明するには力不足です。
もう一つ言えることは、「この女性となら、ドボンできる」という潔さでしょうか。
いつもドボンできるわけにはいかない。
私は、「いい女」に会い、眺め、心ひそかに応援し暖まっている。
数々の「いい女」に感謝する。
生きていてよかった。
2021年7月1日
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