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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

福寿草から熊谷草

2020-05-08 03:30:33 | よもやま話

絵のタイトルは、「ひねもすのたりかな」です。
山の民は、この時期多忙です。
海の民は、のんびりと糸を垂れる。
どちらも獲物を待っている。


寒い朝、福寿草が花を開いた。ああ、春が来たと喜んだ。
草がどんどん伸びて、地面を削るように草取りをする。
今年も熊谷草が扇形の葉を開いた。周りの草をていねいにむしった。
林の若葉が赤から緑に変わっていく。
空き家を5軒回り、草を刈る。
家主は居ねど、それぞれの想いが残る。
陽の光が届くように剪定した。伐った枝は山に捨てた。
雨の後は、樹液がほとばしっていた。零下になる朝には凍った。

友人が山菜取りに誘ってくれた。
採れた山菜を山に行けない人に配った。
そして、多くの人から庭で採れたたらの芽をいただいた。

畑の草が伸びる。慌ててカンリキ(耕運機)を走らせる。
芽は出ていないが、地下で根はしっかり準備をしている。
じゃが芋を植えた。
冬越しの玉ねぎと、にんにくとキャベツは葉を伸ばした。
豆の伸びるつるのために笹を刺した。支柱用の雌竹を伐ってきた。

苗を買いに行った。
かぼちゃ、なす、トマト、ピーマン他を買った。
耕作放棄地にコスモスの種を蒔くことにした。
枯らした経験を活かして、土に有機肥料を入れ風よけをしながら植えることになる。
妻は、種と種芋を蒔いた。辛子にピーナッツと里芋などである。虫よけの花の種も蒔いた。
そのうち、さつま芋の苗が余ったといただくであろう。

福寿草の頃は、春が来ると喜んだ。
熊谷草の頃には、身体のあちこちが筋肉痛である。
1.5反の畑が作物で埋まるのも、すぐのことになりそうだ。
朝と夕にタンク一杯の草刈をする日が続く。
カフェの仕事がない分、気になっていた仕事ができる。
空き家(3軒目)の片づけに時間を割こうと懸命である。
大学を卒業できない夢を見た。単位不足故、かけもちで授業を受けた。
あの頃に較べて、今も負けないくらい時間割が短冊のごとくである。

今は良い。
皆に遅れないようにと走らない。
ノルマもない。
腹を空かせた子供が待ってもいない。
追われることはもうなくなった。
やりたいことを追っかける毎日である。
落ち着いたら都会に出かけよう。
やり残したことがある。

福寿草 喜ぶ間なく 熊谷草

2020年5月8日
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大いに遊ぼう(Part2)

2020-05-01 05:18:21 | よもやま話

タイトルは、「魚とり」です。
言葉は要らない。ただ、楽しい。


今日のタイトルは、「大いに遊ぼう(Part2)」です。
2017年4月9日投稿記事「大いに遊ぼう」では、
あなたは、本気で遊んだことがありますか。
いつも後ろめたさを感じながら遊んでいませんか。

今日のタイトルは、「大いに遊ぼう」です。
アフリカの少年たちは、遊んで別れて数キロ離れても
大きな声で、「また遊ぼうね」と声を掛け合うと聞きました。
目は、6.0の視力を持ち、数キロメートル先の子どもの手を振るのが見える。

暗くなるまで外で遊んでいました。
夜になっても、ご飯を食べた後、
蛍を追っかけたり、夜光虫の光が砕け散る波を見ながら語っていました。
(記事より抜粋)

どうやら、大人になるほど遊ぶのが下手になっていくようです。
冒頭の「後ろめたさ」を感じるからでしょうか。
「勤勉をよし」と長い間教育(洗脳)されたからでしょう。
スーパーマーケットに行く。
マスクをしてないと、殺気を感じます。私だけでしょうか。

こんな折、剪定と草取りに励み、合間に畑仕事をしています。
剪定は、毛虫と蜂の巣作りを防ぐためでもあります。
風がスカスカ通る場所には、虫も巣作りはしにくいのです。
我が家から森が見えます。
森の入り口の低木(篠竹、うこぎなど)を伐りたい。
昨年の大雨で、多くの田んぼと畑の表土が流されました。
暗渠(50m長さx1m深さ)を掘りたい。
篠竹の補給路(森から)を断ちたい。併せて伐った低木を暗渠に投じたい。
剪定した木々の枝は、友人の山に捨てさせてもらっています。
クリーンセンターまで運ばなくてもよくなりました。

これは、私の壮大な遊びです。
やってもやってもあるのです。
地域の皆様が諦めていることでもあるのです。
一生懸命汗を流した日は、入湯前の体重測定が楽しみです。
特に体脂肪率です。なかなか、体脂肪率20は切れない。すぐに戻ります。
荒れ地をなんとかし、山に「熊野古道」を作り、開墾した畑に花を植え山菜を植える。
ついでにゴルフ練習場も作る。
そのあとに、空き家の再生です。住める家を一軒増やす。
増やしたからと言って、誰も住む人はいない。移住者もいない。
つまり、「遊び」は自己満足です。
こんなことをしても、誰も褒めてはくれない。
遊んで褒めてもらおうなんて、質の悪いことは言いません。
浮気をして、歓ぶのは当人達だけですからね。

毎日、何をして遊ぼうか。
子供の頃、朝のラジオ体操からの帰り道に考えたことと似ています。
いやあ、楽しい。

花に虫 我身も風が 通り抜け

2020年5月1日
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