故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

大いに遊ぼう

2017-04-09 02:38:38 | よもやま話

人生の最期というタイトルの絵です。


あなたは、本気で遊んだことがありますか。
いつも後ろめたさを感じながら遊んでいませんか。

今日のタイトルは、「大いに遊ぼう」です。
アフリカの少年たちは、遊んで別れて数キロ離れても
大きな声で、「また遊ぼうね」と声を掛け合うと聞きました。
目は、6.0の視力を持ち、数キロメートル先の子どもの手を振るのが見える。

暗くなるまで外で遊んでいました。
夜になっても、ご飯を食べた後、
蛍を追っかけたり、夜光虫の光が砕け散る波を見ながら語っていました。

会社が忙しくなってからは、
遊ぶことさえできなくなり、飲んでも仕事の話をするようになりました。
たまにサッカーをしようものなら、
かみさんから、「使い物にならない」と言われました。
サッカーのあとは、大いに疲れて家族サービスが出来なかったからです。

今は、子離れ親離れも済んで、気ままなもんです。
会社にだって行くような行かないような。
地域おこしの仕事は、壮大なプロジェクトです。
出来た家老が、開墾を奨励するようなものです。
耕した分だけお前のものだと言われているようです。
毎日へとへとですが、こんなに面白いものはない。
身体が続く限り遊べるのです。

「遊ぶ」という言葉には、きっと何かがあると調べてみました。
日常的な生活から心身を解放し、別天地に身をゆだねる意。
かぐらをする。転じて、音楽を奏する。
楽しいと思うことをして心を慰める。
狩りをする。また野山などを気軽に歩きまわる。
子供や魚鳥などが無心に動きまわる。
他の土地に行き風景などを楽しむ。
生業を持たずにぶらぶら暮らす。
金・土地・道具などが利用されないでいる。
酒食やばくちにふける。
もてあそぶ。からかう。
(広辞苑より)

心を開放することから、放蕩まで幅が広いことがわかる。
うつつを抜かす前に、ほどほどにすることが良いようです。
手を抜き、足を抜きながらいい加減に楽しめと言うことらしい。
心身を解放する程度に、「大いに遊ぼう」
できるものなら。

春真っ盛りはもうすぐです。
来週あたりは、山菜取りの声がかかるはずです。
4時半集合、6時には撤収の素早い遊びです。
その晩は決まって飲み会です。
何だか理由づくりの気がしないでもありません。
遊ぶには、体力が必要です。

できれば、「大いにあそぼう」にトーンダウンしたところでお開きです。

遊ぶなら 体鍛えよ ほどほどと

2017年4月9日
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