故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

選択肢のない生活

2020-05-30 11:25:27 | よもやま話

「魔法の紙」というタイトルの絵です。
鳩が豆鉄砲をくらったような自画像です。
ある時工場に機械鳶が来て、2トンもあろうかという機械の下に魔法の紙を敷いた。
くいくいっとバールで押すと機械はいとも簡単に動いた。
15cmだけ、ずれていた機械の芯が戻った。
お袋が、座布団を箪笥の下にしいて、重い箪笥を一人で動かした。
80過ぎのばあちゃんが、パワフル自転車で隣町迄峠を越えて買い物に行った。
孫に「なんぼ、つかませるか」悩まなくて済んだ。


かぼちゃが花をつけた。
これからどんどん株が分れ、つるが伸びる。
移住して5年、毎年かぼちゃの苗を植える。
満足に収穫したことがない。管理しないで草に埋もれたままにしておいた方がよい。
草が気になるので、地域の友人に相談した。
稲わらを敷くか草マルチにするかとアドバイスをもらった。
刈った草は放置していた。草を刈った人が片づけるのが常識と言われている。
草刈は好きだけど、仕方なくやっていると言った方がよい。
刈った草を集めて、かぼちゃの周りに敷き詰めた。
草が不足である。どこかに草はないかと探す自分がいる。

今日のタイトルは、「選択肢のない生活」である。
早朝から草を集めていると、いつものように近所の年寄りが声をかけてくる。
これから、篠竹を刈ると言う。やりたくてもできなくなった人からの頼まれ仕事である。
篠竹用の草刈り機には特別なチップソーを装着すると言う。
石に当たってもチップが落ちないチップソーを見に来いと言われる。
説明を聞いていると、別の年寄りが散歩途中だと言って話に加わった。
旋盤工だったその人の道具にこだわる説明をひとしきり聞く。

話しを聞いたのちに、草集めの仕事にもどった。
朝露は乾き、草は軽くなっていた。
朝の一仕事を終えた。朝飯がうまい。
朝餉の片づけと洗濯仕事(乾燥したものは引き出しへ戻す。新たな洗濯物を干す)を残して、
妻はカフェに行った。予約のパンを焼くためである。

会社に行かなくても仕事が山ほどある。
合間にカフェの仕事である。
コロナの緊急事態宣言が解除されて、客足は戻った。
私がやりたい仕事は、自己完結型の事柄ばかりである。
余った野菜は、都会の友人に送る。たまに地域の友人に配る。
冬越しのキャベツは、芯まで甘いと喜ばれた。
地域では、趣味で作った作物が回り、仕事が回る。
好きならば、できるならその仕事を受ける。
受けるからには、立派にこなす。プロではないが、プロ並みの仕事である。

グローバル化がアメリカ主導で広がった。
世界中の工場で分業化が進んだ。商談のために人々は世界中を飛び回った。
コロナで世界中の経済が悪化した。交流も止まった。
ネット(情報)だけがはしゃいでいる。
一挙に失業し、生活苦になった。
さらに物(購買)が動かなくなった。買い控えである。
地方には、耕作放棄地が溢れるほどあり、余るほど野菜が作られている。
会社から給料が出なくなると、食生活に困る。選択しようがない買い控えである。

あれがだめでも、これでいくか。
あれが滞ったら、たちまちアウトである。
なんかおかしいぞと分析家が言う。
生活スタイルが見直される。
何年もかかるだろうと言われた新生活のスタイルが急速に進む。
価値の変化は、著しい。人々の経済観だけでなく哲学も変わる。
「選択肢のない生活」が見直される。
一方通行の価値観が変わるはずである。
新しい価値観の足音が聞こえる。

草マルチ 草が刈りたい 宝物

2020年5月30日
コメント
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