「魔法の紙」というタイトルの絵です。
鳩が豆鉄砲をくらったような自画像です。
ある時工場に機械鳶が来て、2トンもあろうかという機械の下に魔法の紙を敷いた。
くいくいっとバールで押すと機械はいとも簡単に動いた。
15cmだけ、ずれていた機械の芯が戻った。
お袋が、座布団を箪笥の下にしいて、重い箪笥を一人で動かした。
80過ぎのばあちゃんが、パワフル自転車で隣町迄峠を越えて買い物に行った。
孫に「なんぼ、つかませるか」悩まなくて済んだ。
かぼちゃが花をつけた。
これからどんどん株が分れ、つるが伸びる。
移住して5年、毎年かぼちゃの苗を植える。
満足に収穫したことがない。管理しないで草に埋もれたままにしておいた方がよい。
草が気になるので、地域の友人に相談した。
稲わらを敷くか草マルチにするかとアドバイスをもらった。
刈った草は放置していた。草を刈った人が片づけるのが常識と言われている。
草刈は好きだけど、仕方なくやっていると言った方がよい。
刈った草を集めて、かぼちゃの周りに敷き詰めた。
草が不足である。どこかに草はないかと探す自分がいる。
今日のタイトルは、「選択肢のない生活」である。
早朝から草を集めていると、いつものように近所の年寄りが声をかけてくる。
これから、篠竹を刈ると言う。やりたくてもできなくなった人からの頼まれ仕事である。
篠竹用の草刈り機には特別なチップソーを装着すると言う。
石に当たってもチップが落ちないチップソーを見に来いと言われる。
説明を聞いていると、別の年寄りが散歩途中だと言って話に加わった。
旋盤工だったその人の道具にこだわる説明をひとしきり聞く。
話しを聞いたのちに、草集めの仕事にもどった。
朝露は乾き、草は軽くなっていた。
朝の一仕事を終えた。朝飯がうまい。
朝餉の片づけと洗濯仕事(乾燥したものは引き出しへ戻す。新たな洗濯物を干す)を残して、
妻はカフェに行った。予約のパンを焼くためである。
会社に行かなくても仕事が山ほどある。
合間にカフェの仕事である。
コロナの緊急事態宣言が解除されて、客足は戻った。
私がやりたい仕事は、自己完結型の事柄ばかりである。
余った野菜は、都会の友人に送る。たまに地域の友人に配る。
冬越しのキャベツは、芯まで甘いと喜ばれた。
地域では、趣味で作った作物が回り、仕事が回る。
好きならば、できるならその仕事を受ける。
受けるからには、立派にこなす。プロではないが、プロ並みの仕事である。
グローバル化がアメリカ主導で広がった。
世界中の工場で分業化が進んだ。商談のために人々は世界中を飛び回った。
コロナで世界中の経済が悪化した。交流も止まった。
ネット(情報)だけがはしゃいでいる。
一挙に失業し、生活苦になった。
さらに物(購買)が動かなくなった。買い控えである。
地方には、耕作放棄地が溢れるほどあり、余るほど野菜が作られている。
会社から給料が出なくなると、食生活に困る。選択しようがない買い控えである。
あれがだめでも、これでいくか。
あれが滞ったら、たちまちアウトである。
なんかおかしいぞと分析家が言う。
生活スタイルが見直される。
何年もかかるだろうと言われた新生活のスタイルが急速に進む。
価値の変化は、著しい。人々の経済観だけでなく哲学も変わる。
「選択肢のない生活」が見直される。
一方通行の価値観が変わるはずである。
新しい価値観の足音が聞こえる。
草マルチ 草が刈りたい 宝物
2020年5月30日