故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

今日もご安全にというタイトルの絵です。
あんさんの生きざま見させてもらいます。
と言ってるやらかも、しれませんな。
今日のテーマは、「部分修正」です。
ここをなおしてと言われて、素直に従いました。
上手くいかなかったことばかり、覚えています。
絵の先生が、自分が描いた絵の一部を修正した。
見映えと迫力が出た。
見事、入選した。
しかし、自分の絵ではない事を悔やんで、素直に喜べない。
部分とは、
着目する全体の中を分けて考えた一つ。
(数)全体の中に含まれているもの。全体それ自身も部分の一つと見る。
(広辞苑より)
修正とは、
よくないところを直して正しくすること。
品行などがおさまって正しいこと。
(広辞苑より)
書きたいことを先に言いましょう。
部分修正する場合、
広辞苑の説明の「部分とは、全体の中に含まれているもの」とある通り、
部分は独立したものではないと、気づかず修正していました。
そこに違和感を覚えたことが、小骨が刺さったみたいに
いつまでも忘れない事柄となるのだと思います。
部分的に悪いことが全体を駄目にしてしまうのか。
その部分が多少悪くても全体から見れば、アクセントになっているのか。
書き手は、表現の技術が稚拙でも、言いたいことを表現しようとします。
幼稚園生の描く絵に感動するのは、そのためです。
似顔絵を描いていて、
似ていないと言われることは、かなりダメージになります。
逆に、似ているかどうかは別にして、
「いいよ」と言われると安心します。
若い時、短編小説を書きました。
当時付き合っていた女性がモデルでした。
彼女から修正希望が出ました。
直してしまいました。
発表後、年上の女性から「これは違う、直さない方が良かった」と
言われました。
小説の中では、別れるかくっつくかの瀬戸際の表現でした。
プレゼンテーションの原稿を見せろと、
二人の上司から別々に言われました。
社内で事あるごとにぶつかる二人でした。
真逆の指摘がありました。
どちらをとるか悩みました。
辞める覚悟で、私の考えと異なる上司に説明しました。
口をついて出てきた返事は、「ああ、そうか。いいよ」でした。
彼は忘れていたのか、
ぶつかることだけが大切だったのか判断に迷いました。
映画や演劇では、脚本家がいて、監督が脚本の意を組み、
細かい指示を出しながら作り上げていきます。
倉本聰さんのように、脚本の一字一句の変更も許さぬ方がいらっしゃいます。
指示を出すものと演じるものの力量が試される真剣勝負です。
きっと、部分修正の連続でしょう。
全体があって、部分があるからできることだと考えます。
人生も部分修正でしょうか。
過去のものは直しようがありません。
どうあがいても、人生の軌跡は一本の線です。
どこで変わったかは、かなり経ってから分かります。
人生こそ、全体が見えないドラマです。
お手並み拝見です。
およよっと たったたたーと いきまっか
2017年12月16日

おはよというタイトルの絵です。
勝手なタイトル付けです。
その時は、そう思った。時代遅れですかね。
覚える端から忘れてしまう。
老俳優、織本順吉(90歳)さんが、台詞を入れる作業である。
生きている限り、学ばねばならない。
これまでの財産(実績)で生きることは許されない。
先輩と同じで、短気である。
印象に残った言葉は、「次が楽しみだ」。
今日のタイトルは、「印象」です。
印象とは、
強く感じて、心に残ったもの。感銘。
(美)対象が人間の精神に与えるすべての効果。
(広辞苑より)
似顔絵は、似ているかもあるが、それだけではない。
千変万化する表情の「その人らしさ」の表現である。
描いた似顔絵が、その人らしさを顕わしているか定かではない。
少なくとも、描き手がその人らしさを感じたかどうか。
そう思って描いています。
印象を線にする。色にする。
感じたものが伝わるかどうか。
線さがし、色さがしをしながら格闘する。
つまり、描き手のハードルを下げる「線さがし、色さがし」である。
作詞家、阿久悠の詩で、聞き手は自由に情景を浮かべる。
自分の人生とかぶせて、印象として残る。
それでも時代に乗り遅れ、忘れられる。
何故、似顔絵を描くのか。
こうしたら、この人らしさを出せると、技術を学ぶ場でもあるでしょう。
私の似顔絵を描くようになった動機は、人の顔を覚えたいからでした。
描いた似顔絵を渡すことで、もう一度会えるからと不純なものでした。
一粒で、二度美味しい。
似顔絵描きにはまったのは、それだけではなかった。
渡す時に出てくる表情が、私の印象と合っていたりいなかったりしました。
「こんなのは、受け取れない。もう一度描き直し」を命じられました。
このうちには鏡はないのかと、怖れをなして帰ったものでした。
きれいに描くと嘘だと言われ、本当の姿を描くと怒られました。
多くの場合、似顔絵を描いた後は、その人の印象が良くなりました。
より、友達になれる。
俺が、私が一番大切にしていることを気づかせてくれた。
そうなればと思っています。
妄想に近い空想です。
昼に星 あれまなじょして 井戸の中
2017年12月15日
ほうじ茶を煮だしながら、書いています。
鍋に茶葉 底に沈みて 役目終え
良い香りがしてきました。
皆さん、今日も良い一日を過ごしましょう。

来るものは拒まず、去るものは追わずというタイトルの絵です。
寒さも一段落でしょうか。
二度降った雪も融けました。
ちゃぶ台の上の飲み残しのお茶が凍らないだけでもましです。
汚れ物を洗いご飯を仕掛け、洗濯をしながら書いています。
中学生を描いていて驚きました。
女の子は、一番美しい時かもしれません。
男の子も負けてはいません。しっかりした顔立ちです。
よって、気合が入ることになります。
自分も周りも、何が足りないとか思うこともあるでしょう。
この子達の生き生きとした似顔絵を描かせていただけるだけで嬉しい。
今日のタイトルは、「足りなくても時間」です。
私達には、同じように時間が与えられています。
唯一、公平な分配です。
時間給が異なるではないかと言われるでしょう。
そうですね。
束の間の自由な時間。
あなたは、何をしますか。
足りないのは、百も承知。
今出来ること、後でやるための時間探しをします。
不足であっても、時間だけは過ぎていきます。
横柄に、お茶を出せ。
俺は偉いんだからなんて、待つ余裕もありません。
お茶が飲みたかったら、自ら淹れるだけです。
与えられたわずかな時間を、自らのために使う。
それが、人のためになる。
こうして毎日を過ごし、毎年が過ぎていきます。
「足りなくても時間」の使い方で、
大きく人生は変わってしまいます。
これ以上考察をできなくなりました。
またの機会とします。
食べて寝て 寒さと暑さ 楽しむか
2017年12月14日
討ち入りに 今日が最期も 愛された

この子の場合、7回の描き直しで済みました。
無謀なこととは知りながら、今年も中学生の似顔絵描きを約束しました。
昨年もしましたが、大変な作業でした。
中には、12回も描き直しをした子もいました。
約束したときは、約一か月半の納期でした。
今や、あと一週間あまりになりました。
今日のテーマは、「似顔絵70枚」です。
1枚の似顔絵を仕上げるのに約2時間かかります。
二人一緒の似顔絵は避けたいものです。
一人が上手くいっても、二人目が駄目ならボツです。
落胆度は大きい。
やらなければ良いのに。
中学生の笑顔を見たら、止められません。
小学生の頃とは違う。
大人の入り口にいる子達の反応は初々しい。
私は、困難なことほど約束することにしています。
自分に言い訳の場面を与えない。
やれやれです。
あと数十枚です。
頑張りましょう。
千年木 譲る空間 地固めと
2017年12月13日

とにかく、わずかな違いなんです。
今日のタイトルは、「2cmの違い」です。
プロ野球選手が使うバットのグリップの仕上げ精度は、0.5mmとのこと。
バット職人は、0.1mmに気を使うことになる。
建築の納まりは、重要な要素である。
韓国に出張に行くと、
トイレの配管が壁から出た後に曲げられているのが、気になった。
各種出っ張りが、建物にはある。
斜めにカットしたり緩やかに面を合わせることをする。
改造の際、和便器から洋便器に変えた時のことである。
何度も、幾人かが立ち替わり座っては立ってを繰り返した。
位置合わせのため、壁との距離を見ていたのである。
わずか2cmでその居心地は格段に変わる(圧迫感がない)のである。
現存(30年前)の建売住宅の高さが気にかかる。
子供達は、建てた親の世代より背が高く、
隣の部屋に行くごとに頭を下げるのである。
こいつは、礼儀正しい奴だと、口の悪い先輩が笑わせていた。
オーストリアに出張した時、朝顔(男子便器)が高く片足をあげて用を済ました。
何とも屈辱的だったのを覚えている。
2cm低ければと思った。
それでも、縁に預けるだけだったかもしれない。
現在、お好み焼きを作って売っている。
20~22cmの径であった。
高さはせいぜい3cmであった。
同じ量の具材で美味しく見せられないかと考えた。
師匠が作るお好み焼きの径は、17cm~19cmであった。
高さが違った。5cmになっていた。
この高さがあることで、見た目的に美味しく見えるのである。
高くなった分、具材に熱を入れる工夫が必要になった。
外はパリパリ、中はもちもちになり違う食感を楽しめる。
寄せて上げて。
女性の胸なら、大いに印象が違うでしょう。
このキャッチフレーズを実現するためにワイヤーを使った。
皆さん美しいプロポーションになった。
それでも足りない場合は、上げ底なるものも登場した。
わずか2cmでも、盛り付けた際に印象が違う。
後ろに控えるものが高くなると奥行きが出る。
色使い(緑の葉っぱや小枝)にも、補色(対比の印象)の考えを入れる。
作る職人は手の平で感じ、
我々は見た目を楽しむ。
共に美しいと感じる。
この頃感じた「2cmの違い」でした。
我が鼻が 2センチ高く さゆりとは
2017年12月12日