故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

引き出し

2021-03-29 04:49:16 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「酔っ払い」です。


カフェで飲み会をやる。
料理を作り、私と妻も参加する。
私の講釈が始まると、友人の奥様が「はい、お開き」と号令をかけて飲み会は終わる。
私の話は、しつこくて小難しい。

今日のタイトルは、「引き出し」です。
私は、「書くこと」を続けています。
書くことは、思考を深める手続きです。
悩める事柄をひとつづつ昇華する作業と言えます。
あったことを綴る日記ではなく、その時芽生えた気づきと何故を繰り返す。
チャンスは一度だけと、逃がさぬ決意です。
挑戦し、綴った記事(思考)は、速やかに脳の引き出しに蓄積されます。
インデックスは、添付した似顔絵であったり、悪戦苦闘の「タイトル」です。
データ化された記事の一部が、飲むと湧きだしてくるのです。
私の中には脈略があるのですが、聞く側には突然すぎて理解できません。

何度も試行を重ねることで、「隠し玉」が用意されます。
難しい交渉時に、切り返しの隠し玉が有効活用されることも何度かありました。
私は、体験を経験に変える仕事が、「書くこと」や「描くこと」だと知っています。
フォロワー数は気にならない。
ひたすら、難題と向き合いたい。
「地域おこし」を小説で成す。そんなことも考えました。
身体が動かないと、脳も働きません。
脳が働けば、身体の一部が頼りにならなくなっても気になりません。
身体には、代替えの役割を果たす機能があるからです。

人の名前は忘れても、書いた記事は忘れません。
同時に、悩んだことは書いて忘れることにしています。
矛盾する作業の連続で、私自身は救われています。

若い人は、無限のチャンスと力を持っています。
気づくのは、歳を重ねてからになります。
美の壺と言う言葉があります。テレビ番組のタイトルでもあります。
書いて壺に入れる。壺は、無限大です。
数々の記事が、壺の中で絡み合って発酵し始めます。
私は、腐らぬよう時々かき回しています。
同じタイトルで、再度思考を繰り返すことです。

思考は、書き留めることで再現されます。
想いは、常に「良きに計らえ」と都合の良いものになっていきます。
書くことで、自分と向き合い真剣勝負を繰り返す。
長い人生で、一度きりの真剣勝負です。

洟垂れが 恋文はじめ 遺言に

2021年3月29日

<<参考>>
2014年12月1日の投稿記事「あんたは馬鹿か、鈍いのか」では、
「精米会社の会長に、「あんたは馬鹿か、それとも鈍いのか。」と言われました。
何を言っているのか解りませんでした。
(中略)
後に、私は営業職につきました。
この時の「無理難題」が大いに私を助けてくれました。
パンフレット営業はしませんでした。どこにも課題がありました。
どの課題にも、道標めいた話ができました。会長のおかげで
引き出しが増えたのです。
(中略)
会長からいただいた言葉は、最高の褒め言葉だったのです。」
(記事より抜粋)
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開戦と終戦

2021-03-29 03:58:32 | 思い出話

立川駅前にある彫像です。タイトルは、「跳べよ未来へ」です。
東京都下のこの辺りは台地が多い。飛行場も多かった。
かつて、飛行場跡地に食品工場を建てた時、地盤がよく杭が必要ないと知りました。
そんなこともあったのでしょうか。


テレビドラマ、「おちよやん」も「澪つくし」も第二次世界大戦に突入し、終戦となりました。
現代ドラマは、この第二次世界大戦を外しては描けない。
大戦前後で、日本だけでなく世界が大きく変化しました。
私の青春も、「開戦と終戦」(今日のタイトル)に関係していました。
初恋の人の誕生日が、12月8日でした。
妻の誕生日が、8月15日です。
妻に私の初恋を話した時に教えてもらいました。

妻と初恋の人は、同じ大学の同じ学部で友人でした。
東京にいる頃、妻が私の初恋の人に会わせてくれました。
その人の名前さえ呼べなかった、初心な頃に初恋をしました。
やっと大学に入れた頃、その人の職場(小学校)を訪ねました。
普通に話せ、初恋の淡い想いを題材にした小品(小説)を手渡すことができました。

長い年月が流れ、私は妻を題材にした小説「さなさん」を書きました。
訪ねたその方の家で、事前に送っていた「さなさん」の感想を聞くことができました。
故郷を想う気持ちがよく書かれていたと、褒めてくださいました。

初恋の面白いエピソードなどを話しました。
興味のある方は、2015年11月18日投稿記事「あっさりさーのさあ」を参照ください。
その翌年、その人に出した妻の年賀状に、私も寄せ書きをしました。
「思い残すことはありません」と書きました。
初恋からやっと卒業できました。

私の開戦から終戦まで、数多の恋をし、無残にも散っていきました。
やっと、終戦を迎えられた。
そんな思いだよと妻に伝えると、笑っていました。

第二次大戦の終戦を待ちに待ったと喜んだ方々も多くいたことでしょう。
それまでの生き方を全否定されたと悔やんだ方もおられたでしょう。
共に、その後を力強く生きてこられました。
私は、その想いが綴った軌跡(良いことも悪いことも)を辿る仕事を近々したいと考えています。
明日から、いや一年後までには始めましょう。

ユリが揺れ 高嶺の花と 気づけしも 

2021年3月29日
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