絵のタイトルは、「酔っ払い」です。
カフェで飲み会をやる。
料理を作り、私と妻も参加する。
私の講釈が始まると、友人の奥様が「はい、お開き」と号令をかけて飲み会は終わる。
私の話は、しつこくて小難しい。
今日のタイトルは、「引き出し」です。
私は、「書くこと」を続けています。
書くことは、思考を深める手続きです。
悩める事柄をひとつづつ昇華する作業と言えます。
あったことを綴る日記ではなく、その時芽生えた気づきと何故を繰り返す。
チャンスは一度だけと、逃がさぬ決意です。
挑戦し、綴った記事(思考)は、速やかに脳の引き出しに蓄積されます。
インデックスは、添付した似顔絵であったり、悪戦苦闘の「タイトル」です。
データ化された記事の一部が、飲むと湧きだしてくるのです。
私の中には脈略があるのですが、聞く側には突然すぎて理解できません。
何度も試行を重ねることで、「隠し玉」が用意されます。
難しい交渉時に、切り返しの隠し玉が有効活用されることも何度かありました。
私は、体験を経験に変える仕事が、「書くこと」や「描くこと」だと知っています。
フォロワー数は気にならない。
ひたすら、難題と向き合いたい。
「地域おこし」を小説で成す。そんなことも考えました。
身体が動かないと、脳も働きません。
脳が働けば、身体の一部が頼りにならなくなっても気になりません。
身体には、代替えの役割を果たす機能があるからです。
人の名前は忘れても、書いた記事は忘れません。
同時に、悩んだことは書いて忘れることにしています。
矛盾する作業の連続で、私自身は救われています。
若い人は、無限のチャンスと力を持っています。
気づくのは、歳を重ねてからになります。
美の壺と言う言葉があります。テレビ番組のタイトルでもあります。
書いて壺に入れる。壺は、無限大です。
数々の記事が、壺の中で絡み合って発酵し始めます。
私は、腐らぬよう時々かき回しています。
同じタイトルで、再度思考を繰り返すことです。
思考は、書き留めることで再現されます。
想いは、常に「良きに計らえ」と都合の良いものになっていきます。
書くことで、自分と向き合い真剣勝負を繰り返す。
長い人生で、一度きりの真剣勝負です。
洟垂れが 恋文はじめ 遺言に
2021年3月29日
<<参考>>
2014年12月1日の投稿記事「あんたは馬鹿か、鈍いのか」では、
「精米会社の会長に、「あんたは馬鹿か、それとも鈍いのか。」と言われました。
何を言っているのか解りませんでした。
(中略)
後に、私は営業職につきました。
この時の「無理難題」が大いに私を助けてくれました。
パンフレット営業はしませんでした。どこにも課題がありました。
どの課題にも、道標めいた話ができました。会長のおかげで
引き出しが増えたのです。
(中略)
会長からいただいた言葉は、最高の褒め言葉だったのです。」
(記事より抜粋)