絵のタイトルは、「田植え後」です。
こんな景色が、都会で見られますか?
移住6年目にして、やっと仲間に入れてくれそうです。
住民票を移しただけでは、その地域の仲間になったとは言えない。
都会でもそうだし、田舎でも一緒です。
どちらでも、アパート住民には、回覧板は回らない。
地縁血縁もないから、期待もされない。
反面、期待もしない。自由を謳歌した。
こうだったらよいなと行動した。
自分が勝手に地域に仲間入りをした。
そんなこと(期待をしない、無視)では、移住者なんか来ないよと、文句を言った。
早朝の農道整備も出たし、地域の草刈にも積極的に参加した。
回覧される草刈名簿に私の名前がない。地域の有力者にお願いして強引に入れてもらった。
思うところあって(積極的に住民が自ら奉仕するのは永年行事が多いと判断)、
地区運動会と奉納相撲で住民が活躍する姿を、直会(なおらい、反省会)に間に合うよう、写真にして届けた。
期待していないのに勝手にやる人がいる。いい人だ。
だけど、仲間には入れてもらえない。
今日のタイトルは、「カフェの役割」です。
コロナで客足は伸びません。「夜の予約」(三密は避けられない)は受けない。
さらに延長します。赤字続きです。
地域でも、中央の縦割り行政がそのまま生きています。
属していない多くの住民の集まる場所がありません。
それぞれの組織には見えない壁があり、相互交流はありません。
むしろ、悪口を言い合っている。それは、私達の仕事ではないとたらいまわしである。
グレーゾーン(どこの組織も拾わない)を埋めようとカフェをオープンした。
コロナで、「カフェの役割」はより鮮明になりました。
どこにも行くところがない。
そもそも友人がいない。誰からも相手にされない。
友人のうちに行っても、不在なことが多い。
そんな方が、来られます。
少ない家族では、いただいたりんごが食べきれない。
野菜が採れ過ぎて余った。
花を作って売る事業所を手伝っている。余った花の苗を捨てるのがもったいない。
酒の粕を捨てるのがもったいない。
ええい、みんな持ってこい。
りんごは、アップルパイにして持ち込んだ方に返し、加工手間賃をもらっている。
野菜は、お客さんのうち欲しい人に、新鮮なうちに無償で配る。
酒の粕で、新作のお菓子(クッキー、マフィンなど)を作り、地域の方に試食していただいている。
花は、耕作放棄地を開墾して植えている。散歩する者や来店客が癒される。
コロナで暇と思いきや、大忙しである。
広島で余っている紅八朔を仕入れている。
この地では柑橘類がとれないから、安く売ったり、住民参加のパン教室で加工している。
ここで採れるりんごのB級品をアップルパイやジャムに加工して、
美味しいりんごが少ない広島の友人に送っている。
あまり売られていないハード系パンを作っている。
原材料の粉(一等粉)は、私がかつて受注した製粉工場から格安で仕入れている。
そのパンは、地域、広島、都会の友人に無償で配っている。
お返しの名産品や銘酒は、カフェの客と一緒にいただいている。
夜の予約を中止しているが、お任せ料理に使う無(減)農薬野菜を耕作放棄地で作っている。
格安でバライティーが富んだ料理にしている。リピーターになっていただきたいから。
農業の六次化をやっている。
今年も春が来た。これから空き家5軒の草刈ローテーションが、晩秋迄続くことになる。
帰ってこれない人に代わり、稼ぐのに精いっぱいの人に代わり、
年をとって荷が重い人に代わり、草刈と剪定を続けている。
森を暗くする竹を伐り、下草を刈る。
どれもこれも、こうだったら良いなと続けている。
地域の人の眼には映らない。勝手にやってる、暇な人の道楽である。
過疎になるには理由がある。
地域住民が知らぬうちに魅力がない場所と化す。
縄張り意識の綱引きに忙しいから、新鮮な空気になじもうとしない。
よく知らないが、ここよりましだろうと若者が出ていく。
出ていこうとする若者を引き留めようと、虎の子の貯金をはたき二世帯住宅を建て、
生命保険を解約し事業を継続する。
40歳を過ぎて親のすねをかじっている若者の多いこと。
そんな男に嫌気がさし、子どもを連れ、あるいは残し若嫁は家を出ていく。
昔からこうだった。地域の人にそう言わせたい。
ひたすら、「カフェの役割」を追っている。
ここに根付こうとしているわけではない。
私にとって、地域再生は、「故郷へ恩返し」の勉強の一環である。
故郷とは、もういない先人たちのことだったり、返す当てのない場所のことを言う。
コロナで近くの人が来なくても、遠い友人たちをつなぐ交流はできますね。
いや今こそできることなのです。
「カフェの役割」は、果てしない。
情報は 曲がり垢まみれ 作り出せ
2021年3月15日