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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

あんたがたどこさ(Part5)

2020-06-14 07:30:23 | よもやま話

絵のタイトルは、「昔からそこにいたような」です。
そんな感じでよいのかな。
「あんたがたどこさ」とトンボが聞いたような。


いつもどおり、妙な夢を見ます。
そして、何故この夢をと考えます。
従妹を始め、母方の親類縁者の夢を見ました。
とうとう、死者のことを書くはめになったかと、お寺からの卒塔婆をどうするかの手紙を読みました。
継承した墓を訪ねなければ、住職と石屋のかみさんに礼を言わなければと想いを固めています。

今日のテーマは、「あんたがたどこさ(Part5)」です。
これまでは、自分を含め奇妙奇天烈な人たちのことを書いてきました。
Part4では、気に止まる人に真摯に向き合いたいと思うようになりました。
今夜の夢は、今しかできないことを教えてもらったのではないでしょうか。
親せきは近い関係にありながら遠い存在です。
この頃は、不幸の席でしか顔を合わせることがありません。

故郷に恩返しができないものかと、短編小説「さなさん」を書きました。
私は、いろんな人に薫陶を受けながら育ってきました。
あのおっちゃん、このおばちゃんに見守られて生きてきました。
その人たちは、故郷そのものです。
私は、「故郷へ恩返し」の練習をこの地でしています。
何が、人々の役に立ち、「明日も生きたい」を生む癒しとなるのか考え実践しています。
この地で育てられていると言ってもよい。
このままで良いじゃないと、友人たちから言われます。
そうです。ここは、心地が良い。このまま住みたいと時々揺らぎます。
2年後に故郷に帰ると決めています。

半世紀近く離れた故郷に何の恩返しができるのか。
いつも感じるのは、恩を受けた人にはもう返せない。
返す当てのない恩返しです。
足立美術館で見た「借景」のようなものはできないかと挑戦しています。
故郷の自然に溶け込みながら、自分らしさを表現できる何かです。
それは、何かの施設ではない。
借景は、案外心の中にあるのかもしれない。
この地が好きだ。人々も自然も。ぽつんと自分らしさを表現したい。
文章であったり絵画であったり、花であったり、音楽であったりするのです。
自分らしさはなんなのか、一生懸命練習をしています。
この地は、懐が深いから何でもさせていただけます。

「あんたがたどこさ」は、案外自分の中の理想像かもしれない。
決してユートピアではない。むんむんと息吹を感じる生きざまなのだと感じています。
自分らしく生きようとすれば、そして生かせてくれれば、どこもかしこも故郷なのです。

一里塚 向こうは都 実はここ

2020年6月14日

<<参考までに>>

2018年6月14日投稿記事「あんたがたどこさ(Part4)では、
会話をしても、上の空だったんじゃないかと反省しています。
永くはない命です。
これからどれだけ「あんたがたどこさ」と話し込むことができるのでしょう。
真摯に向き合いたいと思っています。
(記事より抜粋)

2018年2月22日投稿記事「あんたがたどこさ(Part3)」では、
置き去りにされた人々は、何かが変化したことさえ気づかない。
昔からこうだったと思うしかない鮮やかな仕事ぶりです。

「あんたがたどこさ」はいつも一瞬の大仕事をやり遂げるのです。
そうなりたいと、縁の下の力持ちを続けています。
(記事より抜粋)

2017年10月10日投稿記事「あんたがたどこさ(Part2)」では、
男に連れて行ってもらった喫茶店で、今に始まる夢のような瞬間を待っていました。
連れの男がいつまでも帰って来ませんでした。
やっと、事態が飲み込め「警察に行こう」とその男の肩を掴みました。
落ち着いたもので、「お前、誰と間違えたんだ」と。
馬券師から、渡した給料袋そっくり返してもらいました。
(記事より抜粋)

2014年11月12日投稿記事「あんたがたどこさ」では、
引っ越したばかりの頃、トイレの後水洗を流さないでいたのが、
S先輩に見抜かれ怒られました。
得意な料理はと聞かれ、卵焼きと答えました。
黄身をゴミに捨て、殻をフライパンでガラガラやっていました。無意識でした。
S先輩がきょとんとした顔をされました。その後、大笑いで頭をはたかれたのでした。
後々、大いに話のだしにされました。
(記事より抜粋)
コメント
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