
絵のタイトルは、「昔からそこにいたような」です。
そんな感じでよいのかな。
「あんたがたどこさ」とトンボが聞いたような。
いつもどおり、妙な夢を見ます。
そして、何故この夢をと考えます。
従妹を始め、母方の親類縁者の夢を見ました。
とうとう、死者のことを書くはめになったかと、お寺からの卒塔婆をどうするかの手紙を読みました。
継承した墓を訪ねなければ、住職と石屋のかみさんに礼を言わなければと想いを固めています。
今日のテーマは、「あんたがたどこさ(Part5)」です。
これまでは、自分を含め奇妙奇天烈な人たちのことを書いてきました。
Part4では、気に止まる人に真摯に向き合いたいと思うようになりました。
今夜の夢は、今しかできないことを教えてもらったのではないでしょうか。
親せきは近い関係にありながら遠い存在です。
この頃は、不幸の席でしか顔を合わせることがありません。
故郷に恩返しができないものかと、短編小説「さなさん」を書きました。
私は、いろんな人に薫陶を受けながら育ってきました。
あのおっちゃん、このおばちゃんに見守られて生きてきました。
その人たちは、故郷そのものです。
私は、「故郷へ恩返し」の練習をこの地でしています。
何が、人々の役に立ち、「明日も生きたい」を生む癒しとなるのか考え実践しています。
この地で育てられていると言ってもよい。
このままで良いじゃないと、友人たちから言われます。
そうです。ここは、心地が良い。このまま住みたいと時々揺らぎます。
2年後に故郷に帰ると決めています。
半世紀近く離れた故郷に何の恩返しができるのか。
いつも感じるのは、恩を受けた人にはもう返せない。
返す当てのない恩返しです。
足立美術館で見た「借景」のようなものはできないかと挑戦しています。
故郷の自然に溶け込みながら、自分らしさを表現できる何かです。
それは、何かの施設ではない。
借景は、案外心の中にあるのかもしれない。
この地が好きだ。人々も自然も。ぽつんと自分らしさを表現したい。
文章であったり絵画であったり、花であったり、音楽であったりするのです。
自分らしさはなんなのか、一生懸命練習をしています。
この地は、懐が深いから何でもさせていただけます。
「あんたがたどこさ」は、案外自分の中の理想像かもしれない。
決してユートピアではない。むんむんと息吹を感じる生きざまなのだと感じています。
自分らしく生きようとすれば、そして生かせてくれれば、どこもかしこも故郷なのです。
一里塚 向こうは都 実はここ
2020年6月14日
<<参考までに>>
2018年6月14日投稿記事「あんたがたどこさ(Part4)では、
会話をしても、上の空だったんじゃないかと反省しています。
永くはない命です。
これからどれだけ「あんたがたどこさ」と話し込むことができるのでしょう。
真摯に向き合いたいと思っています。
(記事より抜粋)
2018年2月22日投稿記事「あんたがたどこさ(Part3)」では、
置き去りにされた人々は、何かが変化したことさえ気づかない。
昔からこうだったと思うしかない鮮やかな仕事ぶりです。
「あんたがたどこさ」はいつも一瞬の大仕事をやり遂げるのです。
そうなりたいと、縁の下の力持ちを続けています。
(記事より抜粋)
2017年10月10日投稿記事「あんたがたどこさ(Part2)」では、
男に連れて行ってもらった喫茶店で、今に始まる夢のような瞬間を待っていました。
連れの男がいつまでも帰って来ませんでした。
やっと、事態が飲み込め「警察に行こう」とその男の肩を掴みました。
落ち着いたもので、「お前、誰と間違えたんだ」と。
馬券師から、渡した給料袋そっくり返してもらいました。
(記事より抜粋)
2014年11月12日投稿記事「あんたがたどこさ」では、
引っ越したばかりの頃、トイレの後水洗を流さないでいたのが、
S先輩に見抜かれ怒られました。
得意な料理はと聞かれ、卵焼きと答えました。
黄身をゴミに捨て、殻をフライパンでガラガラやっていました。無意識でした。
S先輩がきょとんとした顔をされました。その後、大笑いで頭をはたかれたのでした。
後々、大いに話のだしにされました。
(記事より抜粋)