時々こんな表情をするのでしょう。
やけくそのような、楽しいような。
悩んで潰れてしまう。
若い時は、時々こんなことがあります。
誰も気にしていないのに、自分が思うほど人は見ていないのに。
どうしても、ほくろがあばたに見えてしまう。
昨日と同じ服を着ているなと気付いてくれる人なんて皆無です。
それなのに、これは昨日着たからと着るのを躊躇します。
仕事着ならば平気です。みんなそうだから。
今日のテーマは、「ないものはない(Part2)」です。
「ないものはない」と早く開き直ってほしい。
ないからなんだと胸を張ってほしい。
若者が、落ち込んだ時、甘えたように「私がいたりません」と
言われるのを目にしたり聞いたりします。
「頑張れ」なんて声をかけません。
理由は、二つ。
今までも一杯頑張ったじゃない。知っているよ。
お前は、こんな程度か。やりたいって言ったんじゃないのか。
の二つです。
お前が優勝するのはわかっていた。
掃除のプロフェッショナル新津春子さんの上司鈴木さんの言葉です。
最高の褒め言葉です。
誰かが見ています。光るものを持っているから見ています。
面白いやつだと見ています。
それなのに、一回や二回の失敗で自分を責めやがって潰れてしまった。
まあ、一回休みと考えましょう。誰にも必要な休息。OnとOff。
「ないものはない」とないことを知ることをして欲しい。
空雑巾をさらに絞る努力をして欲しい。
どうやったら空雑巾を絞れるか伝えます。喜んで。
認知症になれば、今までの自分を忘れてしまう。
自分は何者なのかさえ理解できない。
悔しいけど現実です。
そろそろだなと思うこともしばしばです。
それでも残ったわずかな正常な器官を使って生き延びています。
「ないものはない」で良い。
気付いたじゃありませんか。足りないと。
やってもやっても足りないから、生涯修行と職人のかたは言われます。
それしきのことで、自分を否定しおって。
お前はこんなに素晴らしいところがあるじゃない。
と慰めてくれると思っているの。
ここまで言うから嫌われます。
寺の鐘 枯れ葉を揺らし われ一人
2016年1月10日投稿記事「ないものはない」を参照ください。
シンプルな生活をしたいと書いてみました。
2015年6月3日投稿記事「また、勇気をいただく」を参照ください。
新津春子さんの一生懸命を少しでも学びたいと書きました。
2016年12月12日