故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

ないものねだり

2016-12-05 00:51:07 | よもやま話

今日の似顔絵の主は、少々大人びて見えました。
韓流スターの雰囲気でした。
本人は、それほどと思ってはいないでしょう。



無くして初めて、それはとっても大事なことだったんだなと気づきます。
果たして。

今日のテーマは、「ないものねだり」です。
そこにないものを無理を言ってほしがること。
実現が難しいことを承知で求めること。(広辞苑より)

「ないものねだり」はないものを欲しがること。
ほとんどの7場合、目の前にある幸福に気づいていない。
欲が深いのか、少しの幸福に満足しないからです。

幸福に気づこうとしない。当たり前のことだと思うからです。
幸福を創ろうとしない。面倒で大変なことだからです。
幸福を分かつ人がいない。どうして、頑張るのかわからなかった。

幸福は、比較論で考えるときりがありません。
幸福は、与えられるものだと考える方がまだましになります。
幸福を作るのは、いかにも怪しげです。

ないものねだり。
あるものに気づかずと裏返しのような言葉です。

誰しも、あとであれが幸福なことだったのかと気づきます。
でももう遅い。もう元には戻らない。
もし、元に戻りたいと思うなら、それも「ないものねだり」です。

あんなに辛抱強くて優しかった母が認知症になったとたん、
我儘を言いはじめ、毒づくようになる。
うつになって、自分と向き合うことになる。
気づかなった自分を知ることになる。

やっと仲良くなった隣の人と、転勤を機に別れることになる。
「ないものねだり」は、向上心のように映りますが、
実は「棚ぼた」を期待して、三年寝太郎になることのように思います。

幸福だったと気づくのもよし。
もうちょっとと頑張るもよし。
どんなことになろうと、あわてない。
例え、刑務所に入ることになろうとて楽しめるだろう。

お話青い鳥にあるように、結局幸福は身近にあったということになる。
「ないものねだり」でなくても生きられることが素晴らしいことになる。

ただ、人は幸福を実感したい。
ならばと、口に出して言ってみれば良いことです。
醜いことも、嬉しいことも表現してみれば、
なんとなく自分の中から、人から伝わってくるのです。
それが幸福かもしれない。

好きだよと 言って初めて 私もよ

2016年12月5日



コメント
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