故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

お祭り

2015-07-12 06:37:56 | 思い出話
  
近所のおじさんが、神主になりました。

毎夜、後家の家に通っているオジサンでした。

島にもお祭りがありました。
高校生の兄貴も、勢子に駆り出されました。
回り番で行われる祭りでした。
いつも行く商店の若大将がだいば(天狗)を演じました。
大変な練習期間を経て、夜殿と本宮の二日間祭りは開催されました。
大人に混じって、若い勢子が前に押し出されました。
だいばの演舞の槍の切っ先が鼻づらを通りました。
兄貴は真っ黒になりながら、祭りのあと友人と写真に納まっていました。
兄貴も友人も大人に見えました。

台湾の京劇は、小さな舞台を大勢の観客が取り囲んで立ったまま観劇していました。
商業演劇か祭りの出し物か、突然行った私には判断できませんでした。
暗闇に人だかりを遠くから見ました。

ミュンヘンのビール祭りは、
着飾った馬車に今年のビール樽が積まれてパレードから始まりました。
テレビで最後まで、映していました。
夕方には、10万人近くの人がお目当てのビールを称賛するために集まりました。
この日のために、若い男女は、南ドイツ特有の民族衣装をつけていました。
若い女性は、胸元を大きく開けている衣装でした。
若い女性ははにかみながらも、ポーズをとってカメラに応えてくれました。
16歳で低アルコールの飲酒が許される若者たちは、盛り上がって喧嘩に発展したのか
血を流していました。

広島では、管弦祭があり、島から大漁旗で飾った漁船で宮島に行きました。
子供らは、管弦祭どころか珍しい物売りの店ばかりを覗いていました。

博多の祇園山笠では、男たちが一月も合宿をし、女に接触をしないとのことでした。
そのエネルギーを一発勝負の追い山の疾駆にかけると聞きました。
必死で走り抜ける褌の男たちが、博多女の憧れです。

祭りには作法があります。若者にとって大人への入り道です。
学校では習えない、土地独特の受け継がれて来た伝統です。
誰もが受け入れます。神事だからです。真剣そのものです。

沖縄で行われる那覇マラソンの応援のために、
多くの女性たちが朝からおにぎりを作ります。
そのおにぎりは、ランナーの誰彼なしにふるまわれます。
必死に何かをする人を応援したくなるのです。

お祭りは、人々の心を一つにします。
神事に使われるしめ縄作りも、全員で行います。
毎年、祭りは引き継がれます。伝統の祭りは名もない人々に支えられています。
祭りに参加するだけで、血が騒ぎます。

我が家でも、祭りの時にはご馳走を母が作ってくれました。

毎年繰り返される祭りです。
祭りならではのことが多くあります。
人々は、おおらかになれるのです。
この気持ちは、万国共通です。祭りだから。

裾翻し 今年は娘の 晴れ舞台

2015年7月12日
コメント
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