故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

ひたすら正直に

2015-07-22 06:03:38 | よもやま話
福岡天神の岩田屋裏の公園で会いました。

  
嘘がばれた時ほど醜いものはないのです。

嘘の上塗りをするような毎日です。
情けないことです。

正直に生きようとします。
正直に生きることは、時として他人を傷つけることがあります。

今日の主題は、「ひたすら正直に」です。
毎日、プチ嘘をつき続けています。

貴女を愛しています。
100%ではないのです。
おおよそ愛しています。

嘘は、自分の本当の姿から自分を遠ざけるのです。
正直は、本当の姿に近づこうとしているのです。
言葉は、本当の気持ちを表現するには、あまりにも残酷です。
適当な表現を知らないのです。発した瞬間から少しずつ違うのです。
一緒に生活をしているうちに、言葉が共有できるようになり、
本来の意味になり、奥深さに達するのかもしれません。

表情はどうでしょう。
この方が、まだしも正直と言えます。

感動は、さらに正直です。
口先だけでは表現できないからです。
混じりけが少ない(Pure)とも言えます。
ふてくされていたんでは、感動は起きてきません。
なんとかならんかなと気持ちが前向きな時に、
感動は起こります。
後ろ向きでも、殴られたような感動が自分を目覚めさせます。

前にも書いたような気がします。

幸せは、降ってくる。
感動は湧いてくる。

幸せは、努力した人に与えられる。
感動は、万人に届けられる。

宗教論のようです。

正直に生きることは、普遍の真理を探すことではありません。
感動こそ、自浄作用を持ち合わせ、生きる力となるのです。

今日の幸せは、明日の幸せを保証してくれません。
明日は、気持ちが変わるかもしれないし、何があるか分からないのです。
残念ながら、幸せは比較論に成り立っています。勘違いとも言えます。

感動は、その時の状況と共に長く記憶されます。
そして、突然起こります。

正直に生きることで、神経が研ぎ澄まされてくるのではないかと考えます。
ひたすら正直に生きる。その人にしか出来ないのです。

冒頭の絵は、私が感動した一つです。
ビル群の中で、手を広げて空に何か訴えています。
正直に、「歓喜」を伝えたいのではないかと感じました。

感動があるから生きていて楽しいと考えます。

ひたすら正直に生きる。
出来ないことなのです。

木の根元 蟻が木くずを 運び出す

2015年7月22日

コメント
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