10年前になるだろうか、台中に行ったことがある。
沖縄の泡盛酒造場の社長たちと10人のツアーであった。
那覇から30分で台北空港へ到着、さっそく台北のホテルのレストランへ
入って飲みだした。昼間から酒豪伝説の始まりであった。
バスで華中へ移動を始めた。
高速道路のサービスエリアで、「幸福の鳥」のためにいくらかの金を出して、囚われの鳥を逃がしてやった。なんのことはない、逃がした鳥は近くの枝に止まり飼い主の次の指示を待っていた。
その日は、明日の工場視察のために夜は勉強になった。
想定される質問の英語訳、返ってくるであろう答えの和文訳を繰り返し想定し、単語、特に科学用語を調べた。
翌早朝、湿気を感じる街中に散歩に出た。犬は自由に歩き回り、公園では老若男女が太極拳のような体操をしていた。雰囲気が記憶にある故郷の広島に似ていた。懐かしさのあまり、少し長く散歩をした。
酒豪たちは何でもなかったように、朝の食卓で屈託なく台湾を評していた。
世界に一つのプラント「超臨界CO2抽出設備」を見学した。玄米中に含まれた農薬と重金属を取り除く(90%除去)設備である。抽出用のベッセルに使われている鉄板は30mmであった。この設備の多くは、香水の抽出に使われるのである。説明をしてくれた設備の長は立派な博士であった。
苦労の連続の通訳が始まった。通訳は私一人。酒豪達は、魔法のようなプラントに興味津々であった。得意になって説明する博士は俄然のってきた。聞きなれない科学用語の連発。素朴な質問の連発に経済的な関心も混ざるのであった。そこまで聞くか、そんなに丁寧に難しく答えなくてもと思いながら大汗をかいた。私の狙いは、このプラントを泡盛協会に導入することであった。泡盛の原料はタイ米であり、破格の値段(国際価格)で輸入されていた。工業化が進むタイで作られる米の安全は、脅かされてきていた。一方、泡盛は国際ブランドで売られようとしていた。想定される泡盛輸入国の「食品原料の安全基準」が、日本より厳しいところが私の注目点であった。酒豪達は、大いに満足してプラントを後にした。
昼食は、農業地域である食材の宝庫の華中のレストランであった。出てくるものすべて珍しい料理ばかり。当然酒盛りは大いに盛り上がった。
窓越しの景色に、私の故郷の原風景があった。
夜には、食事のあと宮古名物「おとおり」がウイスキーで始まった。
注がれた酒を飲み干し、口上を述べるのであった。少なめの6人で始めたおとおりは、すでに5廻り目、3本目のウイスキーの瓶も底であった。
酔っぱらったように見えなかった泡盛協会の会長に部屋まで来いと言われ、付いていった。25億円のプラントを半分にしろ買ってやると言われた。飲みっぷりも良ければ、交渉も大胆であった。断ると、もう帰れとひどく怒らせてしまった。私は、若い馬鹿者であったのだ。翌朝は忘れておられた。
それから、10年この酒豪の皆さんと付き合わせていただいた。時には、新泡盛蒸留工場の設計段階で、アドバイスをした。機械も買っていただいた。後にも先にも一回きりのおとおりを経験した。
2014年7月18日