故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

Know-howは果てなし

2014-07-16 03:25:48 | プロジェクトエンジニアー

001

Know-howを隠すことをやめて20年が経ちます。
大事なKnow-howです。会社のアイデンティティーを保つ手段です。
プロジェクトをやるたびに、考える密度と実施する精度は向上しました。
しかし落胆も大きくなる一方でした。常に知恵が足りないと思い続けてきました。
Know-howを積極的に外部に発信するように心がけるようになったのは、
隠す必要はないと思うようになったからです。PJが終了した途端、陳腐になるからです。
 

常に、新手法をPJに取り入れ続けるようになりました。
「あとから出てくるクレームの先取り」は出来ないものかと考えました。
あるPJでは、顧客の責任者が、社員全員(その当時は、30人)に10個/人ずつ 強制的にクレームを書かせて、PMである私にぶつけてきました。PJが終わった瞬間300個のクレームが来ました。
1月で50個まで減らしました。すると、同じ手法で300個上乗せされました。ひどい話だと思いました。
350個のクレームをあと10個くらいにするのに、前の1月と併せて6ケ月かかりました。私は、現場を離れることは できませんでした。このようなPJのクレーム処理は悲惨でした。24時間のうち、対処に可能な時間は 3Hr+3Hr+2Hr=8Hr/日でした。職人は、24Hr営業のサウナに宿泊していました。 私達は、2人で監督をまわしました。始めたら、仕舞うの繰り返しでした。製品が流れ続ける中での対処です。
 

どうして、顧客はこんな理不尽な仕打ちをするのか半年後に分かりました。
私達エンジニアリング会社を初めて使うその責任者は、猜疑心の塊でした。
私は、その時、「このお礼は倍返しにしてやる。」と心に誓ったものです。 同時に、どうしてクレームを予見できなかったのか悩みました。
また、紙(設計)の段階でクレームを予見できないものか工夫をすることを、心に誓いました。
 

基本構想時に、スコープ(顧客、ゼネコン、エンジニアリング会社の役割と責任)、建築、建築付帯設備と機械の共通基本設計事項の設定、スケジュール(設計、購買、建設)も密に練り上げました。そのための補助的な計算書、基本設計(ゾーニング、機器リスト、レイアウト、設備及び機器仕様書)に顧客のサインをもらいました。承認図にサインをもらうのも当然な成り行きです。
工夫を凝らした仕掛けの数々を埋め込みました。同意しやすい基本概念から始めて、ゼネコンをしばり 顧客をがんじがらめにしました。それでも、この顧客はクレームを出してくるだろうと予想しました。
FS時に、PJ予算をぎりぎりまでふかしました。顧客には、値切るしか能がありませんでした。
PJ内に隠し予算を作り、会社の上司にも明かしませんでした。気の利いたPMなら、ここまでは普通にやります。
 

私は、クレームのあぶり出しに医薬のバリデーションチームを使いました。
まず初めに、社員を集め次はどんな工場を作りたいかアンケートを取りました。 アンケートに真面目に分かりやすく答えました。
私は、現状のアイデア(知識)では今以上の考えが社員に生まれてこないと判断しました。
医薬までは行かないまでも、食品工場のさらに一歩進んだ衛生概念、省エネの理想的な工場を社員に描いてもらいました。
バリデーションチームのトップに、あるべき食品工場の構想をより医薬に近づけてプレゼンテーションをしてもらいました。
そして2回目のアンケートを取りました。驚くべき結果でした。理想的な食品工場を社員の方々が描いてくれました。
私は、感謝しながらそれにも真剣に答えました。
 

PJには、変更はつきものです。契約後も、顧客の望みは高くなるばかりです。金額に合わなくても、すべて受けました。
承認図の段階でも、顧客は勉強したものをぶつけてきました。すべて取り入れました。
機械業者に発注する直前にも、顧客に最後の望みを発言する機会を作りました。ホテルに全業者を呼び出し、顧客の最後の望みを飲んでもらいました。金額が出るものは、業者に支払の約束をしました。どう調整してもその時点で、数千万円(十数億円のPJ)は、予算オーバーでした。工事中も、望みを聞き続けました。その累積は、さらに跳ね上がっていました。併せて最初の金額の約2倍になっていました。
すべての望み(エンジニアリング業務連絡書)には、見積金額付きの顧客のサインがありました。闘う道具と仕掛けがそろってきました。着々と仕返しの機会を、私はうかがっていました。エンジニリングフィー10%(1億数千万円)の1/5を取り戻すチャンスです。追加金額は、当然払っていただきますよ。お客を脅し続けてきました。PJ終盤になると、そのプレッシャーは高まりました。
 

千載一遇のチャンスがめぐってきました。1月前倒しができると、商売上(売り出し時期が)都合がよいと、顧客は言われました。
私にはその準備もできていました。ゼネコンにどのように1月短縮させるかシナリオを告げ、シナリオ通りに発言してもらいました。
絞りに絞った契約金額の割り戻しを業者に発表しました。工期短縮による利益は徴収しないと告げました。顧客には、検査期間(のんびりと2月取っていました)短縮の
協力を要請しました。
条件は、1月短縮で追加金額はいただかないということでした。
すべての関係者のベクトルが合致しました。少々のことは、業者は飲みました。協力すれば、業者の懐に入る金は大きかったのです。
最後の最後まで顧客は望みを言い続けました。
私は、何度もチャンスをあげ、その上まだ言うかと言いながら最後の望みを受けました。その金額もいただきませんでした。
不思議なことが起こりました。顧客の責任者が、社員から上がってくるクレームを潰していました。「こんな恥ずかしいことは言えない。」とエンジニアリンング会社は、ずーっと前からそのクレームに対しすでに対処していて、対処はこうだと社員を説得していました。私は、悠遊と契約1月前に、現場をたたみました。1月分の現場経費とクレーム対処に組んでいた予算とMHも全額残りました。損失金額を大きくオーバーしていました。私はすでにエンジニアリング会社を退社していましたが、そのPJは会社から表彰されました。私は、次の会社からの契約社員として、PMをやっていました。200万円くらいの報奨金は、PJにはまったく関係のない私の上司と私と一緒に苦労した人たちが受け取りました。おまけに、件の顧客責任者と社長は、親会社の社長に私を推薦していました。私は、親会社の社長に手紙を書きました。「後からでてくるクレームの先取り」を訴えました。そのフレーズは、えらく受けたようでした。
 

今回のPJでは、まったく違う試みを実施しています。ボトルネック探しと称しています。設備ができても、使いこなせなければ何にもなりません。その設備を生かすための工夫(人員配置、作業員の教育、作るKnow-howの改善、ソフト(FA)の改善等)を社員と一緒に考えています。私がシミュレーションしたボトルネック例とヒントを出し続けています。設備を使いながら、リスクを最小にするための工夫を社員に作らせ続けているのです。何故、その作業が必要なのか説明するだけでなく、さらに高い意識で会社員生活を送るプレゼンテーションも加味しながら、知恵を絞っています。
私には、使う側と作る側の境はありません。どちらにも知恵を使う、研鑚する機会を提供し続けています。現会社に入る時に、描いた生きざまのほんの一部ができているような気がします。終わりも境もありませんね。
 

Nさんの疑問(作る側と使う側の立場の違い)に、自分が持てるKnow-howと工夫で答え、伝えることができました。
機会を与えてくださったNさんに感謝します。
 

2014年7月16日

コメント
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