そのとき、勤務先の会議室で来客を迎えて会合の準備をしていた。
客を会議室に案内したあと、ワンフロア上の自分のワークスペースに資料を取りに行っていたそのとき。
大きな揺れに、輪留めしていなかった可動式の本棚を抑えながら、ただただ茫然とあたりをうかがっていた。
窓の下に見える公園には、歩行者や周りのビルから溢れた避難者が集まっていた。
会議は即座に中止とし、来客も帰社することとなり、勤務先から比較的遠隔地に住む自分は早期退社の指示を受けて、揺れのあと、1時間半後に帰宅者の群れの中にいた。
遠回りになるが、普段使っているJRの沿線に出ることを考え、だんだん暗くなる道を歩き続けた。
当初は7時間かけて直接自宅まで歩き通すつもりだったが、さらに遠回りして実家に辿り着き、クルマを借りることにした。
実家から自宅までは普段なら1時間強。しかし、停電のためにところどころで信号は止まり、迂回路に誘導されたりして倍以上の時間がかかった。自宅周辺も停電していて、街頭もつかず、言葉通り真っ暗闇の中の帰宅となった。車のライトを消せば、鞄の中のカギを探すのも大変なほど、暗闇に包まれていた。
ニュース映像の中の津波は、はじめはさほどの高さに見えなかったのに、徐々に力を増して、大きな船を陸に押し上げ、平地を覆い尽くし、たくさんの命を流し、財産を瓦礫に変えてしまった。映像に驚きながら、そこで人が亡くなっていることの現実を受け止められない。
あれから3年も経過して、復興も原発事故の収拾も進まない。そして、自分の中でいまだに何も行動できていないことの情けなさ。阪神のときも結局何もせず、震災の何年もあとに神戸を訪れ、微々たる出費をした程度。いずれの震災も幸いにして親族縁者や友人で被災したものがいなかったから?違う、逃避している。関わりたくないと願っている自分がいる。今の生活をキープするのに精一杯なのにと言い訳している自分がいる。
週末、交通費と時間を割いてボランティアに行くことができたんじゃないのか。
義援金に少しでも寄付することができたんじゃないのか。
3月11日を迎えるたびに自分の卑小さを思い知るばかりだ。