楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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南部アフリカ紀行ー喜望峰 旅のアルバムの処分(5)

2021年09月18日 04時01分34秒 | 南部アフリカ紀行
(パソコンのリカバリにより写真喪失。
自分のビデオから取り込んだ写真を貼り付けてあります。)
 
(喜望峰)

喜望峰に着くと看板が立っており、
 Cape of Good Hopeと書いてあった。
日本語では「希望岬」と言うのだろうか。
喜望峰を直訳したような英語であるのにハポネのボクは嬉しくなった。
 
インド洋と大西洋がぶつかり合う荒々しい海に、
その岬は突き出ている。
大洋と大洋とがぶつかり合い激しい風がうずをまいている。
時には、立っていると吹き飛ばされそうになる。
風速25m以上はありそうだ。
 
つい最近、青森県の竜飛岬を訪ねた。
太平洋と日本海がぶつかり、
暖かい空気と冷たい空気がぶつかり合い、
激しい風に見舞われた。
ほんの10m程度の道路さえ、
風で吹き飛ばされそうになり、
体重の軽いカミさんは動けなくなった記憶がある。
道路を渡り終えたボクがまた元のところへ戻って、
カミさんの腕を取って道路を渡ったほどである。
 
喜望峰の西側はインド洋、手前側は大西洋で、
竜飛岬と同じように風が激しく吹いて、
立っているのがやっとである。

 
(喜望峰)

未開地のアフリカのさらに先の喜望峰には、
風の強いのも物ともしない動物達が歩いている。
やわらかい毛並みを風になびかせながら、
餌を求めてオランウータンの親子、
野生のダチョウや鹿が子ずれで歩いている。
 
(オランウータン)

(ダチョウの親子)

(鹿の子ずれ)

喜望峰は、15世紀の終わりに、
ヴァスコ・ダ・ガマがこの岬に到達して以来有名になった。
 
ヴァスコ・ダ・ガマが、
最初に目をつけたのが、気候が温暖なこと。
この地に野菜を栽培し、
船旅の敵である(壊血病)の解決のため
食糧補給基地にすることであった。
 
ボクの知識の中では、
喜望峰はヴァスコ・ダ・ガマによって最初に発見されたと思っていたが、
なんとヴァスコ・ダ・ガマより先に
喜望峰に到着した人が居た。
到達した人の名前はバーソロミュー・ディアスという。
南アフリカの人里はなれた丘陵に
その人の記念碑は立っている。
 
道路を挟んだ反対側に、同じような記念碑が建っており、
これがヴァスコ・ダ・ガマの記念碑である。
 
ヴァスコ・ダ・ガマは
バーソロミュー・ディアスより十年遅れて喜望峰に到着、
さらに船を進めてインドに到達した最初の人である。

大冒険家がこの岬を抜けて、
この先に何があるか分からない、
いや、何もないかも分からない海の上を、
風に任せて船を進めるには
よほどの好奇心と勇気が必要だったに違いない。
好奇心が勇気を鼓舞し、
勇気が行動を駆り立てる。
明日の命が無くなるかもしれない恐怖を乗り越え、
船を進める。
 
進む船の先に好奇の目は釘付けになっているに違いない。
仮に蜃気楼であろうとも、
そこに島影が見つかれば、
その島に好奇の目は注がれ、
島の上にある植物はもちろん、
動くものは何にでも目は注がれる。
それが波であれ、雲であれ、風に動く木の葉であれ、
そこに目新しい何かが無いか注目される。
冒険者のもつ好奇心だ。
何物にも代えがたい。
船員は壊血病で一人また一人と倒れていく。
その中でさらに先に船を進めようとする勇気と好奇心に
敬意を表したい。
 
ボクは長いこと、この「喜望峰」に来て、
「バスコ・ダ・ガマはいったいどんな気持ちで
この喜望峰を通り抜けて行ったのか」
 
現地で大冒険家に成りすまして体感してみたいと思っていた。
判ったことは、インド洋と大西洋の風がぶつかり、
荒れ狂う海を越えていくには、余計な感傷に浸っている余裕は無い。
船の舵をどちらに向け、帆をどのようにするか、
乗組員に迅速に指示しなければならないだろう。
 
水先案内人はいない。海の状況はどうなのか、
浅瀬なのか深いのか、岩が出ていないか、
時々刻々と動く気象の変化、海の変化に対応して、
速やかに判断し指示を下していかなければならないのだ。
 
未知の世界に挑む人が、ほっと反省するときが来るのは、
船を故郷に向けて引き返すときにしかないだろう。
 
喜望峰に来て、大冒険家の心を、
今回ほど偉大なものに感じたことがない。
 
(喜望峰のレストランで)

(アフリカ旅行はつづく)



コメント (2)
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