(アパルトヘイトとマンデラ大統領)
ノーベル平和賞を授与された南アフリカのマンデラ大統領は、
アパルトヘイト(人種隔離政策)から
黒人を救った偉大なる指導者である。
だから、南アフリカの観光地として、
マンデラ氏が生活した住居が、
観光名所として残されており、
教育の一環としてアフリカの子供たちが毎日のように見学に来ている。
(南アフリカの大統領マンデラ氏の家を見学)
ガイドさんから、その住居を訪問する際の注意があった。
「バスを降りて、物売りの子供にお金をせびられても、
絶対買わないで欲しい。
子供たちは楽にお金を稼ぐ方へ流れて、
働いてお金を稼ぐことをしなくなるからです。」と。
しかし幸いなことに、マンデラ氏の住居に行く途中で
そうした子供たちに出くわすことは無かった。
よほど注意が徹底されているのであろう。
ネルソン・マンデラ氏は、
1918年アフリカに生まれる。
その自伝によれば、
「アフリカ人は、アフリカ人専用病院で生まれ、
アフリカ人専用バスで自宅に連れ帰らされ、
アフリカ人専用地域で育ち、アフリカ人専用学校に通う。
就職も、居住区も、汽車やバスも「専用」の差別
――アフリカ人の人生は、成長をむしばみ、
可能性を狭め、生活を妨げる差別的な法律や規則で
がんじがらめになっている。」
と述べている。
白人優先黒人差別のアパルトヘイト(人種隔離政策)
と戦い続けたアフリカ人の指導者、
ネルソン・マンデラは、
今では世界遺産に指定されているロペン島で、
27年に及ぶ投獄生活を経て、
アフリカ民族の人種・階級の差別を撤廃し、
アフリカ人に希望と勇気を与えた大功労者である。
マンデラ氏の住んでいた家は、
大変質素なもので、居間、食堂、寝室ともに狭く、
日本人のウサギ小屋と大差なかった。
それでも偉大な指導者の住いには、
子供たちが引率されて大挙して
見学に来ていたのを目の当たりにして、
マンデラ氏の偉業を肌で感じることが出来た。
(マンデラ大統領の家の食堂)
(居間)
(寝室)
(マンデラ大統領の家の見学に来る生徒たち)
しかし一方で黒人指導者の現在の施政について、
ガイドさんの話によれば、
「雇用主は必ず何%かの黒人を雇わなければならないとされ、
黒人であれば、誰もが無償で家を支給される」のは、
黒人優位のゆがんだものという。
(話遅れたが、この時のガイドさんは韓国人で、
自分には家が貰えていない不満があるように感じた。)
それにしても、バスが走る沿道には、
木の柱に石を載せたトタン屋根の、
腰をかがめなければ住まいに入ることが出来ない家が、
びっしり並んだスラム街が延々と続いているのは
どういうことなのだろう。
一度この生活に慣れると、その自由さに、
あるいは近隣の人情の機微に出会って、
離れることが出来なくなるのであろうか。
ガイドさんの話は続く、
「マンデラ氏は三回離婚して四度目の結婚をしているが、
その四度目の結婚相手は、
アフリカの大統領と同じ四度目の結婚を果たした女性」
であると言う。
話が変わるが、
ここで思いだすのは、
アメリカ人は白人であれ、黒人であれ、
とても動物的であるように思う。
例えば映画。
アメリカ映画の中には、
必ずと言っていいほどセックスシーンが出てくる。
日本で有名になった映画「マジソン群の橋」の初老の男女。
「プライベートライアン」における女性新聞記者と将校。
将校の部屋で、将校の両足をまたいで下半身裸でまたがり、
上下動をするセックスシーンは、少し生々しすぎと思えるし、
戦争映画の中にもセックスが出てくる必要はなさそうなのに・・・
「プリティウーマン」社会的地位の高いインテリ弁護士と
街の女の関係など、
映画の中で、街の女が訊く、
「Are you court?」と聞くシーンがあり、
太もものストッキングの間から、コンドームを取りだすシーン、
その他数えだしたらきりが無い。
映画の中に必ずこのような性にかかわる
シーンが出てくると言うことは、
このシーンが出てこないと
映画を見に来る人がいなくなることを恐れての製作
と思えてならないのである。
もちろん人の営みとして、必要なことであり、
開けっぴろげに出来ないことであるから、
余計興味をそそるのであろうが・・・
「それにしても恥知らずな」と思うのは、
儒家思想の日本人だからであろうか?
人間とは、「知恵、意志、感情を持った動物」と定義されるが、
その中の動物の部分が拡大された人種のように思えてならない。
それがアメリカ人だ。
(街にたむろする人達)
話を戻す。
ノーベル平和賞を貰ったネルソン・マンデラ氏は、
アフリカ人を守った偉大な指導者であることは認める。
しかし人として四度の結婚はどう見るべきなのだろうか。
相手の見極めが出来なかっただけでは片付けられない。
結婚するとき男女は、まったく別々の環境、
別々の両親、別々の考えで育っている。
従って二人の間には、一部は共感できるところはあっても、
共感できないところのほうが多いはずだ。
その共感できないところを、お互い補完しあいながら、
あるところでは一方が我慢・妥協し、
あるところでは他方が我慢・妥協して
生活が成り立っていき、新しい家庭が築かれていく。
どの家庭をとっても、一つとして同じものは無い。
一つ一つまったく違う家庭で育つ男女の結婚であるから、
どこかに違和感があるのはごく当たり前である。
それを我慢できずに四回結婚をするとなると、
ボクに言わせれば
「これはもう人としては0点である。動物でしかない。」
27年間の投獄生活での抑圧された生活からの
開放感が影響しているのか?
あるいは投獄生活で抑えに抑えられた闘争心が
姿を変えて現れてきた来たものだろうか?
マンデラ氏について、ガイドさんの説明を聞き、
住居を見学しながら
そう思った。
皆さん!!
ご意見が沢山ありそうに思えます。
(アフリカ旅行はつづく)