当方は、ボクを入れて家族4名と
相手は、教授を含む医師団5名で、
大学病院の一室で会合。
お酒でも出て食事会なら楽しい話であるが、
ボクの入院した治療方法についての会合である。
助手の一人が話を切り出す。
「余り緊張なさらずに、気楽にお聞きください。
罹ってしまったものはしかたありません。
病気は悪性リンパ腫。つまり血液のガンです。
血液ですからガンは全身に廻っているのは普通ですが、
首から上には転移していませんでしたが、
ガンの進行では第4ステージです。
と言っても、よく理解できないと思いますが、
こう言えば御理解いただけるでしょうか。
ガンですから治療して治っても、
(三年間生存率 30%)と言えば、
ご理解できますでしょうか。」
ここでボクが質問した。
「ガンの治療は大変苦しいので、治療しないという選択肢もあるのでしょうか?」
「それも含めて今日集まってもらったのです。」
「治療しないとどうなりますか?」のボク。
すると今まで黙っていた教授がやおら口を開いて、
「そのときは、あと一年の命です。」
ずばりと答えた。正直な先生である。
「それで治療方法について今日集まっていただいたのです。」という。
「入院期間はどのくらいでしょうか?」
「およそ半年」
この前手術の時に初めて知った。
(治療方法については患者が納得して了解を得ないと、
治療が始められないということを。)
これを、「インフォームド コンセント」という。
イエス・キリストの十字架のような木の手術台の上に乗せられ、
両手を広げ片方の腕に血圧計をつけ、
手術前の麻酔の時に、
「全身麻酔にしますか、部分麻酔にしますか?」と訊かれた。
この了解と同意を得ることが「インフォームド コンセント」
即座に、
「部分麻酔にしてください。
手術中の会話が聞こえるし、
上で光っている照明に映る影で、
どんなことをしているかが判るので。」と答えた。
昔、痔の手術をしたことがあった。
手術中、医師が話す言葉が聞こえてきたので、
気持ちがまぎれた経験があったからだ。
麻酔医師は頷いて、部分麻酔にした。
ところが電気メスが、
「ジャキッ」と音がして、
下腹部に猛烈な痛みが走って、体が反応した。
それで医師が「全身麻酔にしましょう」と変更することにした。
これも「インフォームド コンセント」
何故麻酔が効かなかったのか、
ボクが酒豪だったからかどうか知らないが、
変更することに同意した。
あるいは始めから変更を予定していたのかもしれない。
医学上は、治療に当たっては、治療方法について、
患者の納得と同意が必要だからである。
「全身麻酔にしますか、部分麻酔にしますか?」
これは同意が必要だったのである。
しかし考えてみれば患者はそのどちらが良いか知らないのが普通。
ボクのように手術の経験があったから部分麻酔と言えるが、
経験のない人は、どちらと答えることは出来ない。
「お任せします。」の回答を、
実は期待していたに違いない。
さて、全身麻酔に変更することになった。
医師が言う。
「十まで数を数えてください。そのうちに眠くなりますから。」
十まで数える必要もなく、四まで数えたら麻酔は効いて、
意識を失い、手術は終わったようである。
気が付いたら病室のベッドの上であった。
ボクは知らなかったが、
麻酔からさめて患者の応答があるまで、
手術室から動かすことは出来ないそうである。
応答があったから病室に居るらしい。
カミサンと息子が居て、
「気が付いた?」と。
「手術前から摘出したものを見せて欲しいと頼んであったのだが」とボク。
「見せてくれたよ。温泉卵みたいなものだったよ」という息子。
その摘出したものが悪性腫瘍で、
全身に転移したものだそうである。
さて話が脇にそれてしまった。
家族四人が五人の医師団に囲まれて説明され、
治療して三年待って死を選ぶ方が良いのか、
治療を止めて一年以内に死ぬ方が良いのか、
判断に困った。
いろいろ考えて、三年先には医学も進歩しているに違いない、
その時は、生き延びられるに違いない。
定年後まだ五年だ。
やりたいことはまだ一つも成し遂げていない。
今、大事なことは、
治療には患者の同意が必要であることだ。
化学療法を行うことをボクは了解した。
「それでは6月2日から治療を始めます。
それまでに身辺整理と心の整理をお願いします。」
大学教授が軽く言った。
つまり必要なのは、死ぬ覚悟だ。
それまでに、まだ五日ある。
なんとかなるだろう。
そう考えたボクが甘かった。
相手は、教授を含む医師団5名で、
大学病院の一室で会合。
お酒でも出て食事会なら楽しい話であるが、
ボクの入院した治療方法についての会合である。
助手の一人が話を切り出す。
「余り緊張なさらずに、気楽にお聞きください。
罹ってしまったものはしかたありません。
病気は悪性リンパ腫。つまり血液のガンです。
血液ですからガンは全身に廻っているのは普通ですが、
首から上には転移していませんでしたが、
ガンの進行では第4ステージです。
と言っても、よく理解できないと思いますが、
こう言えば御理解いただけるでしょうか。
ガンですから治療して治っても、
(三年間生存率 30%)と言えば、
ご理解できますでしょうか。」
ここでボクが質問した。
「ガンの治療は大変苦しいので、治療しないという選択肢もあるのでしょうか?」
「それも含めて今日集まってもらったのです。」
「治療しないとどうなりますか?」のボク。
すると今まで黙っていた教授がやおら口を開いて、
「そのときは、あと一年の命です。」
ずばりと答えた。正直な先生である。
「それで治療方法について今日集まっていただいたのです。」という。
「入院期間はどのくらいでしょうか?」
「およそ半年」
この前手術の時に初めて知った。
(治療方法については患者が納得して了解を得ないと、
治療が始められないということを。)
これを、「インフォームド コンセント」という。
イエス・キリストの十字架のような木の手術台の上に乗せられ、
両手を広げ片方の腕に血圧計をつけ、
手術前の麻酔の時に、
「全身麻酔にしますか、部分麻酔にしますか?」と訊かれた。
この了解と同意を得ることが「インフォームド コンセント」
即座に、
「部分麻酔にしてください。
手術中の会話が聞こえるし、
上で光っている照明に映る影で、
どんなことをしているかが判るので。」と答えた。
昔、痔の手術をしたことがあった。
手術中、医師が話す言葉が聞こえてきたので、
気持ちがまぎれた経験があったからだ。
麻酔医師は頷いて、部分麻酔にした。
ところが電気メスが、
「ジャキッ」と音がして、
下腹部に猛烈な痛みが走って、体が反応した。
それで医師が「全身麻酔にしましょう」と変更することにした。
これも「インフォームド コンセント」
何故麻酔が効かなかったのか、
ボクが酒豪だったからかどうか知らないが、
変更することに同意した。
あるいは始めから変更を予定していたのかもしれない。
医学上は、治療に当たっては、治療方法について、
患者の納得と同意が必要だからである。
「全身麻酔にしますか、部分麻酔にしますか?」
これは同意が必要だったのである。
しかし考えてみれば患者はそのどちらが良いか知らないのが普通。
ボクのように手術の経験があったから部分麻酔と言えるが、
経験のない人は、どちらと答えることは出来ない。
「お任せします。」の回答を、
実は期待していたに違いない。
さて、全身麻酔に変更することになった。
医師が言う。
「十まで数を数えてください。そのうちに眠くなりますから。」
十まで数える必要もなく、四まで数えたら麻酔は効いて、
意識を失い、手術は終わったようである。
気が付いたら病室のベッドの上であった。
ボクは知らなかったが、
麻酔からさめて患者の応答があるまで、
手術室から動かすことは出来ないそうである。
応答があったから病室に居るらしい。
カミサンと息子が居て、
「気が付いた?」と。
「手術前から摘出したものを見せて欲しいと頼んであったのだが」とボク。
「見せてくれたよ。温泉卵みたいなものだったよ」という息子。
その摘出したものが悪性腫瘍で、
全身に転移したものだそうである。
さて話が脇にそれてしまった。
家族四人が五人の医師団に囲まれて説明され、
治療して三年待って死を選ぶ方が良いのか、
治療を止めて一年以内に死ぬ方が良いのか、
判断に困った。
いろいろ考えて、三年先には医学も進歩しているに違いない、
その時は、生き延びられるに違いない。
定年後まだ五年だ。
やりたいことはまだ一つも成し遂げていない。
今、大事なことは、
治療には患者の同意が必要であることだ。
化学療法を行うことをボクは了解した。
「それでは6月2日から治療を始めます。
それまでに身辺整理と心の整理をお願いします。」
大学教授が軽く言った。
つまり必要なのは、死ぬ覚悟だ。
それまでに、まだ五日ある。
なんとかなるだろう。
そう考えたボクが甘かった。