楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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 「費用の捻出」

2019年08月21日 04時20分05秒 | ひとり歩き旅
2003年の話、定年後の海外旅行は、

訪ねる国の目標は105カ国と決めてあったが、
これだって、歌人の斉藤茂吉亡き後、
旅行好きの奥さんが生涯で訪ねた国が104カ国であったから、
それでは一カ国多い105カ国にしようと、
実に単純に決めた。
国連加盟国の約半分をと言うのはあとでつけた屁理屈。

海外旅行は、東京オリンピック開催年の1964年4月に、
結婚した時のカミサンとの約束。

当時は一ドル360円で、ボクの給料は手取り5万円ほど。
理髪料が日本で500円の時、アメリカでは5ドル(1800円)もしていた時代。

海外旅行は、今で言えばロケットに乗って月世界へ旅行するような話。
後で聞いた話であるが、あまりにも夢のような話で、
馬鹿馬鹿しくてそんな話はカミサンは聞いていない――つまり、
直ぐ忘れてしまったと言うのだ。

定年になる前、勤続35周年のお祝いで、夫婦ハワイ旅行10日間。
費用も手配も全て会社で済ませてくれた。

このとき200円(=ドル)だったと記憶している。
観光から三度の食事も全て会社で手配してあった。

そして定年にはなったが、旅行費用も無く、
そんな夢のような話と言っていたカミサン。
パスポートの申請に行くに当っても、まだ半信半疑だったらしい。

ボクは、これから稼いで費用を捻出しなければならない。
幸い年金で生活はできるから、今後稼いだお金は、
全部ボクの小遣いで自由になる。

ロンドン・ローマ・パリのヨーロッパ14日間の旅行費用は、
定年になった1996年時は、二人で130万円もした。

ドル円の為替レートは105~107円であった。

しかし旅行の手配は自分でしなければならない。


コメント (6)
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