生涯の中で余程印象に残って居るに違いない。
15歳の時に、ボクの一生の計画は決まった。
中学は落第一歩手前で踏みとどまった。
しかしリカバリーするのは並大抵では無かった。
でも、一日3時間の睡眠で、励んだ結果は見事であった。
中学の復讐は実に3か月で終わった。
三年間の勉強はたった三か月で終わってしまう。
高等学校は一学期が終わって、夏休みになった。
時間だけはこの二か月、一日24時間あって、
睡眠時間と食事時間、お風呂時間の他は、
すべて新しいことを知るための時間として費やすことが出来る。
勉強とは、「知らなかった事さえ知らなかったことを知る」のが勉強である。
これって解りますか?
知りたいって気持ちがあると、いつまでも勉強は付いて回ります。
ボクは毎日、5~10個ほど勉強します。
話がそれましたので戻します。
高校一年の教科書は夏休みの間にすべてマスターしてしまった。
三学期までの間、ボクの授業はすべて復習になる。
さて夏休みが終わって、二学期の中間試験の時、
今まで、ビリの成績のボクが、数学で最優秀の人と同じ成績になった。
採点済のテストの答案用紙は、成績の良い人から順番に返される。
高等学校から、そのように変わった。
ボクは二番目に呼ばれて、
テストの答案用紙を返して貰った。
ボクに言わせれば快挙であった。
答案用紙を全部返し終えて、授業が終わるや、
担任の数学の先生がボクを職員室に呼んで、
「お前カンニングをしただろう」と言う。
これには、本当にまいった!
でも仕方がない、今までが今までだから・・・・。
「先生、考えてください。ボクは一番前の席、
彼はボクと同じ列の後ろから二番目に座っていますよ。
出来の悪かったボクが良い成績だと、
そのように考えるのは仕方ありませんが、
カンニングするなんて不可能なことです。
他の学科の状況を見てからお話しください。」とボク。
更に、期末テストとの間に、
一年生から三年生まで共通の実力テストが行われた。
一年から三年まで総勢600名、
そのテスト結果が一番から30番まで成績の良い順に、
学年を問わず名前が発表され、掲示板に張り出された。
その中に、一年生でたった一人、ボクの名前があったのだ。
25番目にである。
担任の先生にまた職員室に呼ばれて、
またお小言を言われるのか、勘弁してほしいと思ったが、
以外にも、
「よく頑張ったな。先日の疑った話は許してくれ、
先生が間違っていたよ。」
鼻を明かすことが出来て気分良く、
ますます励んだことは言うまでもない。
高等学校一年の勉強は、その教科書を夏休みの間に読破して、
一年生は終わってしまった。
この頃になると、一度読んで理解したことは、
すべて頭の中に整理されて記憶されていた。
授業では、ボクが理解したのと先生の説明に差がある時は、
高々と手を挙げて質問して、自分の理解の違いを訂正し、
あるいは先生の説明を訂正させた。
当時、ボクはサッカー部に入っていた。
そのクラブには、
クラスで一番よく出来るOO君とそのお兄さんが三年生でいた。
暗くなりボールが見えなくなるまで練習して帰路に就く。
ある時、同級生が何かの都合で部活を休んだ時、
彼のお兄さんから、「弟は本当によく勉強をする」って話を聞いた。
お兄さんは、いつも全学年のトップであった。
サッカー部に居た関係で、高二の教科書は先輩から貰い受けることが出来た。
三学期に入り、高校二年の教科書と参考書を手に入れ読破して行く。
高校二年の教科書は、
高1の三学期の内に終わってしまった。
高二に進学して、高二の教科書は授業で復習し、
高3の教科書で勉強を始める。
どんどん進めて、高3の勉強も夏休みまでには完了した。
毎日の授業はボクにとっては復習であり、
間違った理解を修正する時間となった。
しかし、毎年秋に行われる実力テストは、10位以内にいつもいたが、
一位になることは、一度もない。
つまり、本当の実力は小学校と中学校の
九年間と言う時間によって作られるということだ。
しかも基礎の基礎は小学校にあるのだ。
だから頭の中がいびつで数学はよく出来ても、算数は苦手であった。
そんな具合で高校を卒業した。
昭和29年3月の事である。