楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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 #7日間チャレンジ 「大学ー社会人 (3)」

2019年08月15日 04時12分18秒 | つれづれなるままに考えること
高等学校三年生になって、高3の教科書は読破しているから、
毎日の授業は、ボクにとっては復習になる。

新たな勉強に取り組むことにした。
新たな知識を得るために、高3の授業の延長線上の先に進む参考書を買い、
先に進めることに。

そして高等学校を卒業する時期がきた。
通信簿はいつもの通り成績順に渡される。

どんなに頑張っても、一番に通信簿を受け取ることは出来なかった。
各科目のテストは、習った所から問題が出るが、
最後の一問は必ず応用問題であった。
この最後の応用問題で、よく出来る人との差が出来てしまう。
それでも成績順に渡される通信簿は、いつも2~4番目であった。

この学校のよい所は一流の先生に恵まれていたことである。
先生は超一級の先生ばかりであった。
音楽は著名な作曲家、絵画や書道は日展の審査員、
国語の「徒然草」「更級日記」などの古典は早稲田大学教授、
英語は当時NHKの基礎英語の先生から発音を、
歴史の先生は、あとで知ったが教頭先生で「隠れキリシタン」研究の第一人者、
物理はボクが二年の時の担任の時、アメリカのコロンビア大学見入学され、
4年後、アメリカから帰り教鞭を取られた。
高校の時は物理学であったのに、アメリカで推計学を学んで来られたようで、
大学では推計学を教わった。

社会人になってこの推計学が思いがけなく役に立った。
過去の経験から将来を予測する仕事に着いた。
会社の実績が一月(ひとつき)の一週間が経つと、
ほんのわずかな誤差で、その月の最終実績が推計できるのだ。
これほど重宝したことは無い。


話がそれてしまったが、高校を卒業した後のことにつなげよう。

そして大学受験である。

父親が公務員であったことから、法律を勉強しようと法学部を目指した。
高等学校は良い成績で卒業したが、
小学校と中学校の勉強はほとんど独学のようなものである。
真の実力があるはずも無いとは心の隅にあったが、
過去には、卒業予定の生徒の成績15~6番目までは合格していた大学の、
よせば良いのに国立大学の一番高い競争率6.5倍の法学部に挑戦した。

成績順で15~6番まで合格していたその大学は、
全部が競争率6.5倍では無かった。
高校の先生に3倍とか2.6倍とかの学部を進められていたのだ。
今までの自分を考えれば、結果は解り切った話で、
当然の事として6.5倍の法学部は不合格となった。


就職して気が付いたが、
僕が不合格だったその大学の卒業生が何人かいたが、
ずいぶん優秀な人とそうでない人と、
いろいろ混じって居ることが解った。

ボク自身は、仕方なく私立大学の受験をしたが、
テストはいとも簡単で、どの科目も60分の時間があったのに、
全部20分くらいで済まして試験会場から出てきた。

もし不合格なら八百屋さんになろうと心に決めていた。




コメント (4)
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