「ルポ 虐待」を読んで以来、いつか直接お話しを伺いたいなと思ってた杉山春さんのお話しを伺えるということで思い立って(いつもこれ)行ってきました。
とってもよかった。
虐待するのはなぜか?
・支援を受けられることを知らない、助けてもらえると思えない(助けてもらったことがない)社会を信頼することができない、深い社会への不信
・虐待してしまうことの自責の念が強い。
・自信が全くない
・「母なら育てられるはず」という社会通念をそのまま取り込んでいる。
・育てられない自分を受け入れることができない、それを外の人に知られるのが怖い
そうだよなぁとうんうんとうなづきながら聴いてました。
「ルポ 虐待」は、大阪二児放置の事件についての詳しい丁寧な取材から書かれた本ですが、お母さんはとてもひどい虐待と性的暴力を受けた経験を持つ人でした。
過酷な過去があっても誰もがするわけではないけれど、逆にいうと、自分がそういう経験をして、絶対私は虐待なんてしないといえる人っているのかな?
自分のことに引き寄せて考えられない社会だから虐待がなくならないんだと思います。
もちろん、どんなひどい虐待を受けていたとしても、虐待をしない人はしないのかもしれない。
でも、自覚のないところで、支えている人がいたのかもしれない。
杉山さんと安藤さん(ファザリング・ジャパンの)の対談で「虐待が減っていく要素が今の日本の社会には見出せない」という話が出てきて、このような活動を熱心にされている二人がおっしゃっていることに、とても悲しい現実を垣間見ました。
私は、産後ケアに虐待予防の一つのとっかかりをみているのだけれど、違うだろうか?
母親が子どもを産むとき、その子の幸せな将来を願いながら産むはず。
虐待しようと思って産む人はいないし、離婚しようと思って結婚する人もいないはず。
きっと、母親が大事にされて尊重されて人を信頼することができれば、助けてもらうこと人に頼ること、頼っていいこと抱え込まないでいいことを知ることができると思うのだけれど。なんとか社会のどこかとつながって助けを求めることができるのではないかと思うのだけれど。
そんな単純なことではないという声も聞こえてきそう。
そして、簡単な答えはないし、万全な正解もないように思う。
けれど、できることをするしかない、自分ができると思うこと、いいと思うことを信じてするしかない。
信じることを、できることを、祈るような気持ちでやっていくしかない。
何かこまったことがあったら、ぜひ思い出してね。
何もできないかもしれないけれど、何かできないか一生懸命一緒に考えるからね。
そんなことを口にしたりしたことはないけれど、そう思いながら仕事をしてます。
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