20分の休憩をはさみ。
新作「不思議なフシギな鳥獣茶会」

現(うつつ)太郎が南原さん、太郎冠者が万蔵さん。
和ウサギが弘道お兄さん、時計ウサギが森君。
ハートの王様がセインさん(四国公演は野村万禄さん)、ハートの女王がジョニ男さん、主人とコンプライアンス部長が平子君、次郎冠者とカエルが大野君、ハートのJとカエルが石本君、ハートの6とカエルが石井ちゃん、ウサギが河野さん、そして、フクロウの精が三浦さん。
あらすじは。
酒好きでその日ぐらしの太郎冠者、日常に疲れた現太郎。中世と現代で暮らす二人が洞穴の中で出会い、不思議な体験をする。そして・・・。
現代狂言10年目の新作「不思議なフシギな鳥獣茶会」は、これまでの集大成というのにふさわしい作品。
そして、南原さんの思いが詰まった脚本でもありました。
「ひとつ手放せば、ひとつ手に入る」
今回、とても印象に残った言葉の一つですが、「あきらめる」ということへの南原さんの考え方をとてもよく表している言葉だと思いました。
ないものねだりをするのではなく、開き直るのでもなく、色々なことを受け入れて前に進んでいくという覚悟、そんな想いがこの言葉に集約されれている・・・。
これは、これまでの作品「ことだま交差点」や「HUG」の「あきらめた僕たち」などにも共通して出てくるテーマで、作品が変わっても変わることのない、南原さんの真摯な生き方の元になる考えなんだと感じました。
そして、「繋がる」という言葉をキーワードに、親と子、西洋と東洋、過去と未来など色々な人や場面が登場し、繋がっていく。
まさか、古典の「千切木」とも繋がっていようとは!?
お釈迦様でも気がつくまい、という感じでしたが(笑)、いや、本当に、あまりにも見事な構成で、「草履の紋を・・」という万蔵さんの台詞を聞きながら、思わずうなってしまいました(笑)。
まさに、「すべてが繋がっているんですね」(笑)。
もともと現代狂言は、「狂言とコントが結婚したら?」ということをテーマに始まった舞台ですから、「繋がる」というのは現代狂言の原点でもあるわけで。
そう考えると、この「繋がる」ということを今回の作品の大きなテーマに持ってきたのは、必然だったのかもしれません。
集大成として、これまでも採り上げてきたきたテーマなども色々と散ればめられていましたが、もちろん新たな挑戦も。
歌やダンス、あるいはミュージカル。
常に新たなことを取り入れていこうという思いが今回も感じられ、うれしくなりました。
南原さんの思いが伝わるテーマ、それを伝えるための演出。
今回の新作を、松島で初めて観たときは「良かったな~」「南原さんらしいな~」「集大成だな~」と漠然と思っていたのですが・・・。
国立能楽堂の公演前、パンフレットの万蔵さんの挨拶文を読んで、その漠然とした印象がガラリと変わってしまいました。

現代狂言は今回で「一休み」。
ある程度予想していたとはいえ、この一文を読んだ時は大ショックでした。
そして、現代狂言は今回で一区切りなのだと思って観ると、台詞や所作などが改めて心に沁みてきてしまいました。
特に最後の場面。
皆で踊りを終え、二人きりになる南原さんと万蔵さん。
「すべては繋がっているんですね」
「和楽の心、狂言を忘れるでないぞ」
「いろいろ、世話になったの」
「こちらこそ」
「ひとまずは、さらばでござる」
去ってゆく太郎さんに深々と礼をする太郎
これは、太郎と太郎さんの芝居の上での台詞ではありますが、南原さんと万蔵さん自身の会話でもあるんだ・・・。
本当に、ひとまずさらばなのか・・・そう思うと、自然と涙がこぼれてしまいました。
それだけではなく、この場面を観るたびに、今までのいろいろなことが思い出され、国立能楽堂以降に観たすべての公演で、毎回涙涙の観劇になってしまいました(笑)。
さらに、洞穴の中は、いにしえと行く末が繋がるだけではなく、虚構と現実、舞台と客席をも繋ぐ不思議なところなんだと、涙目になりながら感心。
う~む、深いな~という感じです(「あたりまえじゃろ」by太郎さん・笑)。
それから。
最後の最後の場面。
夢から覚め洞穴から出ていく南原さんは・・・。
暗闇の中を手探りで模索。
何かを見つけ手を胸に当てる、納得の笑顔。
一礼して手を胸に当てたまま橋掛かりへ、、途中から手を外し胸を張って去っていく。
これこそ、南原さん自身のこの10年間の想いなのでは・・・。
お笑い芸人として迷っていたときに狂言に出会い、自分がやるべきこと、進むべき道をみつけ、今は迷いなく歩いている。
そんな思いがあのマイムに込められていたのではないかと思い、この場面もやはり涙涙。
10年間のラストを飾るのにふさわしい、とても素晴らしくて心に残るマイムでした。
(いつもお世話になってますのサイト様の管理人様から、最後に南原さんがすり足から普通の歩き方に変わる、これは狂言の世界から芸人の世界へ戻ることを・・とご教示を受け、大納得。確かにその通りだなと思いました。そう思って観るとさらに涙(笑)。改めてありがとうございました)
この場面、あまりにも素晴らしいので、南原さんの姿を目にしっかりと焼き付けておこうと思ったのですが、毎回涙で霞んでよく観えないという、笑うに笑えない(泣いてますから・笑)ことになってしまいました(笑)。
その3へ続く・・・。
新作「不思議なフシギな鳥獣茶会」

現(うつつ)太郎が南原さん、太郎冠者が万蔵さん。
和ウサギが弘道お兄さん、時計ウサギが森君。
ハートの王様がセインさん(四国公演は野村万禄さん)、ハートの女王がジョニ男さん、主人とコンプライアンス部長が平子君、次郎冠者とカエルが大野君、ハートのJとカエルが石本君、ハートの6とカエルが石井ちゃん、ウサギが河野さん、そして、フクロウの精が三浦さん。
あらすじは。
酒好きでその日ぐらしの太郎冠者、日常に疲れた現太郎。中世と現代で暮らす二人が洞穴の中で出会い、不思議な体験をする。そして・・・。
現代狂言10年目の新作「不思議なフシギな鳥獣茶会」は、これまでの集大成というのにふさわしい作品。
そして、南原さんの思いが詰まった脚本でもありました。
「ひとつ手放せば、ひとつ手に入る」
今回、とても印象に残った言葉の一つですが、「あきらめる」ということへの南原さんの考え方をとてもよく表している言葉だと思いました。
ないものねだりをするのではなく、開き直るのでもなく、色々なことを受け入れて前に進んでいくという覚悟、そんな想いがこの言葉に集約されれている・・・。
これは、これまでの作品「ことだま交差点」や「HUG」の「あきらめた僕たち」などにも共通して出てくるテーマで、作品が変わっても変わることのない、南原さんの真摯な生き方の元になる考えなんだと感じました。
そして、「繋がる」という言葉をキーワードに、親と子、西洋と東洋、過去と未来など色々な人や場面が登場し、繋がっていく。
まさか、古典の「千切木」とも繋がっていようとは!?
お釈迦様でも気がつくまい、という感じでしたが(笑)、いや、本当に、あまりにも見事な構成で、「草履の紋を・・」という万蔵さんの台詞を聞きながら、思わずうなってしまいました(笑)。
まさに、「すべてが繋がっているんですね」(笑)。
もともと現代狂言は、「狂言とコントが結婚したら?」ということをテーマに始まった舞台ですから、「繋がる」というのは現代狂言の原点でもあるわけで。
そう考えると、この「繋がる」ということを今回の作品の大きなテーマに持ってきたのは、必然だったのかもしれません。
集大成として、これまでも採り上げてきたきたテーマなども色々と散ればめられていましたが、もちろん新たな挑戦も。
歌やダンス、あるいはミュージカル。
常に新たなことを取り入れていこうという思いが今回も感じられ、うれしくなりました。
南原さんの思いが伝わるテーマ、それを伝えるための演出。
今回の新作を、松島で初めて観たときは「良かったな~」「南原さんらしいな~」「集大成だな~」と漠然と思っていたのですが・・・。
国立能楽堂の公演前、パンフレットの万蔵さんの挨拶文を読んで、その漠然とした印象がガラリと変わってしまいました。

現代狂言は今回で「一休み」。
ある程度予想していたとはいえ、この一文を読んだ時は大ショックでした。
そして、現代狂言は今回で一区切りなのだと思って観ると、台詞や所作などが改めて心に沁みてきてしまいました。
特に最後の場面。
皆で踊りを終え、二人きりになる南原さんと万蔵さん。
「すべては繋がっているんですね」
「和楽の心、狂言を忘れるでないぞ」
「いろいろ、世話になったの」
「こちらこそ」
「ひとまずは、さらばでござる」
去ってゆく太郎さんに深々と礼をする太郎
これは、太郎と太郎さんの芝居の上での台詞ではありますが、南原さんと万蔵さん自身の会話でもあるんだ・・・。
本当に、ひとまずさらばなのか・・・そう思うと、自然と涙がこぼれてしまいました。
それだけではなく、この場面を観るたびに、今までのいろいろなことが思い出され、国立能楽堂以降に観たすべての公演で、毎回涙涙の観劇になってしまいました(笑)。
さらに、洞穴の中は、いにしえと行く末が繋がるだけではなく、虚構と現実、舞台と客席をも繋ぐ不思議なところなんだと、涙目になりながら感心。
う~む、深いな~という感じです(「あたりまえじゃろ」by太郎さん・笑)。
それから。
最後の最後の場面。
夢から覚め洞穴から出ていく南原さんは・・・。
暗闇の中を手探りで模索。
何かを見つけ手を胸に当てる、納得の笑顔。
一礼して手を胸に当てたまま橋掛かりへ、、途中から手を外し胸を張って去っていく。
これこそ、南原さん自身のこの10年間の想いなのでは・・・。
お笑い芸人として迷っていたときに狂言に出会い、自分がやるべきこと、進むべき道をみつけ、今は迷いなく歩いている。
そんな思いがあのマイムに込められていたのではないかと思い、この場面もやはり涙涙。
10年間のラストを飾るのにふさわしい、とても素晴らしくて心に残るマイムでした。
(いつもお世話になってますのサイト様の管理人様から、最後に南原さんがすり足から普通の歩き方に変わる、これは狂言の世界から芸人の世界へ戻ることを・・とご教示を受け、大納得。確かにその通りだなと思いました。そう思って観るとさらに涙(笑)。改めてありがとうございました)
この場面、あまりにも素晴らしいので、南原さんの姿を目にしっかりと焼き付けておこうと思ったのですが、毎回涙で霞んでよく観えないという、笑うに笑えない(泣いてますから・笑)ことになってしまいました(笑)。
その3へ続く・・・。