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Untersee-Boot

あるいは感想記として

『スポーツドリーム』 12/20

2008年12月21日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは巨人の阿部選手。

今回は、恒例の10の質問で野球話をあれこれと。
まずは、"プロになって丸8年ここまではあっという間だった?""子供のころから今まで野球をやめたいと思ったことは一度もない?"という質問などがありつつ、質問の最後のほうには、

南原 「9問目、実は、ここだけの話、将来的にはメジャー挑戦も考えている?」
阿部 「・・・・(高く小さな声で)はい」
南原 「アッハハハハ、アハ、今、ポニョが言ったような感じなんですけども」
阿部 「(笑)」

というやり取りも(笑)。
映画を観てないので、「ポニョが言ったような感じ」という南原さんの例えが上手いのかどうかはよく分かりませんでしたが、阿部選手が妙に可愛らしく答えていたことは確かです(笑)。
で、阿部選手が間を置いて「はい」と答えていた真意はというと、

南原 「これが問題ですよねぇ、ハッハハハハ、9問目、実はここだけの話、将来的にはメジャー挑戦も考えている?「はい」とポニョが答えましたけども」
阿部 「う~ん、フッフフフ」
南原 「はい」
阿部 「いや~、ポニョ的にはですね」
南原 「アッハハハハ、ポニョ的には」
阿部 「まぁ~・・・ま、けど、これは野球やってる人たぶんみんな夢には思うんじゃないですかね」
南原 「はい」
阿部 「一度はね」
南原 「いや、キャッチャーは、キャッチャー・・は、日本のほうが上じゃないですか?」
阿部 「いや、その」
南原 「キャッチャングとか」
阿部 「技術的には」
南原 「えぇ」
阿部 「パワー・・ま、体はデカイですけど向こうのほうが」
南原 「えぇ」
阿部 「技術的にはやっぱ日本のキャッチャーはいちばん上手いんじゃないかって言われてますよね」
南原 「腰も落ちるし」
阿部 「はい」
南原 「その、肩うんぬんに関してはアレかも分かんないですけども」
阿部 「うん、そうですね。その、例えば(投手の球を)捕ってからの(セカンドなどへ投げる)速さだったりとか」
南原 「そうですね、はい」
阿部 「っていうのは、やっぱ日本は技術がいちばん上なんじゃないかなっていうのは」
南原 「そうですよね」
阿部 「僕も感じてますし」
南原 「はい」
阿部 「いや、(レッドソックスの)松坂君もね」
南原 「はい」
阿部 「なんか、ま、ジョークかもしんないですけど」
南原 「はい」
阿部 「日本で(メジャーの)開幕戦ですか」
南原 「はいはい」
阿部 「やりましたよね」
南原 「やりましたね、はい」
阿部 「そん時に、日本来てね、日本のプロ野球とかも見る機会とかもあると思うけど、何をね、見て欲しいですか?っていうのをチームメートに」
南原 「はいはい」
阿部 「そしたら、バリテックのキャッチャング」
南原 「アッハハハ」
阿部 「日本のキャッチャーのキャッチャング見て欲しいって言ってたらしいですからね(笑)」
南原 「アッハハハハ、アッハハハハハ」
阿部 「ま、バリテック、あんまり上手くないってことでしょうね(笑)」
南原 「アッハハハハ、ちょっと腰高いですもんね。ちょっとと言うか、かなり」
阿部 「もう、だから結局メジャーのキャッチャーって、こう、上手く捕るとか、たぶんそういう習性がないんですよね。結局、ボールが動くから」
南原 「あ、なるほど」
阿部 「「まず捕れ」と。たがらたぶんそっちのほうが大事だと思いますよ、たぶん、メジャーの場合は」
南原 「そうですね、ナックルでも受けてますもんね」
阿部 「はい」

とのことでした。
阿部選手が言ってた「ボールが動くから」というのは、メジャーはツーシームを投げるピッチャーが多いということだと思いますが(レッドソックスにはナックルポーラーのウェイクフィールドもいますが)、それは兎も角として。
メジャーのキャッチャーに求められているものが、スローイングの技術やインサイドワークよりも「まず捕れ」ということだというのは、確かにそうかもという感じです。
以前、マリナーズへ行った城島捕手の特集をN○Kで放送していましたが、向こうのピッチャーはキャッチャーのサインなんて全然無視。
「投げるのは俺なんだからキャッチャーは黙って受けてりゃいいんだよ」という感じで自分の投げたい球を投げて、文字通りお山の大将状態。
で、それで抑えれば文句はないのですが、そのマリナーズのピッチャー(名前は失念しました)、勝負どころでいつもストレートばっかり投げてバンバン打たれる羽目に。
業を煮やしたコーチの再三の説得で、ようやく城島選手のサイン通りに投げたら、今度は完封勝ち。
これでお山の大将も治るかと思いきや、そのピッチャーが言った言葉は「俺の投げた球が良かったから抑えられたんだ」。
私ゃテレビの前で、♪感謝知らずの女~・・ではなく、♪感謝知らずの投手~と歌ってしまいました(笑)。
いや、ホントに、♪ありがとうと一言~なぜ言えないのかなぁ~・・です。
その番組を見ていて、メジャーはキャッチャーのインサイドワークへの評価が低いな~というのを痛感。
そして、そんな感謝知らずのオレ様なピッチャーを相手に野球をやってる城島選手には、是非とも頑張って欲しいと思ってしまいました。
来年はWBCがありますので、候補選手に入っている阿部選手や城島選手には、日本のキャッチャーのレベルの高さを世界に見せ付けて欲しいと切に思います。


あとは、生まれ変わったらキャッチャーはイヤ、一週間に一回投げればいいから先発ピッチャーが良いという阿部選手の話があったり(笑)、と思ったら、キャッチャーは「常に何か考える」「考えるのが仕事ですからね、キャッチャーって、たぶん」「それがいちばん大事だと思います」という真面目な話などもあつつ、番組の最後は恒例の夢色紙。
夢色紙に"我慢"と書き、「今年一年振り返って我慢がいちばん大事なんじゃないかと」「思ったとおりいかないところを我慢して抑える」と話していた阿部選手でしたが、

南原 「(ちょっとふざけた口調で)家でも我慢なさってらっしゃるんですか?」
阿部 「そうですね」
南原 「アッハハハハハハ」
阿部 「はい(笑)」
南原 「ハッハハハハ、ま、お互い様ですもんね」
阿部 「そうですね、たぶん、はい」
南原 「(小さな声で早口で)それはお互い様ですもんね」
阿部 「奥さんも我慢してる・・」
南原 「ハッハハハハハ、それが円満のコツですね」
阿部 「あ、はい」

と、今回も最後は家庭話で幕を閉じた『スポドリ』でありました(笑)。



『スポーツドリーム』 12/13

2008年12月14日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、巨人の阿部慎之助選手。

まずは、巨人の若手選手の話や、今年から巨人に入ったラミちゃんことラミレス選手に、阿部選手が不調なとき「打てないボールは打つな、打てるボールを打てば」というアドバイスをもらいシンプルに考えるようになり調子が良くなった、という話、阿部選手は中学時代ホームランを一本も打ったことがなく「僕は自分でセンスはないと思ってやってきた」「センスは努力でカバーできる」という話などをあれやこれやとしてましたが、野球話を長々と書くのも何んなんで、そのへんの話は全面的に割愛します(笑)。


番組の後半は、お子さんが生まれた阿部選手と子供談義(笑)をしていた南原さんでしたが、

南原 「お子さん可愛いですか?」
阿部 「あぁ、可愛いです。ハッハハハ」
南原 「ハッハハハ。あ、お父さんは喜んだんじゃないですか?お孫さんということで」
阿部 「そうですね」
南原 「はい」
阿部 「おじいさん喜んでるんですけどね」
南原 「はい」
阿部 「何回か会わせて全部泣いてるんですよね」
南原 「アッハハハハハハハ、それ親つらいっすよね、間に立つ親」
阿部 「も~う、「もう駄目ね」みたいな感じで(笑)」
南原 「ハッハハハハハハハ」
阿部 「ちょっと可哀想になってきましたけど」
南原 「ハッハハハハ、いや、大丈夫ですよ、そのうち、もう」
阿部 「そうですね」
南原 「えぇ、抱っこして大変なことになりますから」

というやり取りがあったり(笑)、年末年始の話題では、

南原 「さぁ、え~初めて親子三人で過ごすクリスマス・・」
阿部 「はい」
南原 「とか、年末年始は何か考えてらっしゃるんですか?」
阿部 「クリスマスは、え~、ま、三人で過ごす予定ですけど」
南原 「はい」
阿部 「え~、ま、全部、奥さんに任せてます」
南原 「ハッハハハハ」
阿部 「一応、その日は」
南原 「空けて」
阿部 「空けてあるんで」
南原 「そうですね、ここを失敗したら大変なことになりますからね」
阿部 「そうですね(笑)」
南原 「ハッハハ、もう、だいたい一年のうちで何ヶ所、ここだけは失敗しちゃいけない時ありますから」
阿部 「はい、ずっと言われますからね」
南原 「全部自分に返ってきますからね」
阿部 「(笑)」
南原 「えぇ。年末年始は家族サービスは?」
阿部 「えぇと、奥さんのほうの実家に帰って、まぁ挨拶行ってこようかなと」
南原 「それがいいですね」
阿部 「はい」
南原 「まず奥様がね、気が楽ですもんね」
阿部 「そうですね」
南原 「えぇ」
阿部 「僕の実家も行くんですけど」
南原 「はい」
阿部 「ま、そこはもう早々に切り上げて」
南原 「アッハハハハハ」
阿部 「はい」
南原 「育児で大変ですからね~」
阿部 「いや、もうホントに」
南原 「何かこう、育児手伝ってるんですか?」
阿部 「いやもう、居るときはいつも絶対お風呂入れてあげて」
南原 「あ!?離乳食もあげたりとかして」
阿部 「そうですね」
南原 「子育てしながらシーズン大変ですね。自分の子供の面倒も見るわ(巨人の)若手の選手の面倒も見るわ」
阿部 「たぶん面倒見はいいほうかな、とは思うんで」
南原 「はい」
阿部 「良かったです」
南原 「ハッハハハハハ、ハッハハハ」

という話も(笑)。
南原家の「ここだけは失敗しちゃいけない時」というのは、一年のうち何回あるのかちょっと気になるな~(笑)。
あと、「全部自分に返ってくる」というのは具体的にどんなことがあったのかも気になったりしますが(笑)、何だかんだ言いつつも「育児で大変ですからね~」と、さらりと言っちゃうあたりは、南原さんが奥さん想いであることがよく分かるやり取りでありました(笑)。


来週に続く・・・。



『スポーツドリーム』 12/6

2008年12月07日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは北澤豪さん。

まずは、

南原 「さぁ、2週目はですね、まずは1問1答形式すべての質問に「はい」か「いいえ」で答えていただきます。ノーコメント無回答は原則無しです」
北澤 「無しですか?」
南原 「無しです。決定力見せてください」
北澤 「わかりました」

というやり取りとともに、恒例の10の質問でサッカー話などをあれこれと。
"サッカーは観るよりやるほうが面白い?""今も選手時代の夢を見ることがある?"などの質問には、淀みなく「はい」と答えていた北澤さんでしたが、

南原 「5問目。ワールドカップの最終予選を戦っている日本代表チームは・・」
北澤 「ちょっと待って、これ!(笑)何これ?、これ」
南原 「いやいや」
北澤 「"岡田監督で大丈夫だ?"」
南原 「えぇ、ちょっと言わせてくださいよ」
北澤 「いや(笑)、はい、そうね」
南原 「ワールドカップの最終予選を戦っている日本代表チームは岡田監督で大丈夫だ?」
北澤 「・・・この決定力ど~しようかな~」
南原 「さぁ、どっち!」
北澤 「・・・・・・・・・・はい」
南原 「(笑)」
北澤 「ハッハハハハハハ」
南原 「もう、この悩んでる時点でちょっとどうなのか。えぇ、6問目。実は岡田監督には今もちょっと引っかかるところがある?」
北澤 「・・・・・・はい」
南原 「ハッハハハハハハハハ。今、いろんな自分の立場とかね、これからの未来を考えながら言葉を選びましたけども」
北澤 「はい」

と、この2つの質問は答えるまでにかなり時間がかかっていて、イマイチ決定力を発揮できなかった北澤さん(笑)。
ちなみに、岡田監督で大丈夫?という質問には、中東などお金を持っている国のレベルが上がってきている、という話をしたぐらいで、先日の『Get』での中西さんのように岡田監督に対する具体的な辛口コメントはありませんでした(笑)。
それから、岡田監督には今も引っかかることがある?という質問は、最初何のことか分からなかったのですが、フランスW杯の時に最後にメンバーから外れたのが北澤選手とカズ選手で、その時の監督が岡田監督だったということを、話を聞いていてようやく思い出しました。
質問には「はい」と答えていた北澤選手でしたが、「監督はもう決めてく人なんですよ」「選手は選ばれていく立場なわけですよね」「入る入らないは当たり前にあることなんで」と話していましたし、岡田監督がJリーグの札幌や横浜の監督時代は北澤選手にオファーがあったとのことでしたので、積年の恨み晴らさでおくべきか・・ということではないようです(笑)。

W杯で日本を優勝させたい、もう一度日本でW杯を開催したい、という話などがありつつ、"生まれ変わってもプロサッカー選手になりたい?"という質問も。
北澤選手は「はい」と答えていましたが、その後、

南原 「どういうサッカー選手なんですか、もう少し背が欲しかったりとかしますか?」
北澤 「あ?」
南原 「ハッハハハハ」
北澤 「言っちゃいましたね(笑)」
南原 「いやいやいやいや(笑)」

というやり取り(笑・ちなみに、生まれ変わってもやっぱりミッドフィルダーがいいとのことでした)。
あと、"この髪型は一生ものだ?"という質問に「はい」と答えていた北澤選手と南原さんの間では、

北澤 「今はそう思いますけど」
南原 「はい」
北澤 「一時、中田ヒデが出てきたときに」
南原 「ハッハハハハハハ、憧れたんですか?(笑)」
北澤 「ちょっと短くなってきたじゃないですか、みんなが」
南原 「ハツハハハハハハ」
北澤 「いっせいに」
南原 「ハッハハハハハ、ハッハハハハハ」
北澤 「俺もちょっと・・」
南原 「ハッハハハハ」
北澤 「変えなきゃいけないのかな?と思って」
南原 「ハッハハハハ」

というやり取りがあったりして(笑)、終始和やかムード。
それから、

南原 「北澤さんは『キャプテン翼』とかで影響されたことあるんですか?」
北澤 「されましたよ」
南原 「え?」
北澤 「僕らの年代は『キャプテン翼』かセルジオ越後ですよ」
南原 「ハッハハハハハハ、あ、やっぱそうですか?」
北澤 「はい。どっちかですよ」
南原 「ちっちゃい時にセルジオさんに教わったっとことなんですかね」
北澤 「はい」
南原 「えぇ」
北澤 「2回くらいサッカー教室行って」
南原 「はい」
北澤 「「何だこのオッサンは!?」と思いましたよ」
南原 「片言の日本語で」
北澤 「もう度肝抜かれましたね」
南原 「ハッハハハハハハ」
北澤 「えぇ」
南原 「今でもセルジオさんに会ったらなんか度肝抜かれてるんですか」
北澤 「あの、やっぱ教わってきたんで」
南原 「はい」
北澤 「セルジオに言われたら仕方がないっていうのがあるんですよ、僕ら」
南原 「ハッハハハ、ちっちゃい時に刷り込まれたもんがあって」
北澤 「そう、選手たちはそうだったんですよね」
南原 「なるほど」
北澤 「セルジオとの関係は」

という話も。
セルジオ越後さんがこれまで大勢のチビッコにサッカーを教えてきたという話は聞いたことがありましたが、北澤さんもそのうちの一人だったのか!?。
う~む、子供のころの記憶は強烈ですから、度肝を抜かれたセルジオさんに対して今でも「セルジオに言われたら仕方ない」と北澤さんが言うのも仕方ないのかもしれません(笑)。

あとは、北澤さんは『キャプテン翼』の葵新伍のモデルになっていたという話や、エクアドルやスペインなどの外国に行っても『キャプテン翼』はみんな知っていて「翼と友達か?」と言われる、という話などがありつつ、番組の最後は恒例の夢色紙。
夢色紙に"夢中になる"と書いていた北澤さんでしたが、

北澤 「僕の夢はサッカー選手になることと思って、子供のころからずっと頑張ってきたんですけど」
南原 「はい」
北澤 「サッカーに関して、努力をしたことはないんですよね」
南原 「は?」
北澤 「夢中になっただけなんですよね」
南原 「くぅ~~~、何ですか?その飲み屋トーク」
北澤 「ハッハハハハハハ」
南原 「ハッハハハ、えぇ?」
北澤 「(笑)」
南原 「俺、お前を好きになったわけじゃない、ただ夢中になっちゃったんだよ」
北澤 「夢中になったんだよ、お前を、みたいなね(笑)」
南原 「ハッハハハハハ、それを努力を努力と思ってねぇんだよみたいな」
北澤 「そうなんですよね、口説けますね、これでね」
南原 「これは良いですよ」
北澤 「はい」
南原 「夢中になる。あ、でも、子供にね、とってもいい言葉ですよね」
北澤 「そうなんですよ、だからもう夢中になるっていうのが」
南原 「うん」
北澤 「すごく幸せなことじゃないかなと思うんでね」
南原 「夢中になったら努力を努力なんて思わない」
北澤 「思わないですからね」
南原 「これ使えますよ、今度から」
北澤 「ハッハハハハハハハハ」
南原 「ハッハハハハハハハハ」
北澤 「飲み屋で(笑)」
南原 「ハッハハハハ、飲み屋で(笑)」
北澤 「えぇ(笑)」
南原 「「夢中になっただけだよ」、ハッハハハハハハ」
北澤 「(笑)」

と、南原さんからツッこみが入り、北澤さんのちょっといい話が台無しに(大笑)。
でも、「夢中になっただけだよ」という言葉は、口説き文句として使っても全然違和感のない(実際に使ってるのを聞いたら笑ってしまうと思いますが・笑)台詞ですから、南原さんの「飲み屋トーク」発言は言いえて妙なツッこみでありました(笑)。


ってな感じで、南原さんの笑い声がやたらと響いていた感じの30分でした(笑)。



『スポーツドリーム』 11/29

2008年12月01日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、サッカー元日本代表の北澤豪さん。

北澤さんは、日本サッカー協会の特任理事だそうで。
ん?特任理事といえば、中西さんと同じじゃあ~りませんか(笑)。
ただ、同じ特任理事でも、相手があまり顔馴染みではない(たぶん?)北澤さんということで、南原さんも中西さんに対してするような特任理事イジリはしてませんでした(笑)。
いや、ほんの少しだけ・・もうすぐ行われるクラブワールドカップに出場するマンチェスターの中心選手は23、4歳と若くオリンピック代表と同じ世代なので、日本もユースから上の世代の強化が必要という話の中で、「ちょっと特任理事、やることいっぱいじゃないですか」というツッこみは入れてました(笑)。

今シーズンのJリーグの話や、北澤さんはサッカー協会の国際員というのをやっていてアゥエーで戦うときにホテルの手配をやったり、アジア全体のサッカーのレベルを上げるために日本から指導者を派遣(ブータンやグァムの代表監督は日本人だそうです)してる、という話などがありつつ、日本代表についての話も。
北澤さんいわく、日本代表は組織力などはレベルが高いし選手のテクニックも世界でもトップレベル、とのことでしたが「プレッシャーがある中で、じゃそれ(テクニック)が精度が落ちることなく出来るか?とか、スピード上げたときにそれが出来るかどうかっていうのは差があると思うんですけど」。
あと、日本人は精神的に弱いと言われがちだけど、北澤さんは「そんなことないと思いますよ」。
いわく、ブラジル人などはすぐにビビったり動揺したりして弱いところを表に見せてきたりする、日本人のほうが忍耐とか持ってると思うし粘り強くやれる力持ってると思う、とのことでした。
そんな北澤さんの話を聞いて、

南原 「じゃ精神的には全然ひけを取らない」
北澤 「ただ、だけど持ってるんだけど表現力ですよね」
南原 「表現力」
北澤 「うん」
南原 「僕、ホントそう思いますよ!」
北澤 「うん」
南原 「あの、コメント力が無さ過ぎますよ!」
北澤 「うん、そうなんですよね」
南原 「コメント力が無いってことは、自分の思ってることが自分で理解できてないんですよ」
北澤 「そうなんですよね」
南原 「あの石川僚クン見習ったほうがいいですよ」
北澤 「あ、表現が本当に上手ですよね、思ってることをね」
南原 「ねぇ」
北澤 「難しい言い方してないですもんね」
南原 「そうですよ」
北澤 「えぇ」
南原 「17歳であれぐらい自分のことを言葉で出来るから、やっぱああいうプレイが出来ると思うんですけど」
北澤 「うん」
南原 「日本代表の選手って、やっぱ、なんですかね、「自分のプレイで表現しますから見てください」みたいな」
北澤 「それはもう言わなくても分かるようなことですからね」
南原 「ハッハハハハハハ、ハッハハハハハ」
北澤 「もっとなんかね、スポーツも表現力なんで」
南原 「なるほど」
北澤 「思ってることをどう表現していくかってことだと思うんで」
南原 「ねぇ」
北澤 「えぇ」

と、珍しく辛口の南原さん(笑)。
ただ、辛口とはいえ、南原さんの「コメント力がないってことは、自分の思ってることが自分で理解できてないんですよ」という話は、真実を突いてる言葉だったように思います。
古代ギリシャ語でロゴス(logos)とは、論理、そして言葉という意味だそうで(受け売りです・笑)。
つまり、言葉イコール論理
ですから、ちゃんと言葉に出来ないということは自分の考えを論理的に整理できていない、理解できていない、ということになるわけで、南原さんの言葉に大いに納得でありました。
そして、私がいまだに『その日~』の感想を書けないでいるのは、まさに「自分の思ってることが自分で理解できてない」からだということを再認識してしまいました(笑)。

あとは、クラブワールドカップ2008について・・マンチェスターは世界選抜みたいなチーム、南米代表のエクアドルのキトも侮れない、という話など、あれやこれやとサッカー話に花が咲いていた30分でありました。


来週に続く・・・。



『スポーツドリーム』 10/25

2008年10月26日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、埼玉西武ライオンズのバッティングコーチ、デーブ大久保こと大久保博元さん。

まずは、

南原  「さ、デーブさんです。日本シリーズ進出おめでとうございます!」
大久保「ありがとうございます!」
南原  「いや~、今年1年すごかったですね」
大久保「ねぇ~」
南原  「ハッハハハハハ」
大久保「あの~、美味しいもん食べ行って」
南原  「はい」
大久保「(テレビの)番組とか僕もやってたじゃないですか」
南原  「はいはい(笑)」
大久保「あんまり美味しくないものは」
南原  「えぇ」
大久保「でも「美味しい」って言わなきゃいけない・・」
南原  「まぁまぁね、はい」
大久保「こじつけますよね」
南原  「はいはい」
大久保「「コクがあって」とか」
南原  「はいはいはい」
大久保「でも美味しいもの食べちゃうと」
南原  「はい」
大久保「「美味い!」とかしか言えなくて」
南原  「はい」
大久保「「すごいな~!」とかっていうノリだったですね」
南原  「今年1年が」
大久保「今年1年が」
南原  「もうリアルに「すごいな」」
大久保「「すごいな!」とか。で、監督も隣で座ってて、僕だいたい横立ってるんですけど」
南原  「はい」
大久保「みんな打つと、「デーブすごいな」って言うから「すごいっすねぇ」って(笑)」
南原  「あ、そういう話をしてるんですか?」
大久保「そうです」
南原  「へぇ~」
大久保「戦略的なことはほとんど話したことがないです」
南原  「いい意味で、ある意味お客さんになってるわけですか」
大久保「お客さんです、高い席で観てるっていう」
南原  「ハッハハハハ」
大久保「お金もらって観れるっていう(笑)」
南原  「いや、僕ね、でもね、何がこぅ嬉しかったってね、若い世代、僕・・40そこそこですよね」
大久保「はい」
南原  「(40)前半ですよね」
大久保「はい」
南原  「監督も若いし」
大久保「はい」
南原  「コーチも若い」
大久保「はい」
南原  「そこの若い世代がね、ちゃんと監督、コーチ出来て、チームまとめられて、リーグ制覇しちゃったっていうことが」
大久保「そうですねぇ」
南原  「これは、実は最近では大きな革命かなと思うんですけども」
大久保「そうですよね」
南原  「はい」

というやり取りで番組はスタート。
渡辺監督もデーブさんもまだ40代前半、南原さんとほぼ同年代だったのか!?
う~む、ということは、南原さんがベンチに座っていてもおかしくはない・・いや、ユニホームを着て座ってたらやっぱりおかしいか、ってなことをちょっと考えてしまいましたが、それは兎も角として(笑)。
今シーズンから西武の指揮を執る渡辺監督は、「負けたら、デーブ、俺とお前で責任取ろうよ」「それでいいじゃん」という考えでスタートしたとのこと。
デーブさんは、1軍と2軍のコーチが言うことを同じにしよう、ということを提案したそうで。
選手の顔写真つきの問診表を作り、バッティングや守備だけではなく、メンタル面についてのアドバイスの仕方・・この選手は落ち込みやすいので褒める・・ということなども1軍と2軍でちゃんと意思疎通をはかっていたとのことでした。
デーブさん自身、現役時代に1軍と2軍のコーチが違うことを言っていて悩んでいた、とのことでしたので、デーブさんの自分の体験を活かしたコーチングには大いに納得、説得力のある話でした。
それから、

南原  「実はすごく、なんっすかね、気持ちよく選手はプレイできるように、っていうのを、ずーっとこう・・」
大久保「そうです、で、あんまり気持ちよくさせても緩んじゃんと困るから」
南原  「あぁあぁ」
大久保「たまに超イヤミな人間になったり」
南原  「あ、そうなんですか、どんなイヤミを言ったり・・」
大久保「例えばヒットを打って、後藤武なんか帰ってくると」
南原  「はい」
大久保「「何・・」僕の前素通りすると、「あ、そう。お前一本打ったらそんな態度か」みたいな」
南原  「ハッハハハハハハハハハ」
大久保「「お前ナメてんの?お前」」
南原  「ハッハハハハハ」
大久保「「はぁ~、4番外したらよく打つねぇ」とか、ハッハハハハハハ」
南原  「ハッハハハ、ハッハハハハハハハハ、あぁそうですか~」
大久保「そうすると江藤さんも隣にいて、「ホントだよ、お前、大久保さんの前を通る時、先輩の前では、お前止まって挨拶しろよ」みたいな」
南原  「ハッハハハハ」
大久保「二人で」
南原  「ハッハハハハ」
大久保「ちょっとイヤな役を奴を演じて」
南原  「ハハハハハ」
大久保「調子乗らせないようにしたりとか」
南原  「あぁそうですか~」

という、デーブ流コーチング術の話も(笑)。
あと、デーブさんは選手にプライベートの相談・・子供が言うことを聞いてくれない、ということなどを選手に本気で相談してる、という話などもしてましたが、こういう話を聞いてると今シーズンの西武の雰囲気の良さがよくわかります。
優勝したからチームが明るい・・のではなく、渡辺監督以下、デーブさんなどがそういうムード作りをしてチーム一丸になれたからこそ優勝出来た、ということなのでしょう。


恒例の夢色紙には、"我慢"と書いていたデーブさん。
いわく、

大久保「僕は、座右の銘が"我慢"なんですね」
南原  「我慢」
大久保「はい」
南原  「これはどういう意味の・・」
大久保「自分がいちばん出来ないことなんです」
南原  「うん」
大久保「我慢」
南原  「うん」
大久保「渡辺監督も、ホントは短気な人で」
南原  「うん」
大久保「でも我慢してる」
南原  「はいはい」
大久保「僕、短気なまま短気を出しちゃう」
南原  「う~ん」
大久保「そこを我慢だって」
南原  「どの我慢が・・まぁまぁ、今言える我慢で、この我慢はコーチになってキツいな~、言いたいのに言えないなぁっていうのは」
大久保「打てないときですね」
南原  「ハッハハハハハハ」
大久保「ハハハハハ」
南原  「打てないとき(笑)」
大久保「「言ったじゃん、もう」みたいな」
南原  「ハッハハ」
大久保「「だから、もう、それ手出したらやられるって言ったじゃん」みたいな」
南原  「でも言わない」
大久保「でも、だって僕がもっと指示が良ければって、こう。で、徳川家康の」
南原  「はい」
大久保「己を・・あ、「人を責めるな己を責めよ」みたいのあんですよ」
南原  「はいはい、はい、そういう言葉が」
大久保「そう、言葉を、ノートに入れとくんですよ」
南原  「格言を・・」
大久保「そうそう(笑)で、試合中に「あぁ~!」って思うと」
南原  「はい」
大久保「「あ、自分を責めなきゃダメなんだ、徳川家康さんまで言ってたんだ」みたいな」
南原  「ハッハハハハハ」
大久保「で、自分で"我慢"とか、あの、手帳に"我慢、我慢"って書いたり(笑)」
南原  「(笑)」
大久保「監督も(ベンチ)裏行ってたまに蹴ってるときありますから、「ボーン」とか聞こえないように(笑)」
南原  「北関東同士が」
大久保「北関東、熱いですから」
南原  「(笑)「我慢しなきゃ」」
大久保「ホント、監督」
南原  「はい」
大久保「胃薬そうとう飲んでましたよ!」
南原  「あ、そうですか。そんなふうには見せてないですけどね」
大久保「見せてないですけど(笑)」
南原  「はい」
大久保「言っちゃいましたね」
南原  「ハッハハハハハハ」
大久保「ハハハハハハ」
南原  「我慢が大事だと」
大久保「で、"我慢"って書きました」

とのことでした(笑)。

今回のゲストのデーブさんは、一つ訊いたら十喋るという感じで(笑)、聞き役になっていた南原さんの「ハッハハハ」という笑い声が響いていましたが(笑)、デーブさんのコーチング術や選手との接し方など、笑いの中にも興味深い話が満載の30分でありました。


あ、それから、11月8日に番組の公開収録イベントがあるようです。
フィギュアスケートの荒川選手をゲストに迎え、14時から日比谷公園の小音楽堂で行なわれるそうです。



『スポーツドリーム』 10/4

2008年10月05日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストはビーチバレーの朝日選手。

今回は、恒例の10の質問でビーチバレー話をあれこれと。
"初めてのオリンピック出場は死ぬほど緊張した?"という質問には、「いいえ」という答えの朝日選手。
オリンピックは楽しかったけど緊張はしなかった、とのことでしたが、あえて自分自身を緊張させることもある、とのこと。
試合に向かう時に盛り上がらない時などは、あえて難しいプレイをイメージしたり悪いイメージばかりを思い出すようにしているそうで、

朝日 「若い頃は逆に、あんまそういう負の部分はイメージせずにオレはもうイケイケな感じでしたけどね、逆に」
南原 「はい、はい」
朝日 「そういうのはあまり根拠ないじゃないですか」
南原 「ないですないです」
朝日 「「オレ無敵だ」みたいな」
南原 「はいはいはい」
朝日 「そういう時期もあってもいいと思うんですけど」
南原 「はい」
朝日 「今は逆ですね、「オレは無敵じゃない」っていう」
南原 「はい」
朝日 「そう思いながらコートに立つ。たがら必死になってボールを追いかけるっていうふうにつなげていきますねぇ」
南原 「それちょっと、全然違うかもしれ・・お笑いにも似てますね。お笑いもそうなんですよ」
朝日 「あ、そうなんですか」
南原 「お笑いもやる前に、ウケないことをやっぱ考えるんですよ」
朝日 「はい」
南原 「「ウケなかったらどうしよう」とか、「うわぁ」っと思いながら。ウケると「あれ?ウケてる」」
朝日 「そうそう、そっちですね」
南原 「「あれ?やった、またウケた」とか」
朝日 「うん、その繰り返しで少しずつ試合中に(調子が)上がっていけばいいかな」
南原 「上がっていけば」
朝日 「はい」
南原 「試合に入る前の段階が大事ですね」
朝日 「ですね」
南原 「えぇ」
朝日 「そこでやっぱり驕りとか、そういう変な邪(よこしま)な気持ちが無いほうが僕は好きですね、自分自身が」

とのことでした。
イケイケな若い頃を経て謙虚になるという朝日選手の話を聞いて、南原さんは「お笑いにも似てますね」と言ってましたが、ジャックナイフ時代・・云々というお笑い芸人論(笑)や、テレビなどで時々見る本番前に緊張してる様子の内村さんや南原さんの姿を思い出してみると、確かにお笑いと同じかもしれません。


"同じビーチバレーなのに女子が話題になることが多くてうらやましく思うことがある?"という質問には、朝日選手は「いいえ」。
「彼女たちとも一緒にビーチバレー盛り上げようねっていうふうに思ってますから」とのことでしたが、

南原 「彼女(女子選手)たちは色々、写真集とか露出が多いじゃないですか」
朝日 「あぁ、そうですね」
南原 「男子の人は露出しないんですか?」
朝日 「どう・・ねぇ」
南原 「ギリギリのパンツとかないんですかね」
朝日 「だから僕ね」
南原 「(笑)」
朝日 「もう一回ビーチバレーで国内で人気出そうと思ったら」
南原 「はい」
朝日 「やっぱり男子も露出増やしていくしかないかなと」
南原 「アッハハハハ、今、目がキラッと光りましたけども」
朝日 「えぇ、男子もビキニですね」
南原 「アッハハハハ」
朝日 「下はブーメラン(パンツ)ですね」
南原 「ブーメランですか」
朝日 「はい」
南原 「勝負パンツですか、毎回勝負パンツ」
朝日 「だからねぇ、なんか女子は豹柄の選手とかいるわけですよ、女豹とか言われてるから」
南原 「そうですね」
朝日 「「僕たちは何しようかな?」とか、「竜とか昇らせようかな」(笑)」
南原 「アッハハハハ!!どこに昇らす(笑)」
朝日 「ハッハハハ」
南原 「(笑)」
朝日 「柄のパンツ、「柄パンで試合してやろうかな?」とかね」
南原 「ハッハハハ」

というやり取りも(笑)。
朝日選手は他にも、「格好よくいないとダメですね、選手は」、サングラスは必ずお客さんに向けて外してプレイごとにちゃんと顔を見せる、いちばん最高のプレイをした時はユニホームをめくって汗を拭き割れた腹筋を見せる、という話もしてましたが(笑)、こういうことも競技に興味を持ってもらうためには有効な手段のひとつ・・のような気がします(笑)。
以前この番組に出た卓球の四元選手も、卓球の面白さを伝えるために色々なユニホームを着てる、という話をしてましたし、エンターテイメント性が求められる現代のスポーツでは、単に競技をするだけではなくお客さんに喜んで見てもらうためにはどうすればいいかを考えるのも重要ではないかと思います。


"ペアを組む白鳥選手のことは何でも知ってる?"という質問には、「はい」という答え。
朝日選手が今ペアを組んでいる白鳥選手は3人目の相手だそうで。
それを聞いた南原さんは、「これどうやって決まるんですか?「ペアを組もうよ」っていうのは」「お笑い芸人としてすごい興味があるんですけども」と、朝日選手に逆に質問をしてましたが、

朝日 「やっぱり低迷してる時になりますね」
南原 「低迷してる時に」
朝日 「うん、やっぱり色んな打開・・そこから打開しようと思って、練習したり色々方向性を話し合ったりとか」
南原 「はい」
朝日 「例えばポジションを替えてみたりとか」
南原 「はいはい」
朝日 「やるんですけど、それでも埒が明かない時に最終手段ですね」
南原 「最終手段」
朝日 「「もうペアを代えましょう」っていう。っていうそこでまず1チームがそういう(ふうに)生まれたとしても」
南原 「はい」
朝日 「まだ日本の場合はペアを組みたいと思う選手の数が少ないので」
南原 「競技人口が少ない」
朝日 「少ないので、他の組みたい選手がもしかしてすごく・・」
南原 「調子いいかもしれない」
朝日 「調子がいいかもしれない」
南原 「はい」
朝日 「だからそこが非常に、この、こうね、柱の陰から「いつかな?」みたいな(笑)」
南原 「アッハハハハハハ、「あいつらもペア解消すんのかな?」かなんか(笑)」
朝日 「「まだ、今週勝ったから」みたいな、「あ、今ちょっとチャンス」っていった時に(笑)」
南原 「アッハハハハ、「ちょっと話したいんだけど」」
朝日 「「ツンツン」みたいな、「実はさ、ちょっとさ」みたいなね」
南原 「アッハハハハハ、「ちょっとペア解消したらちょっと組まない?」」
朝日 「そうそう、そういう話を」
南原 「すごいですねぇ」
朝日 「非常にこう恋愛に近いものもあるのかもしれないですね」
南原 「ちょっと合コンみたいな感じですよね」
朝日 「ありますあります」
南原 「ハッハハハハ」
朝日 「相手をうかがいながら、みたいな」
南原 「ハッハハハハ」
朝日 「こっちも見とく」
南原 「(笑)でも、向こうもチラッと見る」
朝日 「見るんです(笑)「あ、今目があったかな?」みたいな(笑)」
南原 「アッハハハハハ」
朝日 「「もしかして?」みたいな」
南原 「男同士ですよね(笑)」
朝日 「男同士です(笑)」
南原 「えぇ、で、3組目の白鳥選手に落ち着いたわけですか」
朝日 「そうですね」
南原 「これ、どこが良いわけですか?白鳥選手とやってみて」
朝日 「やっぱり、こうお互いね、色んなペアと組みながら」
南原 「はい」
朝日 「やはりこう経験をずうっと、お互いが違う経験を積んで」
南原 「はい」
朝日 「ペアを結成できたいうのが非常に大きいと思います」
南原 「あ、じゃ、あっちこっち代わって、自分に合う人を探して」
朝日 「色々やってきて、ま、もちろんそこで上手くいったところもあっただろうし」
南原 「うんうん」
朝日 「やっぱ上手くいかなかった反省点もあるだろうし」
南原 「はいはい」
朝日 「そういったものをお互いが蓄積して経験として持って」
南原 「はい」
朝日 「で、「さぁ組みましょう」っていうことに至ったので」
南原 「はい」
朝日 「だから色んな意味で良いところとはどんどん出しあう」
南原 「はい」
朝日 「で、自分が反省しなきゃいけないところは、そこを改善して」
南原 「(笑)」
朝日 「ここに巡り合いましたみたいな(笑)」
南原 「(笑)いや、なんか恋愛と同じですね」
朝日 「そうそうそう(笑)」
南原 「「いや、オレもいろいろあったけど、オレも悪いとこ今やっと気が付いたよ」」
朝日 「そうそう(笑)」
南原 「「あんまり我を出さずにやるよ」みたいなことですよね」
朝日 「そうそう(笑)」
南原 「「言いたいこともあるだろうけども」とかそういう」
朝日 「なんか「何でも言ってくれ」みたいな」
南原 「アッハハハハハ」
朝日 「色んなそういう、「持ちつ持たれつだよな」みたいな(笑)」
南原 「アッハハハハハ、アッハハハ、あぁ、やっぱ人間の幅も広がってる」
朝日 「そうですね」
南原 「えぇ」
朝日 「たがら、まぁ何でも知っているっていう意味では、やっぱりコート上では何でも知り合えるように関係を築いていると思います」
南原 「あぁ、そうですか」
朝日 「えぇ」
南原 「じゃ向こう(白鳥選手)も何でも知ってると」
朝日 「そうですね、だから知ってくれて・・知って欲しいと思ってますね」
南原 「へぇ~面白いですねぇ」

とのことでした(笑)。
そういえば、南原さんは入江君とコンビを組んだ時は、どちらも「俺が俺が」で駄目だったという話をしてましたし、内村さんは最初はご存知(?・笑)B作さんと組んだけど「オレは猿回しの猿じゃない」と言われてコンビを解消した、という話をしてたっけ(笑)。
内村さん(あるいは南原さん)が、柱の陰から「いつかな?」というふうに見ていたということは無い・・と思いますが(笑)、二人がこうやって長年コンビを組んでいるのは相性もさることながら、朝日選手と同じように、入江君やB作さんと組んで上手くいかなかった経験を反省したり改善したからこそ今でも上手くいっているのでしょう(笑)。


あとは、ビーチバレーは連戦が続くので最後は体力がものを言う「バテバテの状態でドンだけ強い球が打てるか」が大事、という話や、充実していて楽しいし面白いのでインドアからビーチバレーに転向して本当に良かった、日本のビーチバレーをもっと世界に通用するようなレベルを上げたい、そのためには「まず僕たちがいい試合をすることによってビーチバレーに興味を持ってもらう」「ビーチバレーを始める子供たちの数が増えれば増えるほどレベル・・競争があれば(レベルが)高くなると思うので」という話など、興味深い話をあれこれと。
今回は、南原さんの「アッハハハハハ」という笑い声がやたらと響いていた30分でありました(笑)。



『スポーツドリーム』 9/27

2008年09月28日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、ビーチバレーの朝日健太郎選手。

もともとインドアバレーの選手として全日本でも戦っていた朝日選手。
インドアバレーで低迷していた時期に「このままじゃイカン、でもまだ競技はしたい、プレーは続けたいという気持ちが強かったんで」ビーチバレーに転向したとのこと。
ビーチバレーでは国内の年間チャンピオンになったり、北京五輪に出場して決勝トーナメントにも進出したとのことでしたが、ビーチバレーに転向して最初の3年間は、草大会などでも負けたりしていたそうで。
ビーチバレーで初めてスパイクを打とうとしたときは空振りしたり、練習試合では対戦相手に風を上手く使われてコテンパンにやられたりもしたそうですが、

朝日 「よくプライドが何だかんだとか訊かれるじゃないですか」
南原 「そうですね」
朝日 「あんまそういうふうには思わなかったですね」
南原 「あ、そうですか」
朝日 「うん、なんか、まぁ「へぇ~」と思いましたね」
南原 「「こうやってやるんだ」」
朝日 「「こうやってやるんだ」と思って」
南原 「あ、じゃ、もうまったく新しいスポーツとして」
朝日 「新しいスポーツに挑戦しようと思ったんで」
南原 「はぁ~、じゃゼロから始めたと」
朝日 「ゼロから・・逆にマイナスですね」
南原 「マイナス(笑)」
朝日 「マイナス」
南原 「余計、顔が知られてるぶん」
朝日 「そうなんですよ(笑)」
南原 「向こうは(対戦相手は)「よしコイツ倒・・朝日健太郎だ!よし倒したれ倒したれ!」とか」
朝日 「そうですよそうですよ、向こうなんて、もう僕とやるたんびに何か調子づいちゃって」
南原 「アッハハハハハ」
朝日 「大変な、何か(笑)」
南原 「「イェ~!?」とか(笑)」
朝日 「そうそう。で、僕インドアの頃は」
南原 「はい」
朝日 「あの~、(スパイクを)打つしかやらせてもらえなかったんですよ」
南原 「あ」
朝日 「「レシーブはやるな」」
南原 「はい」
朝日 「「トスも上げるな」って言われてたんですよ。何故かっていうと苦手だからですよね」
南原 「あ~、はいはいはい」
朝日 「「お前ボール触らなくていい」って言われて」
南原 「(笑)「お前、前にいて・・」」
朝日 「「アタックとブロックだけやっとけ」みたいな」
南原 「はい」
朝日 「確かに役割がハッキリしてましたからね」
南原 「でも、これ(ビーチバレー)はペアでやって、(ボールを)拾わなきゃいけないですよね」
朝日 「そうなんですよ、二人でやりますから全部要求されますからね」
南原 「はい」
朝日 「そこが、もしかしたらいちばん面白かったかもしれないですね。今まで十何年やってこなかったことを、また初心に返って始めたっていうのが」
南原 「あ、レシーブとかそういうのを」
朝日 「レシーブからトスからみたいな」
南原 「はい」
朝日 「もう、全部やらなきゃいけないんで」
南原 「それがだんだん上手くなっていって面白くなった」
朝日 「そうなんですよ」
南原 「ほぉ~~」
朝日 「そこが(ビーチバレーを)続けられたいちばんの理由ですね」
南原 「じゃ、もしもね、もしもの話ですけど、今またインドア(バレーに)戻ったら、前の自分より上手い?」
朝日 「相当イケると思います」
南原 「アッハハハハハハ」
朝日 「ハッハハハハ」
南原 「相当?(笑)」
朝日 「相当イケると思いますよ」
南原 「「俺、もしかしたらリベロ(レシーブ専門の選手)で使ってくれるかな?」」
朝日 「リベロでも」
南原 「アッハハハハハ」
朝日 「セッターでも」
南原 「アッハハハハハ、そうか(ビーチバレーはボールを)上げなきゃいけないですもんね」
朝日 「上げなきゃいけないし」
南原 「じゃもしかしたら、今いい練習でインドアやってる人、一回ビーチバレー・・」
朝日 「そう、ビーチバレーで色々そういう、もう一回こう体の使い方とかボールのコントロールの仕方の練習にすごくいいと思いますね、ビーチバレー」
南原 「そうですよね」
朝日 「はい」
南原 「今だんだん、だって全日本とかも色んなとこを要求されてきますもんね」
朝日 「そうなんですよ。たがらやっぱり総合力ですから、ビーチバレーは」
南原 「総合力」
朝日 「はい」
南原 「もともと・・はぁ~面白いですねぇ~」

とのことでした。
朝日選手はインドアバレーで全日本でも戦っていたのに、そんなことは関係なく面白がってまたゼロからビーチバレーに挑戦しちゃうとこなどは、ちょっと南原さんっぽいな~、という感じでした(笑)。
それから、南原さんと朝日選手は、インドアバレーの選手も練習でビーチバレーをやってみたら・・という話をしてましたが、これはホントに良いアイデアじゃないかな?
柔道はレスリングの選手と練習をして、世界の色々なタイプの選手に対応できるようなトレーニングをしてますし、他の競技と交流を持つと新しい発見があったりして、色んな面でプラスになるような気がします。
久し振りにオリンピックに出場したはいいけど予選リーグ全敗に終わったインドアバレーも、ビーチバレーをやって今までとは違う世界を体験すれば、何かしら得るものがあるのではないかと思います。
あと、朝日選手はビーチバレーに転向してから、それまで几帳面だった性格・・下着は毎日替えなきゃとか、洗濯物はちゃんとたたまなきゃという性格がガラッと変わり、パンツなんて穿かなくてもいいやというふうに変わったそうで(笑)。

南原 「タフになってきたんですね」
朝日 「そうですね、だからやっぱり遠征、ホントに自分たちで、自分たちの足で回りますから」
南原 「はい」
朝日 「荷物がこないとかそんなのしょっちゅうですし」
南原 「しょっちゅう?」
朝日 「やっぱり飛行機が遅れたとかで」
南原 「はい」
朝日 「荷物がホテル、ね、今日は何んも無いとかいう日もありますから」
南原 「インドアの時はイライラするでしょ?」
朝日 「インドアの時は、もう耐えられないですね」
南原 「「俺の荷物・・」」
朝日 「「何だよ」」
南原 「「汗かいてて早くパンツ替えたいのに」」
朝日 「そうそう、「靴下替えたい」とかね」」
南原 「アッハハハハハ、アッハハハハハ」
朝日 「そういうことに・・なくなったぶんだけ、やっぱり」
南原 「あ、気持ちが楽になって(笑)」
朝日 「気持ちが楽になりましたね」
南原 「あ、そんなに変わるもんですか」
朝日 「大きく変わりましたね、もう」
南原 「そんなの気にしてたら、だってね」
朝日 「やってけないですよね、やっぱね」
南原 「太陽の下とか」
朝日 「そうですね」
南原 「風の下とか」
朝日 「はい」
南原 「あぁ、そんだけ・・あぁ面白いですねぇ」

とのことでした。
ビーチバレーは風や太陽など刻々と状況が変わる中でやる競技ですから、細かいことを気にしてたらやってられないという話は、確かにそうだな~と大いに納得。
で、こういう話を聞くと、テレビ中継などで恵まれた環境にあるインドアバレーの選手も、タフなビーチバレーを一度をやってみたらまた違った気持ちでバレーに取り組めるのではないかな?という気がさらに強くなりました。


あとは、初めて参加した北京五輪は街中がスポーツの祭典で、世界のトップの選手が集まっていてその空気を体験しただけで気分が高揚して今まで経験したことの無い力が出た、という話や、ビーチバレーはファインプレーの連続で、試合中もプレイの合間に音楽がかかったりするところが面白い、という話などもありつつ、南原さんからは「相当体力要るでしょ?」「僕バッテバテになりますもん、足すくわれますもん」という質問も。
そういえば、その昔『ウリナリ』でもビーチバレー(この時は二人ではなく大勢でやってましたが・笑)を大騒ぎしながら(笑)やってたことがあったな~ということを思い出しましたが、南原さんからその時の話は出てきませんでしたので、それはとりあえず置いといて。
朝日選手いわく、砂に慣れるのに5年くらいかかった、砂はジャンプしずらいけど体に優しいので関節の痛みとか減った、とのことでした。
あとは、

朝日 「(昔は)けっこうインドアな男だったんですけど」
南原 「アッハハハハ、今、日焼けバンバンしてますもんね」
朝日 「日焼けはするし、もう」
南原 「シミとか大丈夫ですか?」
朝日 「そこはね、スキンケアはかかさないですね」
南原 「アッハハハハハ」
朝日 「そこは(笑)」
南原 「スキンケアはちゃんと(笑)」
朝日 「そうなんです」
南原 「これがシミになると大変ですもんね」
朝日 「大変ですよ」
南原 「スキンケアはちゃんと」
朝日 「スキンケアやってます」
南原 「えぇ」
朝日 「たがら、もう最近目尻はちょっと毎日チェックしてます」
南原 「アッハハハハハハ、大事ですよね」
朝日 「大事ですよ、やっぱりカッコよくいたいですから」
南原 「そりゃそうですよ」

というやり取りや(笑)、身長が199cmだという朝日選手と南原さんの、

南原 「前ね、新宿の駅でね」
朝日 「はい」
南原 「何か、やっぱ見ましたよ、デッカイ軍団いるなと思ったらバレーボールの選手でしたよ」
朝日 「あぁ、バレーボール大きいっすね」
南原 「ねぇ」
朝日 「はい」
南原 「待ち合わせの場所にされませんか?」
朝日 「されます。だから別に詳しく指定する必要ないですね」
南原 「ハッハハハ」
朝日 「だいたい(笑)このへんって・・「探して」って言っとくとだいたい探してくれますね」
南原 「(笑)向こうが探してくれる」

という、バレーボール選手あるある話(?・笑)などもあり、和やかに話が弾んでいた30分でありました。


来週に続く・・・。



『スポーツドリーム』 9/20

2008年09月21日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストはレスリングの松永選手。

今回は、恒例の10の質問でレスリング話などをあれこれと。
"メダル獲得は自分ひとりの力ではない?"という質問には、「はい」と答えていた松永選手。
バッティングで耳を切ったときに何回も治療してもらった先生や両親、オリンピック前にレスリングシューズがなくなったとき急遽オーダーでシューズやインソールを作ってもらった人など、「色んな人に支えられてきましたね」とのことでした。
ちなみに、松永選手のレスリングシューズを作ったのはアシックスの三村さんだそうで。
三村さんといえば、以前『日本のよふけ』に出演したとき、イチロー選手やマラソンの高橋選手のために作ったシューズの話をしてたっけ。
ただ、記憶があやふやでよく憶えていませんし(イチロー選手に会ったという南原さんが、鶴瓶さんから「どうやった?」と訊かれ「好青年でしたよ」とサラッと言ってたのは憶えてますが・笑)、南原さんから三村さん話は出てきませんでしたので、この話はこれくらいにして(笑)。
ご両親については、「喜んでくれたんで良かったです、はい」と、先週の放送と同じくやはり淡々と喋っていた松永選手。
でも、南原さんの、

南原 「(北京から)帰って来てから(実家の)お寺さんには・・」
松永 「行きました、はい」
南原 「で、報告はしたんですか?」
松永 「そうですね」
南原 「あ、これ、お寺が(笑)・・じゃあ檀家さんも喜んでくれたでしょ?」
松永 「(笑)」
南原 「アッハハハハハ、ハッハハハハハ、檀家さんも(笑)」
松永 「檀家さん・・には、まだ、ちょっとこれから」
南原 「あ、これから」
松永 「はい」
南原 「あ、そうですか(笑)」
松永 「たぶん喜んでくれてると思います」
南原 「(笑)そうですよね、えぇ」

という、松永選手の実家のお寺さんイジリにはちょっと笑ってました(笑)。


"銀メダルを獲得してから世間の扱いはガラッと変わった?"という問いには、松永選手は「いいえ」という答え。
松永選手いわく、友達や知り合いからは「あまり変わってないね」と言われるとのとでしたが、

松永 「ま、でも、テレビ局に呼ばれるときは多少変わったなと思うことはありますけども、楽屋が用意されてたりとか」
南原 「アッハハハハ」
松永 「そういう経験は無いんで」
南原 「はい」
松永 「そういうのに関しては変わった・・ま、多少ありますけども」
南原 「テレビ局行って、"松永共広"ってそこに書いて(あって)」
松永 「そうなんですよね」
南原 「「あれ、これ俺の部屋?」みたいな」
松永 「(笑)そうですね」
南原 「入ってみたら弁当がポッと置いてあったりとか」
松永 「そうですそうです」
南原 「えぇ」
松永 「それは驚きました」
南原 「で、メイクさんが来て、「すいません、メイクはどうしますか?」とか」
松永 「あ、言われましたね」
南原 「はい、メイクしたんですか?」
松永 「メイクはしてないです。ま、髪の毛だけ多少整えてもらって」
南原 「「じゃ、すいませ~ん」とか言って」
松永 「はい」
南原 「ガーッとやりながら、若い女の子が」
松永 「そうっすね」
南原 「えぇ、「お疲れ様で~す」みたいな感じの」
松永 「(笑)」
南原 「「あ、どうも」みたいな感じで、はい」
松永 「そういうのはやっぱ変わりましたけど、周りの人はあんま変わってないですね」
南原 「あぁ、それはね、松永選手が普通に接してるからじゃないですかね」

とのこと(笑)。
南原さんのテレビ局あるある話に、またまた笑顔(ラジオなので顔は見えませんでしたが・笑)の松永選手でありました(笑)。


あとは、オリンピックの一試合目は緊張して体があまり動かなかった、減量は大変だったという話や、いづれ北米に留学したい、外国人からも表情が出ないといわれ「イエスとかでも笑っていったほうがいいよ」と言われたという話(笑)、オリンピックは特別なものがあるので生まれ変わってももう一度出たい、というレスリング話などがありつつ、松永選手の実家のお寺話もしてました。
松永選手は、6歳のときに得度(仏門に入って僧になること。出家(旺文社国語辞典より))をしたそうですが、実際はあんまり修行もしてないし、お経も勉強してないので分からないとのこと。
で、南原さんと松永選手の間では、

南原 「だんだん、これからもっと歳重ねていくと、また勉強するかもわからないですよね」
松永 「そうですね、ちょっと勉強してみたいなと思ってるんですけどね」
南原 「あ、最近」
松永 「はい、般若心経とか」
南原 「はい」
松永 「そういう本を親からちょっと貰っ・・借りてきて」
南原 「はい」
松永 「ちょっと勉強しようかなと」
南原 「今後ね、今後、戦うお坊さんとして」
松永 「(笑)、これから修行とかもしなきゃいけないので」
南原 「あ、そうか」
松永 「たぶん、今からは難しいですけどもね」
南原 「でも、オリンピック行くのも相当な修行したわけじゃないですか」
松永 「いや、でもお坊さんも大変と思いますよ、やっぱ」
南原 「(笑)それはそれでね」
松永 「はい」

というやり取りもあったりして、またちょっと笑っていた松永選手(笑)。
最近はバラエティー慣れしたスポーツ選手が多いですが、松永選手はどんなときも表情を変えないポーカーフェイスなクールガイ(笑)。
そんな松永選手を、先週に続き今回もあの手この手で笑わそうとしていた南原さんでしたが、努力の甲斐あって何度も松永選手を笑わすことが出来て何よりでした(笑)。


夢色紙に松永選手が書いていた言葉は、"清流無間断(せいりゅうかんだんなし)"。
オリンピック終わって家に帰ったときに親から教えてもらった言葉だそうで。
絶え間なく流れる水に濁りは無い、という意味だそうですが、松永選手は「努力すれば結果はついてくるのかなと思うんですけどね」という意味で捉えているとのこと。
南原さんはこの言葉を聞いて、「これはどういう意味なんですか?なんかありがたい感じがするんですけども」「清流間断無しっていうんですか、へぇ~!」と大感心の様子(笑)。
で、番組の最後には、

南原 「二週にわたって、えぇ、どうでした?こうやって、ラジオを」
松永 「いや~(照笑)、上手く喋れてるんのか分からないですけど」
南原 「えぇえぇ喋れてますよ、えぇ。この、朴訥とした中にも芯があるような感じでございますけども。えぇ、じゃ一旦こう、ね、休まれて」
松永 「はい」
南原 「次なる目標が、たぶんご自身の中にあるかと思いますけども、えぇ、清流間断無しで」
松永 「はい」
南原 「(笑)頑張って下さい(笑)」
松永 「はい(笑)」
南原 「えぇ、今日のゲストはレスリングの松永共広選手でございました。ご両親にもよろしくお伝え下さい(笑)」
松永 「はい(笑)、わかりました」
南原 「どうも、ありがとうございました」
松永 「ありがとうございました」

ってな感じで、さっそく"清流無間断"という言葉を使い(笑)、そして何故か松永選手のご両親にも「よろしくお伝え下さい」と言っていた南原さんでありました(笑)。



『スポーツドリーム』 9/13

2008年09月14日 | スポーツドリーム
今回のゲストは、レスリングの松永共広選手。

北京五輪・レスリングフリースタイル55㎏級で銀メダルを獲得した松永選手。
本物の銀メダルを間近で見た南原さんは「あぁ~、ちょっとズシッと重みがありますね。大きさで言うと直径が7、8センチですかね、10センチぐらいありますかね」と、いつものように(笑)興味津々の様子で銀メダルを眺めたり、メダルがどんな感じかラジオの前のリスナーに分かりやすく説明したりしてましたが、

南原 「もう、あれですね、こ、この(笑)、何ですか?首かけるところ」
松永 「あぁ~」
南原 「けっこう、もう何か」
松永 「多分みんなそうだと思うんですけど、これ、こすれてしまって」
南原 「あ、こすれて」
松永 「はい」
南原 「ほつれみたい・・、これ、いつもどうやって保管してる、あ、ありがとうございます(と言ってメダルを返す?)」
松永 「え~と、ケースがなくて」
南原 「はぁ、ケースがない」
松永 「はい、だからこう、巻いてポケットに入れる感じですね」
南原 「ちょっと待ってくださいよ」
松永 「(笑)」
南原 「携帯電話じゃないんだから」
松永 「(笑)」
南原 「もっと大事に扱ったほうが・・みんなそういうもんなんですか?」
松永 「みんなそうじゃないですかね」
南原 「あ、そうですか」
松永 「多分そうだと思います」

というやり取りも(笑)。
首にかける紐のほつれを目敏く見つけるあたり、相変わらずの南原さんの観察眼にちょっと笑ってしまいました(笑)。
あと、メダルにはケースが無いという話にはちょいビックリ。
う~む、ケースが無かったら水泳で8個も金メダルを獲ったフェルプスはきっと保管場所に困ってるんじゃ・・なんてことをちょっと思ってしまいましたが、そんな余計な心配はさて置き(笑)。


今回初めて出たオリンピックは緊張した、という話をしてた松永選手でしたが、南原さんからは「松永選手さっきからずっと見てるんですけど、あんまり表情が変わらないですよね」というツッこみ(笑)。
松永選手いわく、6歳からレスリングを始めその頃から「(キツくても)顔に出すなと、たぶんそういう教育を受けてきたと思います」とのこと。
ラジオでは表情はわかりませんでしたが、松永選手の話し方は淡々としていて、確かに喜怒哀楽が激しいという感じではありませんでした。
試合前の減量の話でも、淡々と話す松永選手と南原さんの間では、

松永 「できるだけ、こう、あの~、力を使わないように、あの、どれだけこう、あの、減量に集中できるかとか」
南原 「力を使わない?」
松永 「体力をあんま温存してみたいな」
南原 「あ、体力は温存しながら減量するんですか?」
松永 「はい、だから疲れることはあんまり、できるだけしなかったりとか」
南原 「ちょっと待ってください、普通ね、あまたあるダイエットは体動かして」
松永 「あぁ~そうですね」
南原 「(カロリーを)燃焼さしてっていうことなんですけども、そうじゃないんですか?」
松永 「動く時はやっぱ汗かかなきゃいけないんで」
南原 「はいはい」
松永 「あの、集中して動いて」
南原 「はい」
松永 「そのあとはもう、ホントリラックスして」
南原 「はい」
松永 「寝てたりとか、あの、お笑いのDVD見たりとか」
南原 「あ、お笑い見るんですか?」
松永 「まぁある程度は」
南原 「はい」
松永 「見ます」
南原 「笑ったりとかもするんですか?」
松永 「(笑)あ、します(笑)」
南原 「あ、そうですか(笑)、よかった~(笑)。ハッハハ、ハッハハ」
松永 「全然笑わない人みたいな(笑)」
南原 「アッハハハハハ、いや、そんなことないです(笑)、今は笑顔なんですけども」

というやり取り(笑)。
南原さんからのツッこみに、ようやく笑顔という感じの松永選手でありました(笑)。


あとは、北京五輪では一日5試合、第3試合で戦ったウズベキスタンの強豪マンスロフ選手はバテていて自分のほうが勢いがあったという話や、高校時代は49㎏級だったけど大学に入って55㎏級に階級を上げたら勝てなくなり3年になってようやく勝てた、北京では自分の試合が終わったあと少し観光もした、選手村では柔道の鈴木選手に会ったという話などもしていましたが、

南原 「(他の選手や競技に)何か刺激うけたりとかしました?」
松永 「え~と、陸上のリレーは観に行けたんですけど」
南原 「はい!」
松永 「あれは感動しましたね」
南原 「あの夜遅くやったやつですよね」
松永 「はい、たまたまチケットがあって行ったんですけど」
南原 「陸上」
松永 「良かったですね」
南原 「良かったですか、応援しました?」
松永 「応援しました。最初やっぱ手拍子とかで始まって」
南原 「はい」
松永 「で、スタート前ってちょっと静まるんですよね」
南原 「はいはいはい」
松永 「で、始まってからもう歓声で、すごい良かったです」
南原 「(スタートの合図が)パーン!って言った瞬間に、歓声がワーッ!ってなって」
松永 「はい」
南原 「それで日本人選手がウワーッ!と来て、で、銅メダル獲った瞬間どうでした?」
松永 「もう、良かったですね、興奮してました」
南原 「あ、そん時はもう、大人しいあんまり表情出さない松永選手も」
松永 「ハッハハハハ」
南原 「「ヤッター!」とか言ってたんですか?」
松永 「多分言って・・叫んでたと思いますね」
南原 「やっぱあれでしょ?ああいうとこで日本人選手とかがメダル獲ったりすると良いもんでしょ?」
松永 「いいっすね~」
南原 「ねぇ、でもそのうちの一人なんですよ、やっぱり」
松永 「(笑)そうっすね」
南原 「えぇ」
松永 「もぅホントでも信じられないですね、はい」

と、ここでも表情を表に出さない松永選手イジリに余念がない南原さんでした(笑)。
ちなみに、松永選手は表彰台で日の丸が揚がるのを見たときは、決勝で負けてしまったので悔しい思いが残っていたけど「控え室戻って先生から「お疲れ様」ってと言われた時はちょっとこみ上げてくるものがありました」とのことでした。


番組の最後に南原さんは、松永選手を評して「表情を表に出さないながらも、こう内に秘める闘志が時より感じました」と言ってましたが、松永選手は終始淡々と喋っていて確かにそんな感じでした。
そんな松永選手に対し、南原さんはあの手この手で色んな表情を引き出そうと(もちろんレスリング話も引き出してましたが・笑)しながら話を聞いていた30分でありました(笑)。


来週に続く・・・。



『スポーツドリーム』 9/6

2008年09月07日 | スポーツドリーム
前回に引き続き、ゲストは沢穂希選手。

今回は、決勝トーナメントの3試合を振り返りながらあれこれと。
準々決勝の中国戦は2-0で完勝し、準決勝に駒を進めたなでしこJAPANは、ここでようやく選手村に入ることが出来たとのこと。
先週の放送でも沢選手は「それ(選手村に入るの)をモチベーションに(皆やってました)」「普段会えない選手に会えるんで」と言ってましたが、選手村に入るときは、

南原 「準決勝」
沢   「はい」
南原 「これ、選手村ですよね」
沢   「はい」
南原 「選手村(笑)」
沢   「(笑)」
南原 「どうですか?選手村入って(笑)、荷物まとめて「私たち選手村だよ!」」
沢   「選手村に着いたときに」
南原 「はい」
沢   「みんなで「あれ?」とか言って、「選手村って入れるのってベスト4だよね」とか言って」
南原 「はい」
沢   「で、「ドイツ、アメリカ、ブラジル、日本、これおかしくない?」って、みんなで(笑)」
南原 「ハッハハハハハハ」
沢   「「ここに日本入ってるのおかしくない?」って言って」
南原 「ハッハハハハハハ」
沢   「「でも選手村だよ」とか言って、「ベスト4だよ」とか言って、みんなでそういう話をして、選手村に入ったんですよ」

という話をしていたそうで(笑)。
サッカーは開会式前から試合をしたり、北京五輪と言いながらも北京以外の場所で試合をやっていたり、オリンピックムードとはちょっと違った中での試合が続いていたと思いますので、準々決勝の試合に勝って念願の選手村入りをして、マック食べ放題なども経験できたようで何よりでした(笑)。


準決勝のアメリカ戦は、「(皆で)メダル欲しいね~って言ってて」「(予選リーグの時は負けたけど)次やる時は勝てそうな気がしました」とのことでしたが、アメリカも予選の時とは違い調子を上げてきて気持ちを前面に出していたそうで、残念ながら敗戦。
3位決定戦のドイツ戦は、銅メダルという目標がありつつも、今のチームでやれるのが最後の試合だったので自分たちが90分間楽しいサッカーをやろうと言ってやりました、とのこと。
で、

南原 「ピッチ立って、最初(日本が)バーッと攻めてましたよね」
沢   「はい」
南原 「はい」
沢   「で、あそこで点が取れなかったのが、たぶん、やっぱりホントに世界との差と言うか」
南原 「うん」
沢   「だなって感じましたね」
南原 「これは、な・・色んな競技とかにも言えると思うんですけど、何なんですかね? その、1点入れる、1点入れない差っというのは」
沢   「で、でこう、前半の時、前半は日本ペースでホントに自分たちのサッカーも出来てましたけど、やっぱり後半のホントに残り10分15分で」
南原 「うん」
沢   「あそこで(点を)入れてくるドイツっていうのは、やっぱりレベルの差というか、そこがやっぱり日本との違いだな、というのもすごく思いましたし」
南原 「それレベルの差ってやっぱありますか?」
沢   「ありますね、フィジカル的にも全然違いますし、普通に横に立ったら身長180cmがパーッと居て(笑)」
南原 「(笑)」
沢   「この選手たちにヘディング勝てっていうほうが難しい(笑)」
南原 「アッハハハハ」
沢   「思いますもん(笑)、やってて(笑)」
南原 「ハッハハハ、デカかったですね、ディフェンダーね」
沢   「デカかったですねぇ」
南原 「これ、ヘディング・・じゃ、どこで点入れるって足元かとか、そういう」
沢   「そうですね、でも、ホントに日本の良いところって、やっぱりパスワークだったり戦術だったりとか、戦術の理解度だったりとか」
南原 「はい」
沢   「そういうのは、ホントに負けていないと思うんですけど、やっぱりフィジカル、こう、高さだったりパワーだったり、スピードでっていうと、やっぱちょっとまだキツイ部分があるので、で、それに対抗してやるのはやっぱり難しいので」
南原 「うん」
沢   「だったらやっぱり日本のそういう良いところを、もっともっと自分たちのレベルを上げていかないといけないんだなっていうのは思いますね」
南原 「後半のラスト10分までは戦えてたわけですよね?」
沢   「そうなんですよ、あとだから10分なんですよ」
南原 「あと10分」
沢   「あと10分、15分なんですよね」
南原 「ラストどう締めるか」
沢   「はい」
南原 「ここが難しいっていうか」
沢   「そうですね」
南原 「はい」
沢   「そこが今の課題だと思いますね」
南原 「課題」
沢   「はい」
南原 「沢選手から見て、これ、何をどうやったら、こう(課題が)埋まりますかね」
沢   「う~~ん、難しいですねぇ、でも・・」
南原 「ま、沢選手はアメリカ(のプロリーグ)でもプレイしましたよね」
沢   「はい」
南原 「日本人の良さとか」
沢   「う~ん、でも、まぁ日本人の良さはホントに、そういう技術はアメリカ人の選手に負けてないと思いますし」
南原 「うん」
沢   「普通にアメリカ人の選手はリフティングしてても全然出来ないんで(笑)」
南原 「アメリカ人は?」
沢   「はい(笑)」
南原 「はい」
沢   「だから、もっともっと、その細かいところというか、やっぱファーストタッチだったりとか」
南原 「うん」
沢   「トラップするところの位置だったり、やっぱり判断だったり、ホントに今からでも少しずつでも変えれる部分を変えていかないと、やっぱり世界には勝てないなと思いますね」
南原 「もう、もうホントに」
沢   「ホントの」
南原 「細かいとこですか?」
沢   「はい、そう思いますね」

というやり取りも。
フィジカルやパワーで日本が世界と対抗していくのは確かに難しいと思いますが・・・。
今回、沢選手の話を聞いていると、メダルを獲れなかったのはそういうフィジカル的なことよりもメンタル面のほうが大きかったんじゃないのかな?という感じです。
バルセロナ五輪の時に金メダルを獲れなかった柔道の谷(当時は田村)選手が当時のことを振り返り、準決勝で勝ってホッとしてしまい決勝では負けてしまった、という話をしていましたが、今回のなでしこもベスト4に入ったことである程度満足してしまい、達成感のようなものを味わってしまったことが、メダルを逃してしまった要因のひとつのような気がします。
あと、「メダルが欲しい」と思うのと、「メダルを絶対獲る」と思って試合をするのとではモチベーションも微妙に違うと思いますし・・・う~む、このへんは世界との差というよりも、経験の差なのかもしれません。
とはいっても、初のベスト4入りは改めて言うまでもなく素晴らしいことですので、今回の経験を踏まえ、沢選手やなでしこには更に上を目指して頑張って欲しいと切に思います。


あと、北京五輪ではメダルは取れなかったけどそれ以上のものを得た、みんなの勝ちたい気持ちというのがすごくグラウンドにも出せましたし、やっぱり最後まで諦めない気持ち、色んな人に対する感謝する気持ちとか色んなものを感じた大会でしたね、という沢選手の話などもありつつ、

南原 「沢さんは、血液型が確かAB型」
沢   「一緒ですよね」
南原 「僕もAB型なんですよ、わかりますよ」
沢   「(笑)」
南原 「ホントは喧嘩とか苦手なタイプでしょ?」
沢   「(笑)」
南原 「言い合うのも」
沢   「あぁ、もう絶対すぐ私あやまります」
南原 「ねぇ」
沢   「はい」
南原 「あいだ入って「まぁまぁ待ちなよ」みたいな」
沢   「う~ん、けっこうそういう感じですね、でも、行くときは行くんですけどね(笑)」
南原 「ハッハハハハハ、開き直ったら(笑)」
沢   「開き直ったら強いですね(笑)」
南原 「ハッハハハハハハ」

というやり取りも(笑)。
AB型の人がみんな南原さんのように喧嘩を一度もしたことがない平和主義者だとは思えませんが(笑)、それは兎も角として。
沢選手いわく、チーム内では喧嘩もなく、このチームでサッカーをやれて幸せ、最高の仲間と一緒にこの大会に出れたというのは自分のサッカー人生の中で貴重な時間になった、とのことでした。


あとは、(現役は)やれるとこまでやりきりたい、その先にロンドン五輪があればそれに向けて戦いたいという話や、今度はオリンピックでメダルを獲りたい、釜本さんの代表ゴール数75を「絶対抜きたい」、という話等々、沢選手が語る北京五輪&サッカー話を、南原さん同様興味津々で聞いてしまった30分でありました(笑)。