地下鉄でちょっぴり移動して、四天王寺前夕陽ケ丘駅下車。
ここから・・・調べて来た訳じゃないし、三光神社で初対面のカップルに勧められただけで。
駅降りたんだけど・・・四天王寺さんに行く人ばっかりで、真田丸は?
汗が背中をツーーーーって流れる。結構歩いたような気がする。んで、あった
御祭神は、少彦名神と、菅原道真公。
安居神社は、安居天満宮でもあるわけだ。うん、忙しいな。
ご由緒は・・・拡大しませんので、運よく読めた方だけ読んでね。
社務所に真田幸村関連のパンフレットとかチラシとか、置いてあったので、
これ、頂いていいですか~?って声をかけたら、大喜びで、
灼熱の太陽の下、延々と真田幸村について語っていただいたのですけど・・・・・・。
録音しておけば良かったね。まったく、汗とともに記憶も流れ落ちてしまった模様
菅原道真公が大宰府に流される時に、風待ちのため休息を取ったから、『安居』って名前が付いたとか。
道真公ゆかりの地でもあるので、道真公が愛した梅。そして牛は天神様のお使いなのね。
さあ本題に入りましょう。
ここ安居神社は、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の時、真田信繁が最後を迎えた場所なのですね。
それは大坂夏の陣の時、天王寺口の茶臼山に布陣した真田信繁は、
毛利勝永らと獅子奮迅の戦いを展開。徳川幕府軍を窮地に追い込んだものの、もう限界・・・もうダメ・・・。
ここ、安居神社で休息をしたそうな。
三光神社の采配を打ちふるう真田幸村公像とまったく違って、リラックス感があるやつ。
刀を置いて、すっかり休息モードだったのでしょう。
手の甲の六文銭だけがゴールド!ってとこが素敵だな。
このごっついイメージの中に、全く堺雅人の面影は無いように思うんだけど・・・・。
あら、スキンヘッドなの?って思いつつ、後ろに回ると、ああ、なるほど。こんなロン毛なのね。
安居神社で休息していた所を、敵の兵、松平忠直達の鉄砲隊に見つかってしまったのだ。
けれど慌てなかった真田信繁。
最後は西尾に『この首を授ける故、手柄にせよ』と、自らの首を差し出したって言われてます。
西尾仁左衛門・・・って、誰?・・・に、討ち取られたとされるその場所が、像の後ろ。
さなだ松。残念ながら、今の松は2代目なのだそうだけど、諸説あるようですよ。
享年49歳。 もったいないったらありゃしない。
真田丸ファンが今年は沢山訪れたのでしょうね。きっと。
平成28年8月1日~12月18日まで、大阪市営地下鉄のイベントがあるそうです。
『幸村が駆け抜けた大坂 スタンプラリー』、興味があったら、ここをクリック!!
この絵馬には、何を祈願するのかしら。
役者さんの絵馬も沢山ありましたよ。真田丸ブームですから、舞台にもなってますしね。
それにしても、ここ、安居神社って出入り口が何か所もあるのだ。
極度の方向音痴の私には理解できない。
違う出口に降りてみたら、なんでこんな石段なんや?3Dの空間的な想像力に乏しいので、??だよ。
もっと調べたら、もっともっと色んな歴史が出てきそうなのですけど・・・・。
これ以上書いてると仕事に行けなくなってしまうので、妙~~に意味ありげな写真を残そう。
天神坂。そして、枯れてるけど湧水が出てきた跡地。
坂を上ってみようか?って思ったの。2秒だけ。てへ。
恐れることもなく、戦い、そして堂々と散っていった真田信繁巡りはこれにて。
安居神社(安居天満宮)
大阪市天王寺区逢阪1-3-24
TEL 06-6771-4932
暑くて暑くて力尽きそうだったので、元来た出入り口に戻って、降りた駅に戻ろうとしたのだけど、
何故だか迷子 何故だかそこは・・・・・。そこで水分補給したお話はまた後日