史跡・真田の抜穴で有名な三光神社を後にして、坂道をトコトコ。
真田丸巡りって言っても。元々、抜穴の三光神社しか考えてなかったのが、
たまたまシャッターを押してあげたカップルさんのおススメで歩いてる。
数件聞いたのだけど、覚えてるとこだけ行くのだ。 で、ここだ。
石段をわくわくしながら登っていくでしょ。お~~~。ええ感じやね。
ありがとう、教えてくれたカップルさん。って何も調べずに来た私って・・・お馬鹿さんね。
お寺なんだ。真田丸跡ってね。
ここにあったのだね。真田丸。
元和8年(1622年)白牟和尚が戦国武将・真田幸村父子の冥福を祈り堂宇を建立したのが始まりのお寺。
大阪新四十八願所阿弥陀巡礼の、第11番なんだそうな。
西国は満願しましたけどね・・・・。むっちゃ巡礼っていろんな種類有りすぎるかと思うんですけど。
もう、西国廻ったから満足です。ご朱印の美しさも知ってます。
ああ・・・巡礼だけはもう勘弁してくだされ・・・・。
って、真田丸巡りだのに、ん?京都見廻り組って?
小さいことは気にしない・・・って入ってみたよ。
1622年に真田信繁(幸村)、真田大助親子の冥福を祈るために創建されたのですが。
当時の大坂は徳川幕府の直轄地であり、真田父子の墓を作ることは許されず、
・・・・・不思議なんですが、400年目の2014年10月にようやく真田左衛門佐豊臣信繁之墓として建立。
2014年になってやっとこさ、徳川幕府にお墓作ることを許してもらったの?
ま、小さな事は気にしない。 けどさ、真田信繁は積極的に幸村とは名乗ってなかったようですけど。
創建から、心眼寺の定紋は六文銭。そして山号は真田山。真田押しのお寺なのでした。
観てないんです。大河ドラマとか。観ておくべきだったかしら・・・?って思った時はもう7月。
もともと興味なかったはずで、ここにも来る予定もなかったのに、
何だか、ちょっとずつ知ってく内に、面白くなってくるから不思議ね。
ここが本堂なのかしら?誰もいないお寺なの。
その、本堂と思われる建物の片隅に、ひそかに・・・・。
京都見廻組の桂早之助&渡辺吉太郎の墓所がここに。
彼らは、坂本龍馬を殺害した人たちの最有力候補者。って、実際、誰だったのか未だにわかんないのね。
何故に、ここに眠ることになったんでしょう。
調べだしたら終わりが無いような気がして、これ以上突っ込まない事にしたよ。
誰もいない、影ひとつない晴天の心眼寺を後にしました。
これから行かれる方は、水分補給を忘れずに。帰りの石段で眩暈して、転げ落ちそうになりましたよ。
お~、真田の怨念か!?な、訳ないよね。てへ
真田山 心眼寺
大阪市天王寺区餌差町2番22号
TEL 06-6764-0630
そして心眼寺のすぐそばに。
坂に沿って大阪明星学園のテニスコートがあるのだけど。
『真田幸村が築き、大坂夏の陣の最大の激戦地となった「真田丸」は、
最新の研究では大阪明星学園の地にあったと言われています』・・・・らしいです。
真田信繁が九度山から大坂城に入城したのが1614年。
それから400年以上経った今年2016年2月に、真田丸顕彰碑が設置されました。
心眼寺とあわせてどうぞ・・・。