それゆけ!ぶんぶん一家☆ミ

不器用な3人家族と、ゆかいな仲間たちのブログです。

真田幸村、終焉の地☆安居神社には牛がいる☆大阪市天王寺区♪

2016-07-28 05:15:33 | おでかけ

史跡・真田の抜穴真田信繁の墓所を尋ねた後は、

地下鉄でちょっぴり移動して、四天王寺前夕陽ケ丘駅下車。

ここから・・・調べて来た訳じゃないし、三光神社で初対面のカップルに勧められただけで。

駅降りたんだけど・・・四天王寺さんに行く人ばっかりで、真田丸は?

汗が背中をツーーーーって流れる。結構歩いたような気がする。んで、あった

御祭神は、少彦名神と、菅原道真公。

安居神社は、安居天満宮でもあるわけだ。うん、忙しいな。

ご由緒は・・・拡大しませんので、運よく読めた方だけ読んでね。

社務所に真田幸村関連のパンフレットとかチラシとか、置いてあったので、

これ、頂いていいですか~?って声をかけたら、大喜びで、

灼熱の太陽の下、延々と真田幸村について語っていただいたのですけど・・・・・・。

録音しておけば良かったね。まったく、汗とともに記憶も流れ落ちてしまった模様

菅原道真公が大宰府に流される時に、風待ちのため休息を取ったから、『安居』って名前が付いたとか。

道真公ゆかりの地でもあるので、道真公が愛した梅。そして牛は天神様のお使いなのね。

さあ本題に入りましょう。 

ここ安居神社は、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の時、真田信繁が最後を迎えた場所なのですね。

それは大坂夏の陣の時、天王寺口の茶臼山に布陣した真田信繁は、

毛利勝永らと獅子奮迅の戦いを展開。徳川幕府軍を窮地に追い込んだものの、もう限界・・・もうダメ・・・。

ここ、安居神社で休息をしたそうな。

三光神社の采配を打ちふるう真田幸村公像とまったく違って、リラックス感があるやつ。

刀を置いて、すっかり休息モードだったのでしょう。

手の甲の六文銭だけがゴールド!ってとこが素敵だな。

このごっついイメージの中に、全く堺雅人の面影は無いように思うんだけど・・・・。

あら、スキンヘッドなの?って思いつつ、後ろに回ると、ああ、なるほど。こんなロン毛なのね。

安居神社で休息していた所を、敵の兵、松平忠直達の鉄砲隊に見つかってしまったのだ。

けれど慌てなかった真田信繁。

最後は西尾に『この首を授ける故、手柄にせよ』と、自らの首を差し出したって言われてます。

西尾仁左衛門・・・って、誰?・・・に、討ち取られたとされるその場所が、像の後ろ。

さなだ松。残念ながら、今の松は2代目なのだそうだけど、諸説あるようですよ。

享年49歳。 もったいないったらありゃしない。

真田丸ファンが今年は沢山訪れたのでしょうね。きっと。

平成28年8月1日~12月18日まで、大阪市営地下鉄のイベントがあるそうです。

『幸村が駆け抜けた大坂 スタンプラリー』、興味があったら、ここをクリック!!

この絵馬には、何を祈願するのかしら。

役者さんの絵馬も沢山ありましたよ。真田丸ブームですから、舞台にもなってますしね。

それにしても、ここ、安居神社って出入り口が何か所もあるのだ。

極度の方向音痴の私には理解できない。

違う出口に降りてみたら、なんでこんな石段なんや?3Dの空間的な想像力に乏しいので、??だよ。

もっと調べたら、もっともっと色んな歴史が出てきそうなのですけど・・・・。

これ以上書いてると仕事に行けなくなってしまうので、妙~~に意味ありげな写真を残そう。

天神坂。そして、枯れてるけど湧水が出てきた跡地。

坂を上ってみようか?って思ったの。2秒だけ。てへ。

恐れることもなく、戦い、そして堂々と散っていった真田信繁巡りはこれにて。

安居神社(安居天満宮)

大阪市天王寺区逢阪1-3-24

TEL  06-6771-4932

暑くて暑くて力尽きそうだったので、元来た出入り口に戻って、降りた駅に戻ろうとしたのだけど、

何故だか迷子 何故だかそこは・・・・・。そこで水分補給したお話はまた後日