ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

街なか散歩 3 〔千住宿〕

2016-03-29 07:53:10 | 旅行・秘湯・巡礼 
地下鉄南千住駅の出口から、JR南千住駅を越えて左折し ガードに沿って進
み交差点を渡ると、大通りに面した街並みのなかに「小塚原回向院 」がある。
その墓所には、安政の大獄で刑死した 橋本左内や吉田松陰のお墓もあった。
線路沿いをさらに進むと、今日の昼食処であるウナギの老舗 「尾花」がある。
11時半の開店直前でも50人ほどが待っている状態で、約一時間待って大広
間に案内され、さらに25分待って 注文品「うな重と吸い物」が運ばれて来た。
ご飯が見えないほどの大きなウナギは、柔らかくやや薄味の上品な味だった。

食事が終わると1時半、荷物を背負い回向院前から日光街道に向かって歩く。
素戔雄神社前を左折、千住大橋を渡ると左に「奥の細道矢立初めの地」の碑。
4号国道を北に向かってすぐ、斜め右に走る道が 「日光街道千住宿 」である。
徳川幕府の街道整備によって、板橋 新宿 品川と 江戸四宿の一つになった。
宿場本宿の入り口周辺は、農産物市場のあった「やっちゃ場」の名残りが漂う。
北に進むと、商家の蔵を再利用した 「千住宿ミニテラス 」があり、さらに進むと
左に「問屋場 貫目改所跡」、宿場の事務や荷駄を取り締まった役所跡だ。

北千住駅前通りを横切ると、「宿場町通り」と名付けられた下町商店街になる。
「本陣跡」の案内板を過ぎて進むと、右側に紙問屋「横山家」の二階家がある。
さらに進むと 「千住宿高札場」に「絵馬屋」、「街道分岐」と「名倉家」があった。
その先が荒川堤防で 千住宿の散歩は終了、北千住駅に戻ると4時前だった。
『昔のサンロード商店街が、「宿場町通り」に変わってた』 と、ひげ爺の独り言。
カタカナ名称が日本人に受けた昔、古い街並みに 外国人が集まって来る 今。
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