高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

Life cafe

2017-03-18 18:45:47 | 日記

来週、昨年亡くなった父親の100日法要と納骨式をするので千葉へ行く予定があります。で・・、その前にMRKさんが髪を切りたいというので、真狩村に開店したというcafeが併設された美容室に、お天気の良い羊蹄山の麓のそのお店・Life cafeに行ってきました。 なんでも最近、真狩村は移住促進政策で小さな起業を応援しているらしく、そのひとつのお店のようなので、私も興味がありました。

美容院はもともとコミュニティ性があるビジネスだと思うのですが、それに飲食が付くというのは、いい発想だと思うのですが、具体的に見たことがなかったのです。 真狩村の中心を流れる(たぶん)尻別川の河畔の高台にそのお店はありました。 窓からは羊蹄山がすぐまじかにせり上がるような麓です。(写真の手前)。今日はあいにく標高が高いところは雲に覆われていましたが、真狩温泉の露天風呂から見るよりもずっと間近で迫力があります。 cafeは窓が広く明るく、カレーやサンドイッチなどメニューも充実していて、夫婦で経営されている(夫=美容師、妻=cafe店主)ようで、応対もフレンドリーで距離感も適度で居心地がよく、また来ようかなという気持ちにさせられました。

真狩村には他にも小さな起業が続いているようですが、その他の情報はゲットでき(しま)せんでした。 しかし、小さな町村の活性化というか、居心地の良さづくりは、やはり、このような既存ではない居場所づくりができる人の移住というのが大きな要素になるなあと改めて感じた次第です。

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台湾から

2017-03-17 15:23:44 | 来訪者

台湾からりーはんのご友人が滞在中。 ふたりで昼食に、台湾風味の即席ラーメンを作り、よろこんでおりますの図。

 りーはんのお陰をもって中国や台湾からの来訪者へのツアー企画が複数すすんでいます。 新年度の事業計画予算計画にはまだ着手していませんが、これらのツアーに社運がかかっておりまする。

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春へ

2017-03-17 11:42:20 | 日記

今年の雪解けクイズの雪山に春の陽光が燦々と朝から降り注いでいます。ガンガンととけそうです。 3月中に校庭の雪が消えた年も、ここへ移住してから2度ばかりありました。今年もこれに近い状態かもしれないなあ。

中国杭州の天目山、大地之野自然教室(大華集団の子会社)と年間契約を結んでスタッフトレーニングをする計画があり、今日は一気に企画書を書き上げました。 どの位の見積もりが妥当なのか検討がつかんのですが、情報収集中。翻訳してネゴシエーションの開始です。 

なんとか成約し、新年度は何度か天目山へ通いたいともくろんでおります。

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念願かなって。

2017-03-16 10:16:58 | 日記

この2日間(3/14-15)は札幌出張をしました。ここのところ中国からの仕事のOfferがねおすグループ内に相次いでいるので、その情報共有の会議をしました。NPOねおすは解散したので、例年実施していた全スタッフ集合研修がなくなったのですが、いぶり自然学校、大雪山自然学校、黒松内ぶなの森自然学校から集合し、大沼牧場はskype参加でした。 その後は懇親会。 ねおす設立当初から子ども事業のボランティアをして頂いて、お子さんもねおすイエティくらぶの参加者だったお母さん、ひでみさんが広島に転勤となるのでその送別会もかねました。 で・・、二次会は数人でカラオケで深夜2時すぎ。会議の前には、整体も受けに行きました。

さらには、翌日は上田税理士さんと若干の打ち合せをしたあとは、劇団四季のミュージカル「ライオンキング」をついに観劇しました。 オープニングでいろいろな動物が登場するシーンでは、身体が震えるくらいに感動したのですが、その後は大きな感動を感じることもなく、前夜のお疲れからか居眠りして隣のりーはんに2度ばかりつつかれておりました。

二日間、遊びに行ったような出張でありました。 たまにはいいやねえ・・・・。

 

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良い天気だ。

2017-03-13 16:05:46 | 日記
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子どものあるっくぅ

2017-03-12 13:08:24 | 日記

「あるっくぅ」と名づけて大人向けの活動をやっています。やっているとは名ばかり、16年度は一回も開催されていませんが・・・。 今回は子ども活動で「あるっくぅ」をテーマにしました。

あるっくぅとは、 歩く・Look(観る)・食べる(食う)をコンセプトワードに合わせた造語です。 いいでしょう!! 気に入っているのですが・・・・。

お散歩ハイキングして、自然や風景を観察して、おいしいものを食べるがコンセプトの一日エコツアーなのでありますが、大人のプログラムは盛会となっておりません。 ちゃんと育てたいものです。 15年くらい前に「大人の遠足」という日帰りツアーを展開していました。独自主催とカルチャー教室との提携コースと週に2回。定員18名というプログラムにしており、一時期は盛況でありました。 あの時は、札幌が拠点でこのプログラムを育てることに熱意があったからなあ。

11-12日は、春の陽気が感じられる野山を子どもたちと歩きました。

本年度は、新しいワゴン車を買うことだし、再度、丁寧に育てるかなあ。 会員制度を引くとそれをメンテナンスすることはけっこう手間暇がかかることはわかっています。ただ、プログラムを提示しているだけではリピート顧客は定着しないんだなあ。

それは、子どもプログラムでも同じだ・・・。 17年度は パンツのゴム(褌の紐)を引き締めよう。

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3.11

2017-03-11 18:52:39 | 日記

2011.3.11からまる6年となった。 あの日はニセコで次女の結婚式だった。揺れたその時、教会の地下にいた私は地震にまったく気がつかなかった。 結婚式が終わり披露宴が始まり、何か回りが結婚式のざわめきと違うものは感じていたが、新婦の父親としては、自分の近辺ごと以外にはまったく気が回らずにいた。 震災についての何の情報も話もまったくないままに、夜の11時すぎ、親族同士の懇親の席も終え、ホテルの自室に戻ってテレビのスイッチを入れた。 全チャンネルは被災情報を流していた。「いったい何が起こったのか、しばらく把握できないでいた」 混乱する頭がちょっと冷静になり、事態が飲み込めた。三陸全体を襲った大津波があったのだ!!!!  とっさに釜石が地元のスタッフKJのことが頭に浮かんだ。 彼女は、地元に「自然体験関係の就職先」があるから帰って来いと実家から声がかかったものの、もう一年はぶなの森自然学校で修行してからと決めていた矢先であった。

 翌12日朝、早々に黒松内の自然学校に帰った。 自然学校のスタッフはTVをつけてKJを囲んでいた。私も朝から報道を見続けていたが、釜石の状況はさっぱり流されなかった。大槌湾という大きな湾がある地形だから津波の影響がなかったのではないかなどと楽観もよぎった。しかし、昼前に遂に、釜石市街のアーケードに津波が商店街の1階を潰す高さで流れ込んでいる様子がTV画面に流れた。彼女の実家は市街地の北側の片岸という地区であった。郷里がどのようになっているか心配する彼女。携帯電話もつながらない。彼女ばかりでなく、誰もがもう仕事どころではない。

「現地に行くべきか、行かざるべきか」その日、原発・放射能に詳しい客人が自然学校に滞在しており、福島原発での事故を同時に伝えるニュースに「今は行くべきではない」と忠告を受けた。

しばし、逡巡した・・・。が、「行くしかない」と誰に相談することなく、決めた。

「自然学校にあるありったけの毛布と食料、携帯コンロとテントなどの野外道具をワゴン車に積み込むこと」を指示して、自らも出立の準備を始めた。青函連絡船や本州にゆくフェリーは動いていないことが判明したが、函館の仲間にともかくも乗船券確保することを指示して、函館埠頭まですっ飛んでいくことにした。函館フェリーターミナルもターミナルビルの床上浸水の被害にあっていたが、ことの他早く再開となった。滞留していた貨物トラックばかりであったが、乗用車として、最期から2番目にギリギリ、再開第一便深夜零時頃に青森へ向かうフェリーに潜り込むことができた。

そして、13日。陸路はあちらこちらで道路規制が引かれていた。特に遠野から沿岸への国道は完全に一般車両は通行止めであった。土砂崩れの心配もあったが、海側から来ている車もあるということで、舗装されていない笛吹峠の林道から沿岸を目指した。

覚悟して、峠を越え釜石側に入ったものの、いったい大地震があったのかと思える拍子抜けするような春を待つ東北ののどかな中山間集落が現れた。

しかし、ある一線から風景がまったく変わった。津波の最終到達点だった。瓦礫が押し寄せていた。それから先の道路は車を進められる状態ではなく、一台のブルトーザーが懸命に瓦礫を押しのけ道を切り開こうと唸りを上げていた。 KJの家は海に近く、到底近寄ることはできなかった。

幸い、KJの実家身内と連絡が取れ、少し内陸地にある当縁の親戚の家に集結する段取りとなり、我々も向かい、その農家の庭先にテントを張らせてもらうことにした。

当たりは煙っていた。隣町の大槌町の市街地で火災が起こり、その飛び火で山火事が起こっていたのであった。 その夜は気温が下がり、夜半には湿った雪が降った。テントが押しつぶされそうになり深夜に起きて除雪するほどだった。 (命からがら山に逃げて瓦礫のために移動ができずに濡れた衣服のまま山中でふた夜目を過ごす人々もいて、そのために亡くなった人達もいたと聞く)

その翌日から、ねおすの救援活動はスタートした。 行方不明のまま未だ発見されない人々もいる、仮設住宅暮らしも6回目の冬を越えようとしている・・・。 支援を続けた片岸・鵜住居地区は少しずつ活気をとりもどしているようだが、震災前の街並みと賑やかさは戻らない・・・。 重点的にサポートしてきた集落・根浜では来月に開村イベントをするそうだ。あいにく参加することはできないが、あれだけの甚大な被害にあった人々、それも私と同年配の方々が漁業や自動車整備業、宿泊業などで力強く再開してゆく姿をまじかに見させて頂いているので、「人間の底力」、逆に勇気をいただいている。 大災害に合いこそはしていないが、見てきた者としては、その後を見続けて、できることで応援してゆくことが引き続き責務であると考えている。

 

 

 

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子どものための自然学校、イエティくらぶ

2017-03-11 16:05:54 | 日記

毎月実施しているイエティくらぶ。これは旧ねおすの各サイトでも開催されている子ども対象の自然体験活動です。 小学校に月に1回第二土日に週休二日が導入された年、もう20年前くらいかなあ。それを契機に1泊2日活動を始めました。 けっこう歴史があるのです。 

イエティは、ヒマラヤ山麓に住むという幻の生き物です。ほんとうにいるかどうかわからない、でも彼らは家族で仲良く雪の雪洞の家の中で暮らしているんだ・・・。 見えないものを見よう、想像を豊かにしよう・・、そんな想いから命名されました。 設立当初の活動は、札幌から車で1時間圏内ほどのキャンプ場などで毎回テント泊まりをしていました。専門学校の学生実習を受け入れ、参加する子どもは80人、スタッフ合計100人を越えるような大部隊での移動キャンプの時代もありました。 しかし、そうすると、どうしもスケジュール進行上、命令的な号令が多くなる。「並びなさァーい」「集まりなサァーい」「早くしなさぁーい」と。 それではやっている方も参加する方もおもしろくなくなって来る。ここで、「野外教育」「団体活動教育」に徹してしまえば良かったんでしょうが、私にはできなかった。 毎春の募集も当初は、チラシ撒き、新聞広告などなどお金や労力をかけて会員数を維持することに務めたが、だんだんとしなくなり、自然減でバス一台と援護車1台、スタッフと参加者合計50名で推移していた時代もあった。この頃に現在のイエティくらぶの雰囲気が固まったと思う。

 インフォーマルなプログラム、大家族というコミュニティ、全開遊び、グループ班構成にして、担当スタッフ(カンセラー・リーダー)を班毎につけることはせずに、全員を全体に包み込むような活動運営。教育というよりは、「共育」 人が人に関わリ合う場づくりに留意するようになった。

 ぶなの森自然学校は大都会札幌から車で3時間近くかかる。黒松内に拠点を移してから20年にそろそろなるが、参加者数は、一時は中型バス手配が必要であったが、微減しつづけて、この頃の1泊活動は、実のところ、2人、3人、4人のときもある。原因はいろいろあるだろう。が・・、時代の趨勢であるだろう。

しかし、この活動は、子どもたちの「居場所づくり」でもある。これは捨てられないミッションだ。 ここを楽しみに、ここへくれば自分らしく過ごせる子がいる限り、参加者がふたりであろうが三人であろうが続けてゆく。 ひとりだとプログラムとはゆかないが、田舎に遊びにくる感覚でも受け入れてゆきたいと考えている。

 

 

 

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アイヌ語地名

2017-03-10 21:04:48 | 日記

黒松内ブナセンターが主催したアイヌ語についての講演会に参加して来ました。 北海道の地名はアイヌ語がベースとなってその発音に漢字を当てはめて変遷固定化してきたことは周知のことです。

札幌の藻岩山はかつては、インカルシュペと言われていました。これは現在の藻岩山そのものでなく、石山通り側の麓にある、物見台のような岩の名前なのです。その意味は「眺める場所」なのです。 黒松内に五十嵐という地名があります。そこには、まるで古代古墳のような小さな小山があるのですが、私はこれが物見台のような場所であって、インカルシュペ⇒インカラシ⇒いがらし⇒五十嵐に転じたのではないかと考えてガイドする時にはそんな風に話していたのですが、今日の先生もそう分析していらっしゃったので、すっきりしました。

また、中里・Nakazatoという地域も黒松内にはあります。これこそ、和名そのものにみえますが・・・、 アイヌ語から日本語漢字に転じるときは、訓読み、音読みからもその元々の発音・意味を考えることも必要であるということで、中里を音読みすると、chuu・riyとなります。 これは、水流が波立って高い」という意味にとることができます。朱太川が山間部に入り、両側の山も急に傾斜が強くなり、大きな崖地もあらわれるところなので、下流では穏やかだった水の流れが、ここまで遡ると波立った流れになるあたりであるのは確かなことのように思われます。すると、この中里地域の朱太川沿いには貝化石がでる急な崖があり水の流れが変わります。 なあるほどです・・・。

さて、当自然学校の立地する地域は「作開・Sakkai」といいます。これは明治開拓期につけられた和名と伝え聞いているのですが、このSakkaiという言葉の響きや明治人がつけた名前にしては妙にしゃれているので、私としては何かすっきりとしないでおりました。 そこで、Sakkaiは音読みですが、これを今度は逆に訓読みも加えて読んでみると、作開く⇒Sahhira ⇒ Sappira とも読めないこともない。すると sakku⇒夏の意味、Pira⇒これも崖を意味する発音となります。 しかし、さてはて、我が地域には目立った崖はありませんが・・・、  よーく見渡せばそれらしき場所もありました。

ひとつめは、校舎の後ろにそびえる天狗岳の頂上付近の岩場 これは、冬は雪山なのでわかりにくいが、春先からは、お~!岩山なのねと遠望ができます。 「夏は岩崖のあるところ」⇒ Sappira ⇒ Sahhira ⇒ 作開 ⇒ さっかい という推測もできるかもしれないなあ。

ふたつめは、これは故藤田先生が御指摘されていたのですが、地域の鎮守様、熊野神社はこの地域の中の多少高台にあり、そこは縄文海進時代は海岸渕で、海岸段丘跡だとのことでした。 しかし、こちらは逆だな、冬の方がわかりやすい。

てなことを考え推測しながら、北海道の地名をみてゆくことは面白いなあと思いましたがな。

 

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雪融け

2017-03-10 14:50:51 | 日記

ここ二日ばかりは雪がふりました。合計して15cmくらいかな。しかし、今日は暖かく再びガンガンと溶けております。本州のようにわかりやすい三寒四温は感じられませんが、春のカミサマが徐々に冬のカミサマを押しやりつつあります。 私のfacebookにて、本年度の雪山雪解けクイズを開始しております。 ご応募お待ちしております。

 

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