昨年度、小学6年生を対象に全国学力テストがありましたが、そのひとつに次のような問題があったらしい・・。
面積150c㎡と同じ大きさは次のどれでしょう?
① 切手
② はがき
③ 教科書
④ 教室
正解は3割にも満たない結果だったとニュースで聞きました。さらには、④の教室との答えが正解より多かったとのこと。 にわかに信じがたい・・・。
小学6年生は面積を習っていますから、たて×よこ で面積が出る公式は知っています。しかし、150c㎡がどのくらいの大きさなのかというイメージが実は育まれていない、教室で学んだことが実際の生活に重ね合わせる事ができていない、という結果と言えます。
私の検証によると・・、どうもこれは・・本当なのです・・・。 150という量の多さから単位を考えずに「教室?」と言ってしまったり、公約数に30があるので、その長さのイメージからか教科書と答えてしまう子がどうも多いようです。
学校の勉強では、机上で計算して終わりなのですね。現物で実証することをしていない、実証できる時間がないのでしょう。 であれば、図工での制作や体育の授業の中で面積や寸法を考えさせる工夫もあっていいかもしれない。
この問題はどうですか?
1㎗のペンキで3/5㎡のかべをぬることができました。では、2/3㎗では、どのくらいの広さがぬれるでしょうか?
これは、小学6年生の問題です。 みなさん、大丈夫ですか・・・?
この問題は、あんまり現実的でないなあと思うのですが・・。
しかし、整数の縦×横の面積の問題は、一気に分数の掛け算に行ってしまいます。
これじゃあ、 公式としての算数とそれに伴う数理概念の形成を ますますつながりにくくしてしまいます。 計算は合っていても、説明ができない・・。
立体の展開図は知っていても、物を作るときに何枚、何本部材がいるかイメージができない。(これ・・けっこう私は苦手)
算数って段階を追って、しっかりと理解してゆかないで、公式暗記だけでいると、ある日突然、分からなくなってしまいます。
かく言う私、なんとかついてはゆきましたが、高校では力ずくで「やり方を暗記」していたので、大学教養での数学の最初の講義で、教官が何を言っているのか・・分かりませんでした・・。
***
算数は難しい・・・。 (で 終わっていいのか・・という結果の話でした)
面積150c㎡と同じ大きさは次のどれでしょう?
① 切手
② はがき
③ 教科書
④ 教室
正解は3割にも満たない結果だったとニュースで聞きました。さらには、④の教室との答えが正解より多かったとのこと。 にわかに信じがたい・・・。
小学6年生は面積を習っていますから、たて×よこ で面積が出る公式は知っています。しかし、150c㎡がどのくらいの大きさなのかというイメージが実は育まれていない、教室で学んだことが実際の生活に重ね合わせる事ができていない、という結果と言えます。
私の検証によると・・、どうもこれは・・本当なのです・・・。 150という量の多さから単位を考えずに「教室?」と言ってしまったり、公約数に30があるので、その長さのイメージからか教科書と答えてしまう子がどうも多いようです。
学校の勉強では、机上で計算して終わりなのですね。現物で実証することをしていない、実証できる時間がないのでしょう。 であれば、図工での制作や体育の授業の中で面積や寸法を考えさせる工夫もあっていいかもしれない。
この問題はどうですか?
1㎗のペンキで3/5㎡のかべをぬることができました。では、2/3㎗では、どのくらいの広さがぬれるでしょうか?
これは、小学6年生の問題です。 みなさん、大丈夫ですか・・・?
この問題は、あんまり現実的でないなあと思うのですが・・。
しかし、整数の縦×横の面積の問題は、一気に分数の掛け算に行ってしまいます。
これじゃあ、 公式としての算数とそれに伴う数理概念の形成を ますますつながりにくくしてしまいます。 計算は合っていても、説明ができない・・。
立体の展開図は知っていても、物を作るときに何枚、何本部材がいるかイメージができない。(これ・・けっこう私は苦手)
算数って段階を追って、しっかりと理解してゆかないで、公式暗記だけでいると、ある日突然、分からなくなってしまいます。
かく言う私、なんとかついてはゆきましたが、高校では力ずくで「やり方を暗記」していたので、大学教養での数学の最初の講義で、教官が何を言っているのか・・分かりませんでした・・。
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算数は難しい・・・。 (で 終わっていいのか・・という結果の話でした)
答えはあれとあれでいいはずですが……(^^;
「そんなの、小さいに決まってんじゃん!」と。
おっ、さすが・・・と思ったら・・・「切手だよ!」
指で切手のおよそのサイズを縦・横と確認させて「それって、何センチずつ?」と聞くと
「2×3センチ?・・・6平方センチメートルかあ」
「葉書は10×15?・・・こっちか!!」
教室ではないと直感で判断できたのは褒めてあげたいけど、切手じゃあ・・・がんばれ!中学1年生!!!
と、喜んだりがっかりしたりの1日でした。
今では仕事で物理的空間シミュレーション(CGで解りやすく説明する為)が必要となり。幾何学を勉強中…日本語の表現と、宇宙語?!みたいな「数学記号」…
勉強は忘れた頃にやってくる。頭を使わなくては…だからそのために勉強する。
会話もそうだと思います。本を読まないと(縦書きの小説が少なくなってきているのはちょっと残念)ネット文庫と読書は違う…理解度や満足感が読書にはある。
私思うに…暗記も必要、しかし大人になるためには「基本の理解」も必要だと…基礎があるから応用力が身に付く!建築でも「基礎(土台)がしっかりしてるから家が壊れない」
世の中「カタログ的」になりすぎているのか…
「良いところだけ見えて悪いところが見えない」でも「悪いところがあるから良いところが見える」という解釈がもっと必要だと…
「電子辞書は確かに便利」だが記憶としての情報は残らない…重たい辞書を調べる方が「記憶として残る」
横並びの理解と縦の文字文化…斜めに見ちゃう私。
宇宙飛行士になりたい少年少女…計算は必要だぞぉ~! えっ「指揮者」になりたい…もっと勉強が必要かも…
・「この本にこう書いてありました」で終わってしまうゼミ。最初に知った知識、あるいは考え方から抜け出ることができない。
・馬が好きな農業酪農学生なのに、「素敵だね」の話だけで、議論が深まらない。
・大人は飲んだ時になんであんなに議論しているのという 看護学生・・・
想像する、検証するという訓練が子どもの頃にされてないんじゃあないかなあ・・。
「田舎暮らしに、説明書はなく経験から学ぶもので、その積み重ねから理解が生まれる」と思います。
その意味では「長期村の家づくりやロングウォーク、カヌー、町内クリーン作戦」はとても意義のある事だと思います。もし「番組づくりに参加」してたとすると…「頭の中が酸化して錆び付いた頭」になったのかもしれませんね。でもその経験を「活かすも埋めるも自分次第」ですよね。大人になった時…どうやってあの困難を乗り切ったんだっけ?と考える日は必ず来ると思います。
私「物作り」の仕事をしてますが。「謎」が日常的につきまといます。でもその「謎が解けた時」達成感が味わえます。
一休さんと将軍の「屏風の虎」アニメでは友達のように描かれていますが「そんな訳あるはずがなく…」発想の転換…とても大切な事だと思います。
例えば…「ちょっと待てよ…ん~~~~」と悩み…こうしたらどうだろうと自分で策を練る。
経験豊富な人に「意見や何故こうなのか…」と聞いてみるそして「参考となる意見にプラスαをしてみる」…ダメでもともと「最初から巧く行くはずない」ですから。