このところ、戦記ものの小説を読んでいます。義和団事件、世界史の中で受験のために覚えただけで実際に何があったのかは知らなかった。 日本やヨーロッパ諸国をはじめとする列強国が北京に租借地をつくり清国に進出していた時代に農民民衆が放棄し各国大使館がある地域を包囲し終盤は清国正規軍も敵対する大々的戦闘が生じた。 その中で日本軍の指揮官が大活躍をして、各国軍を統制し、清国のキリスト教徒も含めた多くの人々を救ったのを知った。 そして、第二次世界大戦終盤にはアリューシャン列島各地の軍隊を投入していた日本軍は(アリューシャン列島沿いに前進基地を造り占領をして行った、北からアメリカを攻めるような戦略だったらしい)。
' ミッドウェイ大海戦で大敗し、有名な硫黄島の戦いでも日本軍はアメリカ連合国軍の大物量展開で島の形が変わったほどの砲撃を受け、米軍上陸の大戦闘の末に多くの軍人がタヒに大敗北をした。日本軍は最後まで自決をするように「万歳突撃」を敢行し「玉砕」を続けた。特攻作戦も「死」を持って航空機、潜水艦で実行された。 これは軍人だけでなく、国民全ての観念であり、一億国民全員が戦闘員になり得ると考えたアメリカ軍は日本各地への大空襲により日本人を絶滅させるような作戦を展開することになった。 日本人そのものを恐れ、それが原爆投下につながり、占領政策も日本人国民が死をも恐れないゲリラ活動を展開するのではないかとアメリカ軍は考え、厳しい統治を実は考えていたらしい。
ところが、終戦間際にアリューシャン列島のキスカ島に取り残され、アメリカ軍に徹底的に砲撃を受けても耐え忍んでいた陸海軍の将兵が5000人もいたのだった。 彼らを玉砕させるかいなか、大本営は実は多いに逡巡していた。 その中にあって、なんと将兵の救出作戦が行われたのであった。もう戦艦も少なくなった海軍は総力をあげて艦隊を組織し陸軍とも協力してアリューシャン列島に向かったのであった。 日本軍の作戦はレーダなどでの傍受で連合軍には筒抜けであった。 当然にアメリカ軍もその海域に艦隊を集結させた。
その無謀とも思える作戦の立ち上がった司令官がいたのだった。 気象予測もまだまだ脆弱な時代に、少なくなった燃料、哨戒機を飛ばし高層の大気圧等を測定し、平面だけでなく高低の気象条件を測定し、霧の発生を予報する技術を編み出し、複数日が海上が霧に包まれる日を予想し作戦は結構された(この技術は米国ではまだ未熟であったらしい)。
米艦隊が包囲する中、海岸の大岩にわざと艦砲攻撃し日本戦艦がいるように陽動したり、島との電信連絡に暗号とひら連絡を交えて敵を惑わせる。接岸地へわざと遠回りするなどさまざまな作戦を展開し、見事に5000人もの撤退作戦を成功させたのである。
この事実はのちにアメリカ軍の通訳兵によって報告され、それはマッカサーまであがったそうだ。このことは、悪魔のような日本人観をもっていたアメリカ人を驚かせ、日本人はアメリカ人と同じように仲間を助けることをする人種だと観念を変えさせ、占領政策は平和りに行われる結果になったそうだ。
義和団事件にしろ、このキスカ救出作戦ことなど歴史では習わなかったよな。とても優れた日本人がいたのだ。
それにしても、アリューシャン列島はどこにあるか、実は知らなかったのですが・・、調べてみると随分と北太平洋の外側であり、とてもびっくりとしました。 太平洋戦争では南はニューギニアから北はアリューシャンまで戦争していたなんて、そもそもまったく勝ち目などなかったんじゃあないかとあらためて思いました。
アリューシャン列島の地図をはっておきますね。