思い出話続きです……が、
大学時代は、社会人の山岳会(札幌山岳会)に所属して、山登りとそのための資金稼ぎのアルバイトばかりで過ごしておりました。 ネパールトレッキングを計画していた二十歳頃は、昼間はデンジャーサービス、夕方からは札幌大通公園のトウキビ販売車へのゆでトウキビ配送(当時は・・たぶん・・札幌市の公社経営で、販売者ワゴンが各丁目に2台づつ配置されていて、そこで焼きとうきびとゆでとうきびを販売されていました。その材料は別のところで茹で上げられ、それを各ワゴンに配送したり、ワゴンを倉庫から出し入れする業務)と掛け持ちで 一日2万円ほど稼いでおりましたので、30数万円を1ヶ月で稼いで旅に出たのでした。
このデンジャーサービス(Danger-Service)は、危険な箇所でのサービスします業で、もう鬼籍に入った山登りの先輩が経営していました。ロッククライミング技術を応用してビルの屋上から一人乗りブランコを吊り下げて窓ふきする、工場の煙突の塗装、ススキノ飲みやビルのネオンの付け替え、住宅と住宅の間の立木に登り上の方から少しずつ切って除去する、大きな倉庫のツララ落とし、そしてゴルフ練習場のネットが破れた箇所を修理する高所作業をすることが、当時競合業者もいなかったので、とても重宝されはやっておりました。 この方法のビル掃除は複数人乗れる大きなワゴンを吊り下げずにできるので費用も安く、今でこそ良く見られる清掃風景ですが、たぶん東京では始まっていた方法を札幌で最初に導入したのは私達でした。
ゴルフ練習場のネット修理は、ネットを張っている鉄柱を修理箇所の上の横柱まで登り、そこで確保をとり、横柱を伝わり、修理箇所のちょうど上から空中にぶら下がって修理するという仕事です。横支柱で分けられる高さによって、下段、中段、上段とあって、時給は800円、1200円、1500円位だったかな。当時としては高額時給です。登ってみると、鉄柱列はまっすぐに並んではいないんですね、左右にかしいでいました。 ふたりひと組になりロッククライミングの要領でロープを結び作業をするのですが、古い柱や止めボルトは腐食してたりしてました。(何年か前に千葉で強風で煽られた支柱が倒れて民家を破壊したことがありましたよね・・)
「先輩、ここ折れてしまったら・・・」
「命懸けで、確保して鉄骨ごと停止させろ!」なんて返されて・・、 今思えば、当時もそう思っていましたが、なんとも無茶な仕事をさせられていました。 じっさい、鉄骨と共にではありませんが、風にあおられたネットに身体が弾き飛ばされて宙ぶらりんになったこともありました。
ネット修理にいっしょに出かけた若い先輩と、当時流行していた「泳げたい焼きくん」の替え歌を作って毎日くちずさんでおりました。
♫まいにち、まいにち ぼくらは 鉄柱の うえで (風に)吹かれて やんなっちゃうな。♫
ある朝、ぼくは店のおじさんとぉ 喧嘩して、山に逃げ込んだのさ。
♫はじめて登った山のなかぁ とっても大きくきれいだった♫
と・・、たいやきくんの歌のジャケットをみて・・思い出しました。 ともあれ、無事に生き延びて、お金貯めてネパールトレッキングにも行けた、命懸けの充実した毎日でありました。とさ・・。