10月21-23日
Kenちゃんと木村さんが、今年も物づくりボランティアに来てくださっています。昨年は、校舎からキャンプ場に出る場所に屋根をつけやハウスのペンキ塗りをしてくれました。薪小屋にも続いているので、冬の薪出しがたいそう楽になりました。今年は、そのさらに前に、キャンプ場へ登る階段を改装土木工事です。
ありがたや、ありがたや・・・。
10月21-23日
Kenちゃんと木村さんが、今年も物づくりボランティアに来てくださっています。昨年は、校舎からキャンプ場に出る場所に屋根をつけやハウスのペンキ塗りをしてくれました。薪小屋にも続いているので、冬の薪出しがたいそう楽になりました。今年は、そのさらに前に、キャンプ場へ登る階段を改装土木工事です。
ありがたや、ありがたや・・・。
10月19日
来道中の中国からの視察チームを登別フォレスト鉱山から支笏湖へ送り出して、私は黒松内へ。鉱山を降りてすぐにある郷土資料館をひさしぶりにのぞいたところ、知里幸恵記念館(銀のしずく記念館)が登別市街地にあることを知りました。
ナビに導かれてゆくと登別郊外の閑静な住宅地の中にありました。ここは彼女の生家があった場所で、幼い頃に過ごした場所だったとのことです。知里幸恵さん(1903-1922)のことを復習しますと・・
彼女は明治36年(1903)にこの地で生まれ7歳の時に旭川に移り住み、心臓病のためにわずか19年の生涯を終えたアイヌ女性です。アイヌ語を話す祖母・モナシノウクと共に育ち、アイヌ語は堪能、さらに勉学にも励み日本語も話しました。表現豊かな文才に恵まれて、アイヌ人として始めてアイヌ語の物語をローマ字表記し、日本語の翻訳文字化した「アイヌ神謡集」を著作しています。中でも「梟の神の自ら歌った謡~銀のしずく(銀のしずく降る降るまわりに、金のしずく降る降るまわりに)」は有名です。
一見、ここかと思わせる白壁の一般住宅のようですが、玄関正面には大きなガラス窓があり、幸恵が幼少の頃に過ごした森が目に飛び込みます。(今は森化しているが、当時は父親が造園業を営んでいたので、空も高く明るい林であり花壇や池も配置されていたそうだ) 館内は天井も高く落ち着いた静かな時間が流れていた。 幸恵の生涯、金田一京助博士とともにアイヌ語研究に勤しんだ兄・知里真志保についても展示されている。 復刻版ながらも 幸恵直筆のアイヌ神謡(ユーカラ)のローマ字表記と和訳されたノートなども展示されていて興味深い。
館長の金崎さんにもお茶を頂きながら、彼女の足跡やこの記念館のNPO活動の御話を聞く機会を得ました。
なんだか、やさしくなれる贅沢な小時間でした・・・。