高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

幸福ホルモンの話 ③

2007-08-20 10:12:54 | 主義・主張

今度こそ、書きたかったことに書くためにドーパミンを分泌しよう!!

***
子どもに遊びが必要な理由。

子どもに遊びがどうして大切なのか、の質問に対する私なりの回答がいくつかあります。

① 創造力を養うために必要な源泉「好奇心」を大いに育む
② 遊びは体験活動であり、多くの情報(人との接し方、自然事象、他者の考え方、価値観、人生に必要なことの最も基礎的な事柄さまざま)を直接的に獲得するものである。
③ かくれんぼや鬼ごっこのような逃げ隠れする遊びは、子どもが自らの安全管理能力を獲得するために必要な遊び
④ また、隠れ通せた、逃げ通せた、発見した、捕まえたという基本的な行動から得た達成感は、自尊感情を育み、自己の行動に自信をつけさせる。

などがあるのですが、今朝、起きがけにはたと気がついたことがあります。昨日の幸福ホルモンの話に続くのですが・・・

****
子どもの頃、学校から帰り夕食までの時間は、今考えると2時間程度のものであったと思うのですが、なんだか、随分と長い時間遊んでいたような覚えがありませんか? 小学校の休憩時間は、わずか10分もないのに校庭へ出て、大いに遊んでチャイムが鳴ると教室に書け戻って来ました。でもね・・、よくまあ、10分で遊べたもんだと思います。それだけ、集中して密度の濃い時間の使い方をしていたんで、十分(とはいかないか・・)に遊べた気分になって、リフレッシュして次の授業を受けられたのだと思います。 

つまり、昨日の論法からいうと、その遊びによって、ドーパミンやセロトニンを一気に分泌していた。「遊ぶ」という行為の課程で、実は幸福ホルモンがたくさん分泌されます。

生きてゆくということは、般若心経でも諭されていますが、実にとてもたいへんな行為です。ですから、いかに、幸福ホルモンを分泌できるか、それもさまざまなシーンで分泌できるような、脳の構造を作ってやらないと、困難なことにたくさんぶつかる、「生きる」というたいへんな行為を乗り切って行けないんじゃあないかと思うのです。

ですから、幸福ホルモンを分泌できる脳の構造をつくるために、子どもの時に、幸福体験、それも小さな幸福感(満足感、達成感、リフレッシュ感、笑う、心地よいと思う、新しい発見に驚く、美しい物にであう、集中するなど)を味わえる、たくさんの体験による経験の積み重ねが重要なのです。それは、「遊び」の中にあります。すると、それが、困難に直面した時に乗り越える力の源泉を育くむトレーニングであると言えると思います。

だから、「遊ぶ」ってことは、健全な脳内環境を作ることに絶対に必要なんです。とくに子どもは・・・。

遊ぶ時は徹底的に遊ぶ・・そんな身体環境をぜひ、親御さんは子ども達に提供してください。

***
8月下旬から 朝日新聞で4回連続での子どもに関するコラムを書きます。このことを整理して書くかな・・。 しかし、字数は600字。「少な!!」

私の遊んできた脳が、ためされる時であります・・・

チャン チャン
コメント (2)
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宵宮

2007-08-20 07:38:26 | 日記
昨夜は地域の氏神様、熊野神社の宵宮。境内での飲み会のあと・・・ 一人で社殿の中で泊りました。決して酔いつぶれて置いていかれたのではありません。 

四方に張った〆(しめ)の真下に座ってしばらく瞑想・・・神さんといるようで心地良かった。 その後そどにゴロンと寝たのですが、さすが朝方寒くて目が覚めてしまい・・帰ってきました。

◆宵宮
熊野神社は那智熊野の大社の流れをくんでいるようですが、なぜ熊野なのか? 神社建立地を寄進した小宮精三郎さんが熊野信奉者だったのか、熊野の出身者なのか、定かではありませんが、自然学校の近くにある鎮守の森にある小さな神社のお祭りでした。 



山村留学の子ども達は、何の躊躇もなく、お祭りのためにだけ、牧草地を刈り払った参道、それも真っ暗な小道を歩いてゆきます。地域の子ども、実は夜には大人も、私達以外は誰も使わない(車でもあがれるので・・)、山村留学生は、夏の長期村が終わって・・・、田舎の子より田舎な子ども達になっています。 写真は第一鳥居です。その先・・・200mくらいかな・・上り坂になり、その暗闇の先に第二鳥居があり社殿があります。

 宵宮といっても夜店が出るわけではありません。地域の人たちが集まって神主さんの祈祷のもと、神さんに地域の繁栄、五穀豊穣をお祈りするのです。現在ではこじんまりとしていますが、昔は、獅子が出てくる神楽もあったそうですし、奉納相撲大会もあたようです。 今晩は地域のお母さん方が焼き鳥屋さんを開店、ビンゴゲームを参列者の懇親会でみなさんとしました。




一方では・・・、
この日の朝は、99歳でなくなった留さんのお葬式がありました。生前、留さんに聞いた話では、精三郎さんを見たことあるそうで、「ちょんまげ を結っていた」とのことでした。「俺は何でも知っている・・・ 120歳まで生きる」と、あれは4年前かな・・長期村の子ども達と留さんを訪ねたときに言ってました。 インパクトがあたなあ・・・。 留さんは、たぶん・・・開拓3代目で、その本家筋の現役農家の主は6代目になるそうです・・。

長いような・・・・短い話しです。

人の死と、神社のお祭り・・・葬祭な一日でした・・・。

生きるって・・・そんなことの連続だなあ・・・

と思う朝・・



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