

ジャンボ福畑くん滞在
若い人が、自分で自分の仕事と暮らしをつくることができるように、その場づくりをしています。 自然学校の仕事、日常、生活を一緒に体験してもらう。ボランティア滞在です。 繁忙期は宿泊食費はかかりませんが、閑散期では、1泊1000-3000円(その時に仕事ボリュームや懐具合に応じて)頂いております。 学生さんであれば、ちょっと年上の兄貴・姉貴年齢の人や、アタシたちみたいに年寄りとも世代間交流ができます。
こういう暮らし方、仕事の仕方もあるんだなあ・・と体感してもらえると嬉しいです。
小学生の頃の長期村の参加者だったRINが遊びにきました。 本名は違うのですが、その漢字の音読みで私はずっとそうよんでいました。 三姉妹で皆順番に参加をしてくれました。 大きく美しく成長されたなあ・・と感慨深いです。
いろいろ悩みもあるようだけど、そんなこと微塵も感じさせないような、小気味よい竹をスパット割ったようなコミュニケーションは、心地よさがある旋風のようでした。
また、来てね・・・。
10月21-23日
Kenちゃんと木村さんが、今年も物づくりボランティアに来てくださっています。昨年は、校舎からキャンプ場に出る場所に屋根をつけやハウスのペンキ塗りをしてくれました。薪小屋にも続いているので、冬の薪出しがたいそう楽になりました。今年は、そのさらに前に、キャンプ場へ登る階段を改装土木工事です。
ありがたや、ありがたや・・・。
薪割りボランティア募集に呼応して頂き、おーさか(寺坂さん)が自分の休日を使って、10月15-16日と汗を流してくれました。 例年、冬も二月になると、事務所のストーブも薪量が心配になるのですが、今冬は大丈夫だろう・・。
ほんとうは、春のうちから薪づくりをして、十分に風乾させるのがいいのですが、いつもこの時期に慌ててしまうのです。
おーさか(最近の子ども活動ではテンプラがニックネームで定着しつつあるそうですが・・)、ありがとうね。
自然学校のインターネット環境づくりでお世話になっているODAさんが、WiFi環境改善のために来てくださいました。 彼のNPOの活動に参加している中学生を三人連れて・・。 半年前まではランドセルを背負っていたとは思えないような好青少年でありました。 ボラ仕事しないと飯ないよ、ということで、軒下にあった薪を日当たり風通しが良い場所に移動してもらいました。
また、元参加者の子どもであった どぐうちゃん(YMH)も休暇を使って京都から滞在。今は精神科のお医者さんです。彼女には千歳病院の森林療法時間でもボラをしてもらいました。
私は、自分の田舎がないもんだから、自分で田舎の居場所を創ろうと黒松内へ来て、なりわいとして自然学校を始めたのですが、こうして皆さんが訪ねてくださると、やっぱ居場所づくりは死ぬまで続けてゆこうと思うのでした。
自称、新田舎づくり実践研究所 所長ですから。
9月13-16日
毎年秋にご利用を頂いているコスミックダンスカンパニーの皆さんが、今年はきっちりと満月に合わせてご来校くださいました。当初、昨年からお願いされていたのに、ガールスカウトの団体予約を受け付けてしまって、ダブルブッキングとなり慌てましたが、ガールの皆さんが予定を1週ずらすことにご譲歩くださり、大きな混乱もなく実施の運びとなりました。
コスミックダンスカンパニーは、リーディング(いろいろな占い)やヒーリングや自己開発などスピリッチュアルなイベントをする人々の集まりです。その中心人物のJUJUとは、もう20数年来のお付き合いなのです。
昔昔、30代中半頃に会社を辞めて自然体験活動を生業として始めた時に、私はすぐに大きな壁にぶち当たりました。 それは、他者とのコミュニケーション力の欠如でした。 子どもの自然体験活動と言っても、子どもだけが対象者・相手ではなく、彼らの親御さんがいる。泊りがけでの登山活動やネイチャーツアーでは、当時の私にとっては30も年上の自分の親のような世代の方々と時を共にする・・。これはやって行きたくても、私には無理だなあと感じたことがありました。 それを解きほぐしてくれたのが、JUJUとの出会い、そして、それがあったから、アイヌの故萱野茂さんや屈斜路湖のattoiさんとの出会いもうまれたのだでした。
出会いの順番がどうだったのか、記憶が定かでないのですが、いい機会なので思い出し整理してみると・・・、
自然体験活動を生業として始めたのは、札幌社会体育専門学院という専門学校の経営・教壇にも立っていた30代中盤でした。体験活動のお客様もそうでしたが、毎日学校で顔を合わせるハイティーンのやんちゃな子もいる学生達の扱いにも自分のコミュニケーション能力不足を痛感していました。・・・・・、うーん、何が最初のきっかけだったんだろうか・・・、
たぶん、当時の登山のお客様だったYSRさんからブリージングセラピーというのを教えてもらいその体験に参加したのが始まりかな。その講師のINKさんからのつながりで、SKIさん(Return to innocentという曲を教えてくれた)、そしてコスミックダンスセラピーのJUJUを紹介してくれたのが順番ではなかったかなあ・・・。 それをきっかけに、アメリカンネイティブ(インディアン)のスウェットロッジのSTOさん、EIMYさん、アイヌの人々に出会っていったという順番だったかなあ・・・。
私は、喜怒哀楽が激しい父親の元で育ちました。今時だったらアレは、折檻というより虐待だったんじゃあないかというコトもしばしばありました。しかし、一方では猫っかわがりもされるという中でいたので、人との距離のとり方が幼少期にうまく育まれなかったのではないかと思います。社会に出てからの最初の社長からもいつも怒鳴られていた、自分の業務の貿易デリバリー(輸送)仕事では、とにかく業者をどやしつけて貨物を早く輸送しろと教えられ、その通りにもしていたこともあります。という具合だったので、専門学校でもやんちゃな学生とは力と力のぶつかり合いになっていました。
なので、基本接客業でもある自然体験活動など転職起業して、即、向いてないないと、コミュニケーション力欠如の壁にぶち当たったのでした。
その時にであったのが、これらスピリッチュアル系なセラピーでした。 特にコスミックダンスは、その名のとおりダンスセラピーなのです。 Return to Innocent つまり、無邪気になりなさい・・・。 渡されたバラの花と踊ったり、他の生き物になったりと身体を自由に動かす活動によって、自分に身についた鎧のように固いものが徐々に取り除かれてゆきました。と同時に環境教育という概念にも出会い、他者との関わり方も変わってゆきました。 コスミックダンスで解きほぐされていなければ、環境教育という分野を自分に取り込むことも、アイヌのみなさんとのつながりもできなかったかもしれない・・。
と、いった人生の大きな転記をサポートしてくれたのが、私にとってのコスミックダンスでした。
心理学のジョハリの窓という考え方に照らせば、まさしく「閉ざしたこころの窓」を自己開示によって開いて行ったという感じを自ら体感したということですな。
そして・・、今回の参加者のMSBさんがAttoiとのつながりがあり、近々一緒にお会いにゆくことになりそうです。
さらに、開かれるかあ・・・!!??
もう何年前だろう、大震災前だったから2009年位だとするともう10年前かあ。当時の自然学校のディレクターだった まむ&たーぼの一家が慰問に遊びに来てくれました。
今は隣町の豊浦町で有機の農家になり 中つち農場という経営を四人の子育て中です。 ソラーパネルの自然エネルギー、水道も自ら引き、家も作ってしまったふたりです。 こういう子育て世代が現実的に日本のあちらこちらにも現れています。若い世代へわかりやすくライフスタイルの転換を身近に伝えている一家です。
私はGW中にもかかわらず2泊3日の東京出張の会議でした。この間、なかなか一同には会せないような仲間が自然学校には集まりました。 自然学校・長期村初期立ち上げ期のチーフディレクターの伊藤さん(テルさん)、その頃の看護衛生スタッフでもあった高橋さん(マダム)、参加者の小学生であり春からは札幌の大学にかよっている春之助君、この前日には盟友の樋口さん夫婦も来校滞在でした。
私は参加できずに残念でした。