うぉ~すっきりしたぁ
ほかの人が入力作業したものを見ると、面白いというか、悩むというか、あまりひどいと大変苦しむことになりますが、変なことがいろいろあります。雇用創出なのに「雇用喪失」、意味が逆になっています。新産業創出なのに「新産業総室」、うーん、これは微妙ですが、後で話がおかしくなってくるはずです。アレルギー減感作(げんかんさ)療法なのに「アレルゲン観察療法」、減感作療法を知らなければ「観察療法」はありえるかなぁ。声援を送るなのに「1000円送る」、お金のほうがありがたいかもしれないけれど、たった1000円では・・・。承認基準なのに「賞味期限」、食品の話だったので、これはありっちゃぁあり、とはいえ、間違いは間違い、話の前後が微妙につながりません。
これは何をどう聞き間違えたのか全く分からないのですが、突然「便所」が出てきてびっくり仰天したことがあります。都会のキャリアウーマンへのインタビューで、仕事で頑張っている毎日の様子が語られていたのですが、当然のことながら、「便所」なんていきなり出てくるような話の流れではありませんし、かりにそういうことを言うとしても「トイレ」であって、今どき「便所」なんて言う人はいませんよね。ましてや、これはインタビューで、初対面のインタビュアーに語っているわけですから、スマートな都会のキャリアウーマンがいきなり「便所」なんて言わないでしょ! それでも「便所」と入力して、明らかにおかしいのにそれで平気でいるのですから、日本語センスという以前の問題でしょう。
それから、1月21日の記事に思い込みは恐ろしいということを書きましたが、関西弁っぽいアクセントながら、言葉そのものは標準語で「ほんとにありがとぉ」なのに、「ほんまにおおきに」と入力してあったことがありました。その作業者は、話者が関西出身だから関西弁でしゃべっている、関西弁だから「ほんまにおおきに」だと思い込んでいる、だからそう聞こえたのでしょうね。いやはや、思い込みというのは本当に恐ろしいものです。耳から入ってくる情報を見事に狂わせるのですから、ディクテーションに限らず、日常の会話でも、その人その人の考え方、ものの見方、持っている知識、物事に対する姿勢などがかなり影響しているのでしょうね。「~と言ったでしょ」「~なんて言わないよ」という争いは永遠になくなりません。
ほかの人が入力作業したものを見ると、面白いというか、悩むというか、あまりひどいと大変苦しむことになりますが、変なことがいろいろあります。雇用創出なのに「雇用喪失」、意味が逆になっています。新産業創出なのに「新産業総室」、うーん、これは微妙ですが、後で話がおかしくなってくるはずです。アレルギー減感作(げんかんさ)療法なのに「アレルゲン観察療法」、減感作療法を知らなければ「観察療法」はありえるかなぁ。声援を送るなのに「1000円送る」、お金のほうがありがたいかもしれないけれど、たった1000円では・・・。承認基準なのに「賞味期限」、食品の話だったので、これはありっちゃぁあり、とはいえ、間違いは間違い、話の前後が微妙につながりません。
これは何をどう聞き間違えたのか全く分からないのですが、突然「便所」が出てきてびっくり仰天したことがあります。都会のキャリアウーマンへのインタビューで、仕事で頑張っている毎日の様子が語られていたのですが、当然のことながら、「便所」なんていきなり出てくるような話の流れではありませんし、かりにそういうことを言うとしても「トイレ」であって、今どき「便所」なんて言う人はいませんよね。ましてや、これはインタビューで、初対面のインタビュアーに語っているわけですから、スマートな都会のキャリアウーマンがいきなり「便所」なんて言わないでしょ! それでも「便所」と入力して、明らかにおかしいのにそれで平気でいるのですから、日本語センスという以前の問題でしょう。
それから、1月21日の記事に思い込みは恐ろしいということを書きましたが、関西弁っぽいアクセントながら、言葉そのものは標準語で「ほんとにありがとぉ」なのに、「ほんまにおおきに」と入力してあったことがありました。その作業者は、話者が関西出身だから関西弁でしゃべっている、関西弁だから「ほんまにおおきに」だと思い込んでいる、だからそう聞こえたのでしょうね。いやはや、思い込みというのは本当に恐ろしいものです。耳から入ってくる情報を見事に狂わせるのですから、ディクテーションに限らず、日常の会話でも、その人その人の考え方、ものの見方、持っている知識、物事に対する姿勢などがかなり影響しているのでしょうね。「~と言ったでしょ」「~なんて言わないよ」という争いは永遠になくなりません。